大連帰国日記

2005年 06月 17日 の記事 (1件)


今日、社員の一人が辞職した。私が来たばかりのとき、生活面でのお助け係を命じられていた、事務の娘だ。直接的に一番世話になった人だろう。その頃は一番分かりやすい話し方でしゃべってくれる唯一の人だったかもしれない。
でも、来たばかりの頃の何週間かが過ぎると、ほとんど話さなくなってしまった。仕事上の接点もなく、その人自身、特に日本に興味があるわけでもなかったし、元々おとなしい人だからだろう。なおかつ社内で和気藹々とした雰囲気もないから、時間が経つにつれて自然と距離は離れていった。
特に日本語の授業。その人も社内の中級クラスに入っており、私のようなナンチャッテ先生が日本語を教えていた。が、日本語が特に彼女の生活に必要なものでもなく、興味もなく、なんとなく会社でやっているから参加しているようなものだったので、授業中当てても全然答えられなくなっていき、次第に彼女だけ脱落していった。彼女自身とてもやさしいが、キリッとしたプライドの高い人なので、そういう自分が許せなかったのだろう。授業中泣き出しそうになっていたのを覚えている。
お世話になっているナンチャッテ先生としては正直、大変迷惑な授業だった。
そして彼女は日本語学習をスッパリと辞めてしまった。私も、どうにもしようがなかった。いや、そのことには触れないで普通に接するのがせめてもの心配りだった。
その事が大きなキッカケか、距離は大きく離れてしまい、普通の社員と同じように、用があるとき以外は話さなくなってしまった。あれから半年以上、やはりほとんど話さない毎日でそれほど気にもならず、それが普通になった。

中国企業の社員は、社長以外全員契約社員である。特にこの会社は若い人だらけのIT企業なので、人の入れ代わりがかなり激しい。契約が切れたら更新するか、適当に職場を変えるのが普通の世界。
たまたま他の事務員と話す機会があったので、事務員たちの契約がいつまでかと、今後の意向を聞いてみた。
二人とも契約は8月まで。本人は辞めるかどうかは考え中で、お世話になった娘は、多分辞めるとの事。理由は2人とも同じで、仕事が退屈だから。

もうこういうのにも慣れた。最初はかなり驚いたが・・・ 大卒ならば、辞めてもまた希望の仕事が見つかる、というのが今の大連社会だ。大変羨ましい限りである。日本では辞職するならプー太郎かフリーターは覚悟だ。

じゃあ8月でこの人たちともお別れかもしれないなぁ・・・・と、思っていたらその3日後、お世話になった彼女が机の荷物をまとめている・・・事務員たちはせわしなく会議を繰り返している。聞くところ、彼女は明日で辞めるそう。 
は?? 何でそんなに急なんだ? 急である理由はわからない。多分、キリがいいとか他にいい会社が見つかった、とかだろう。

本人の口からは辞めるなんて一言も聞いていないが、無視するのも嫌だ。どうコミュニケーションとろうか迷ったが、社内メールで伝えた。「今日で辞めるって聞いたけど、本当? 来たばかりの時はありがとう。おかげさまで大連の生活に慣れることが出来ました。これから私はもう一年大連にいて、たぶん来年日本に帰ります。お元気で。」という旨を伝えた。
返信がきた。「ありがとう。。すごくお恥ずかしいです。。。ずっと自分のことばっかで、全然何もしてあげられなかった。でもあなたの幸運を祈ってます。日本に帰ったら、その経験と中国語力を生かして頑張ってください。」
ちょっとお世辞つきだ。

日本人の、特にご年配さんからしたら、何がメールだ!という感覚かもしれない。特に親からは、何のためにデカイ口をつけて生んだんだ?と言われそうだ・・・
でも経験上、この社内で人が辞職するときに、お別れの挨拶や贈り物など、しんみりした雰囲気はタブー。人が変わりすぎてキリがない。 無視して別れるか、笑顔で別れるかのどちらかだ。
私もいずれはその中の一人になる。。なれるかどうか心配だが・・・
彼女は社内で唯一、一緒に町を歩き回った人だと思う。始めはこの人とずっと連絡取り合うような仲になるんだろうなぁ、、とか思っていたが、そんな期待も空しく、あっけなく辞めていった。
ちなみに他の社員は彼女が辞めたことは知らない。多分そのうちクチコミで気づく人もいれば気づかない人もいるだろう。
分かってはいたことだが、やはりカルチャーショックと寂しさで涙が出そうになった。 やっぱり異文化に完璧に慣れるのは無理なのかもしれない。。。
2005 06/17 13:19:34 | none | Comment(0)
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