1981年のリーグ優勝を最後にFsは優勝していない。
ペナントレース途中で息切れするか、出遅れて後方に置かれたままというシーズンが続いた。最下位の屈辱も何度か味わった。

惜しいシーズンもないではなかった。
そのリーグ優勝の翌年は、当時はパ・リーグは2シーズン制だったのだが、後期優勝を取り、広岡達朗監督率いる新生Lとプレーオフを戦い敗れた。

そして1993年、大沢啓二監督が復帰した一年目にリベンジのチャンスはやってきた。もう1シーズン制に戻っていたが、森祇昌監督に変っていたが、再びLと優勝を争ったのだ。そしてその大事な天王山、東京Dで試合が行われた。
Fsはエース西崎を起用し、背水の陣をしいた。試合は2−0で勝っていたが、秋山に2ランが出て追いつかれた。次に左の強打者、鈴木健を迎えた。交代かとも思ったが、続投、鈴木にホームランが飛び出し、このビハインドを返せず、チームは負けた。そして優勝もできなかった。

そして名将上田利治監督を迎えて2年目の1996年、Fsは中盤から首位にたち、何とか首位を保って最後の追い込みへと向かった。
ところがある朝新聞を開いた私は驚いた。
上田監督退団か?という驚くべき記事だった。お嬢さんがあるスキャンダルに巻き込まれたらしいということだった。
退団にはならなかったが、指揮官を失ったチームは失速。
相手はこちらも知将迎木監督率いる、イチロー擁するオリックスである。勝てるはずはなかった。

だが2年後、Fsはよみがえった。
そうビッグバン打線の構築で、パ・リーグを席巻。飛ばしに飛ばしたのである。貯金は20を越え、誰もが今度こそ優勝と信じて疑わなかった。
ところがその信じられないことが起きたのである。
夏場に投手陣が崩壊、いくら打線が爆発しても、それ以上の
点を相手に与えてしまうのである。
そして結局この年も優勝を逃した。

2年前、パ・リーグにPOが形態こそ違うが復活した。
ヒルマン監督率いるFsはあまりいばれた成績ではなかったが、何とかこれに臨んだ。
対戦相手は再びLだった。でも再び負けて、リーグ優勝には届かなかった。

そして今年はどうなるだろうか?
2006 08/25 21:07:52 | none | Comment(0)
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