大連帰国日記

2005年 07月 08日 の記事 (1件)


例の(6/21に決まった)日本語の授業、昨日から始まった。
学習者は日本の外注担当の6人。同じ年から少し上くらいのソフトウェアエンジニアのお兄さんたちだ。
以前も授業をやっていたが、消滅した。その消滅の仕方を詳しく言うと。。。
授業の時間直前になると、みんながソワソワしだしている。ちょっと不思議に思っていたら、みんな揃ってサササッと部屋から出て行くではないか。。そして授業時間になると、、だぁれもいない・・・ナンチャッテ先生である私はポツンと取り残された。笑い話じゃない。 それからも私は離れた席からみんなの様子をうかがっており、その近くの席の人にも聞いた。どうやらみんな「飯行こう、飯。」とソワソワヒソヒソ呼びかけ、授業時間になるとサァ〜っとご飯を食べに行っているよう。なんて鮮やか! 残業で毎日忙しくて、先の見えない日本語学習なんぞしたくなかったらしい。
「授業やる?」と聞いても下を向いて、首を横にふる。あきらかにやる気がありません、とよ〜く分かった。ちょっと腹も立った。悪い人たちではない。ただやる気がなく、自分に素直なのである。それ以来希望に答えて私も授業を辞め、彼らとは仕事でも接点はないし、目もあわせない仲になった。気まずいというか、どうでもいい関係だ。でも彼らはそういう辞め方をしただけに、気まずいと思っていたのかも知れない。本当に目を合わせなかった気がする。他の課はもう少しまともな辞め方だったが。
あれから数ヶ月、上からの命令でまたやり直しだ。よりによってその「飯行こう」のメンバー。嫌味な縁だ。いい縁はないのに、変な縁は多い。
特別ギスギスしている雰囲気ではないが、授業が始まるまで、彼ら個人とはやはり一言も話さなかった。
授業間際に部長に呼び止められ、よりによって忙しかった。授業の時間になり慌て、息を切らしながらその部屋へ駆け込んだら、みんなが掃除を終えて待っていた。驚いたのはそれだけじゃなく、総監も部長もいた。私がビリだ。その慌て様を見てまず笑われた。しょっぱなから貫禄のないセンセイ。
授業のはじめ、部長や総監が叱咤激励をした。めんどくさがらず、日本語をやった方が仕事は数倍楽になる。とか、これから仕事は増えるから、いくらでもチャンスはある、しっかりやれよ。と言っていた。そして私を指差し、こいつもみんなの為のサービス残業をしているんだからと、恩をきせていた。確かにえらいサービス残業だ。毎週4回、仕事が終わってから45分×2の授業。そのための準備もしなければならないから自分の時間はすごく削られる。 が、みんながちゃんと覚えてくれれば不満ではない。 
久々の授業なので私も少し緊張した。まずは実力テスト、何時間もかけて作った45分のテスト。帰ってきた答案がちょっとおもしろい。例えば「ご飯を食べて、お風呂に入ってねます」を中国語に訳せ、と言う問題の、とある回答は「ご飯中、部屋に風が吹き入ってきた」・・・・・完璧に漢字を見て想像している。
笑ってはいけない。知らないんだから仕方ない。でも驚くべきことに、そんな簡単な文はメチャクチャでも、ソフトウェア開発に関する訳はまぁまぁ出来ている。採点する方が混乱してしまう。さすがだ。
そして今日、部長の命令で暗唱テストをした。
まず「自身がある人〜」というと、一人変わった人がパッっと手を挙げた。「自信がない人〜」と言ったら、誰も手を挙げなかっが、実際やらせたら自信がないはず・・いや自信もってはならない人が結構いた。やっぱり謙遜の美学などないんだ。
授業の雰囲気は、人にもよるが少なくとも以前よりはずっとやる気がある。日本にいけるかもしれない、というのは相当魅力的なことらしい。かといって、同僚同士明らかにライバル視しているわけではない。相変わらずさっぱりしている。。これもさすがだ。
こっちの人は日本に行けることをかなり重宝しているが、たまに日本人に会うと、結構日本の悪口が多い。不景気だとか少子化だとか政治が問題だとかで、日本はもうダメだよ。とかおっしゃり、中国定住を勧めてくるおじさんもいらっしゃる。
確かに中国の発展振りはすごいんだろう。一年間大連に住んで、あちらこちらにいろんなものが新しく建った。しかもそこへどんどん人が入る。店にしろ住宅にしろ。。
たまに実家に帰ると、逆にいろんなものが潰れている気がする。
でも私は日本の方が道を歩いていて遥かに気持ちいい。車は気をつけて渡る人を優先だし、買い物も気持ちよく出来る。駅やバス停では整列し全て平衡か直角に揃っている。
ま、人間誰しもナイモノネダリなんだろう。もし、日本に住んでいたら、中国社会がなつかしくなるはずだ。
時代の方向転換は難しい。
2005 07/08 19:30:04 | none | Comment(0)
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