かつて題名のなかったBLOG

2006年 05月 18日 の記事 (1件)


秀樹は、予備校が終わるとテキパキと荷物をまとめ、
自転車置き場へ向かった。
左腕にはめているデジタル表示の腕時計が
「17:32」を示しているのを見て、
「ちょっと寄り道していくか」と独りごちた。

予備校へ通いだして1ヵ月半、
今までいったことのない自宅の反対方向に
ゲーセンがあるという情報を聞いて、
前々から行ってみようと思っていたのだ。

知らない街の知らない道で、
きょろきょろしながら自転車を進ませていると、
前方に「デスカウントショップ」と書かれた看板が見えた。
何となく、その看板の前で自転車を止める。
(何だ? 何の店だ?)
汚い手書きの看板はそれ以上何も情報を語っていなかった。
見上げると、そこは雑貨屋のような佇まいだったが、
とても現役で営業をしているようには見えない
古びた小屋だった。
少なくとも、看板とこの外観だけでは
何を「デスカウント=値引き」している店なのか
さっぱり分からない。
とりあえず道を聞く目的と、ほんの少しの好奇心のため、
秀樹は、その店の引き戸を開けた。

中は、昼間だというのに真っ暗だ。
目が慣れるまで多少時間がかかったが、
注意深く見ても、やはり何かを並べている様子はなく、
店というよりは、ちょっと広めの玄関のように思えた。
(田舎のじいちゃんがやってた自転車屋が
こんな感じだったっけ)
と秀樹は思ったが、自転車屋には自転車が置いてある。
ここはただ暗いだけで何もない。
まさか暗闇を売っているというのでもあるまい。

「いらっしゃいませ〜♪」
「うわああっ!?」

突然、脇から声をかけられ、
秀樹は叫び声を上げて派手にすっ転びそうになった。
「あら、びっくりさせちゃった?
 ごめんね、今電気つけるからさ。」
パチンと音がして、室内が蛍光灯の明かりに照らされた。
明るくなって、室内がはっきり見えたが、
全体に黒いカーテン状の布で、部屋の壁全体が覆われている他、
やはり特に何も売り物は置いていないようだった。

「ごめんなさい、久々のお客さんだから。
 今準備しますね。」
声のした方を見ると、
黒いワンピース姿の若い女が秀樹の顔を見上げていた。
肩のすぐ上ぐらいで外向きに跳ねている
栗色のいわゆるツインテールの髪型もそうだが、
何よりも背の低さから、見た目は
中学生くらいにしか見えなかった。
しかしそうだとすると、耳に光っているピアスは
中学生にしてはまだ早すぎるし、顔立ちも大人びて見えた。
しかも瞳の奥の光に、子供とは思えない妖艶さを感じる。

女はいそいそと、部屋の隅にあった丸いテーブルを
中央近くに運び出したり、足元の箱から
テーブルクロスなどを出したりし始めた。
そして、それをあっけに取られて見ている秀樹と目が合うと
嬉しそうに「にへへ」と笑った。
その幸せそうな笑顔の魔法は、秀樹の心の中に
ピンク色のぼんやりした発光体を出現させ、
警戒心という氷塊が少しずつ溶けはじめた秀樹は、
思わずこう話しかけていた。
「ねぇ、ここは何を売っている店なの?」
「んー、別に物を売っている店じゃないですよぉ。」
「え? だって、外に看板出てるでしょ?」
「だから、あのとおりのお店ですよー‥‥っと。」
女は意味不明なことを言いながら、箱の中から
大きな水晶玉を取り出し、テーブルの上に置いた。
「はいはい、じゃあこの上に手を置いてくださいね。」
思わず、言われるままに手を水晶玉の上に置きながら、
秀樹はさらに質問する。
「まさか、これを売っているの?」
「違いますって。ここは『デスカウントショップ』です。」
女は終始ニコニコと楽しそうにしながら返事をしている。
よほど客が来たのが嬉しいらしい。
「これ、占いか何かか?」
「違いますってば、もう少しですから、
ちょっと静かにして集中させてください。」

せっかく、ここまでうまく魔法をかけていたのに、
この一言が、解除のきっかけになってしまったようだ。
「おい、からかうのもいい加減にしてくれよ。」
少し、強い口調になる秀樹。
「はい? 何がですかぁ?」
TPOさえ間違わなければ癒し形のかわいい言い方だったのに、
不信感の募り始めた秀樹の心には、
かえって不快に聞こえてしまった。
秀樹は水晶玉からさっと手を放しながら語気を荒げた。
「ふざけんなって、俺は単に道を聞こうと思っただけだ!
勝手に変な占いを始めて、金を取ろうとしたって
そうは行かないからな!」
「えっ、あっ、ちょっ、違います! あ、あのっ!
もう終わりましたから!」
慌てる女を振り返ることもなく、秀樹は店の外に出た。
「えっ!? こ、これは!?」
女の驚く声が聞こえてきたが、
秀樹はもう魔法にはかからなかった。
そのまま自転車に乗り込み、
目的地の見えない旅へと戻っていった。
太陽は既に沈みかけていて、夜は間近だった。
「せっかく教えてあげようとしたのに‥‥。」
女は残念そうに、そう呟いた。

 ◇ 

秀樹は、一刻も早くこの嫌な気分を紛らわせたいと思い、
早く目的地にたどり着くために、
ペダルを漕ぐスピードを上げていた。
前方に大通りが見え、
ようやくゲーセンが存在していてもよさそうな雰囲気の
景色が現れたと思った刹那、
脇道から、勢いよくトラックが滑り込んできた。
どんぴしゃのタイミングで、グシャッという音がして
秀樹は空に舞った。
それは、一瞬の出来事だったが、秀樹にとっては
数十秒にも思えた。

 ◇

ドップラー効果で救急車のサイレンが
音色を変えながら遠ざかっていく。
野次馬の輪から少し離れたところに、
黒いワンピース姿の女がいた。
栗色のツインテールが風になびくと、
女は手に持った水晶玉を見ながら深いため息をついた。
水晶球には、デジタル時計のような表示で数字が浮かんでいた。
「まあ、さっきの時点でデスカウント『317』じゃ、
教えてあげてもどうにかなるもんじゃないよね。」
水晶の数字は秒を逆カウントするように
リズミカルに1ずつ減っていく。
5‥‥4‥‥3‥‥2‥‥1‥‥0。
それを見届けると、女はくるっと振り返り事故現場を後にした。
「どなたか、デスカウントを計ってみたい方は
いらっしゃいませんか‥‥?」
2006 05/18 17:33:05 | ショート・ショート | Comment(0)
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