大連帰国日記

2006年 07月 の記事 (5件)

無事引越しし、無事飛行機に乗れ、無事帰国しました。

いろいろ感じますね。
まず帰ってきた当日、成田から都心に出てくると、
中国に比べ、建物や道路一つ一つがかなり小さいので、コマゴマした良くできている模型の世界に入ってきた感覚がするんっすよね。 で次の日にはもう慣れているけど。。

あぁ、現実だぁ〜。。。
とか、
お金ないよ。どうするよ?
とか、
100%分かる言語、見慣れた風景、自分好みの食べ慣れた食べ物。やっぱいいもんだねぇ。
とか、思いましたけども、、
そんな感傷的な気分も風邪菌で一気に吹き飛ばされ、帰って早々風邪で寝込んでいやした。。引越しの疲れがたまっていたのか。。。

やっぱ未だに違和感はあり、町の真ん中で赤信号でみんなしっかり待っていても、一人だけ平気で渡っているし。。
それに2年間もいないとどこか浦島太郎的なところがあって、
ここにこんなんあったっけ??
とか、
うちにある新しい機械(食器洗い機、洗濯物乾燥機等)何にどう使うものか分からなかったり。。
それからちょっと驚いたのがですね、芸能人の老けたこと老けたこと。。
2年間も見ないと人間て結構変わるモンですね。。まてよ。。ってことは自分も・・・・? 笑

まぁ東京の外れに位置する実家に帰ってきたのですが、私の部屋は弟に奪われ、洗濯部屋が私の寝場所になっていた。。
うちは3人兄弟で弟が二人いるけど、下の弟だけ年が離れていてまだ中学生。家を建てる当時、彼の部屋は計算になかったらしく、部屋なしの末っ子だったけど、私が大連に行くと同時に彼は中学生に、思春期真っ只中に。こりゃぁいいや、お姉ちゃんの部屋使っちゃえー、という感覚がいつの間にか弟の部屋に。
そんな訳でうちでは引越し並みの荷物の大移動が行われている。で、ベランダ側の洗濯物の放置と畳むのに活用されていた部屋が新マイルーム♪
いいんだ。またいつどこへ行くか分からないし〜。

と言う感じで、帰ってきました。
以後、パタパターリエンは「大連在住日記」ではなくなり、「大連帰国日記」となります。
海外生活の日記ではなくなってしまいましたが、今後ともよろしくお願いします〜。
2006 07/26 11:03:23 | none | Comment(0)
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只今、部屋の片づけ中。。
あさって(いや、もう明日か)帰国します。
毎日ひたすら、帰国の準備に追われている。(片付けと手続き)
日に日にガランとしていく部屋を見て、、あぁ帰るんだなぁ、ってやっと実感が湧いてきました。←遅い
それにしても私、大学入った18の時から、一年に一回の割合で引越しばっかしてるなぁ・・・ 思えばここ6年、同じところに一年以上住んだことがありません。。。
放浪者みたいなヤツ。。

大学1〜2年、学校の寮(半年に一回部屋替え)→大学3年、下宿に引越し→大学4年、授業がかなり減ったため実家からの遠距離通学に→中国大連へ→一年後、アパートの設備と大家がかなりいい加減だった為、他のアパートに引越し→一年後、帰国。。
みたいな。
で、その度に引越ししているわけだけど、コリないんですよねぇ〜
・・・この荷物の多さ、計画性の無さ、部屋の汚さ、捨てられないセコさ・・・
けど今回ばかりは普通の引越しと違う。普通の引越しだったら、とにかく運びゃぁいいけど、今回ばかりは運んだら(郵送したら)料金がハンパじゃない!国際便の荷物郵送代って結構高いんですよ。。
わざわざ安物ばっか入った小包を郵送するより、捨てて向こうで買った方がずっとお得!
なので今回のお引越しは、「運ぶ」ではなく、「捨てる&人にあげる」なのです。
ケチで物を大事にする本能を備えた私にとって、今回の引越しは清水の舞台から飛び降りるような毎日でございます。
「この服ももうヨレヨレだなぁ。。でもまだ充分着られるよねぇ。パジャマにしちゃぇ〜。よぅし、これもパジャマ、Yシャツもジャケットもパジャマパジャマパジャマ!」
・・・・なぁんてやってるから進まないんだよな〜


そして手続きの方は、、結構面倒臭いです。
中国の手続き関係って、ひときわ面倒に感じるのは私だけでしょうか?
変なところですごく厳しい。
「えー?!マジかよ。聞いてねーぞ!」
っていうシーンがしょっちゅうあります。

国がデカくて人口が多いため、基本的に管理や説明が行き届かない中国。
普段、結構寛大でいい加減かと思いきや、ある一定の境界線を越えたところから非常に厳しく、問答無用となる。それが中国の取り締まり方なのかなぁ。。人口が多いからそういう管理になるんでしょうね。。
でも私なんかにはその一定の境界線が全く分からないわけなので、相当身構えて行動するようになります。

それから手続きを行う側の横のつながりがない。。どこの会社も人が入れ替わるのは一緒みたいで。
「伝えとけよ・・・」っていうシーンが多い。

そんな状態なので、一般の中国人もその場の窓口でいろいろいろいろ聞きます。
が、その際、日本人にとっての順番待ちと中国人の順番待ちの感覚は激しく違う。日本人は窓口に対して直角に並び、前の人が話し終わったら自分が口を出すのが常識ですね。
ですが、中国人は窓口に対し、二等辺逆三角形みたいな感じで並ぶ、、というより集合する感じ。。
ちょっと大き目の混み合う銀行だとさすがにラインが引っ張ってあるけど。
で、他の人が話中でも話し始める。窓口は聖徳太子か。
なので混んでいるときに私なんかが一人で行った日にゃぁ、ちょっと大変です。

さて、残り時間一日。最後に大連の街を心行くまで味わいに行こう・・・
ではなく、、ちゃんと飛行機に乗れるように頑張らなきゃなぁ・・・っていうレベルです〜。

2006 07/20 02:59:58 | none | Comment(0)
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いやはや、お久しぶりです。
辞職してからというもの、部屋を片付けたり、遊んでいたり遊んでいたり遊んでました。
まず行ったのは「濱峪溝」と呼ばれる風景区。
大連から北へ車で約3時間弱の、庄河市という所にあり、北方の桂林と呼ばれているそう。笑  桂林は行ったことないけど、行ったことのある人からすると全然比べ物にならないらしい。。。そりゃぁもう知名度からして全然違いますもんね。
でも充〜分きれいだった。
以下その写真です。

元々一つの山だったのがいくつもに割れたんですね〜。


岩が真っ二つに・・・ すごいなぁ。。


以上一日目。
参加したのはごく一般の大連人が参加する普通のツアー。一泊食事、ガイド全て込みで250元くらいだったかな。4000円っすよ。でも安いだけに、バスはなんかポンコツだし、田舎へ行く旅行なのでトイレや宿の設備はヒドイもんです。。。
そして二日目は山登り。
「天門山」というを登った。
小雨+霧という天気で、頂上からはあんまりよく見えなかったけど、、もうマイナスイオンたっぷりみたいな清々しい神秘的な空気だった。
初めは誰でも登れるようななだらかな山ですが、この穴から上は結構ハード。手すりにしっかり掴まりながらよじ登る感じだった。


頂上到着!でも霧が深くてな〜んにも見えない・・・


湧き水です。そのままゴクゴク飲めておいしい!


庄河市の田舎の市場。周りに何もないけど、、この辺の人はどう生活しているんですかねぇ・・・ とりあえず日用品はこうして週に何回か路上に市場が出るそう。町へ行くにはバスがあるらしい。(相当本数なさそうだけど)


そんな訳で濱峪溝観光。久々にこんなに綺麗な景色を見て、久々にこんなにワイルドに動いて、久々にこんなにおいしい水を飲んで、久々にこんなにマイナスイオンを浴びた感じで、あぁ楽しかった。
2006 07/17 19:12:01 | none | Comment(0)
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とうとう、辞めました。先週の金曜日で最後。
くどいけど、中国の会社は個人主義で人がしょっちゅう入れ替わるので、辞めたり入社したりってのは日常茶飯事。
んで、私もその辞職を味わったのですが。
普通は送別会も何もないのですが、私は日本人と言うことで、一応送別会らしき物をやってくれた。
当初は社内で会社創立記念兼送別会だったけど→社内で果物お茶会に変更→が結局は昼休み、会議室で15分程度5人くらい集まって一言言って終わった。
別にやらなくてもいいのに、、とも思ったけど、会社の気持ちと言うことでありがたく一言頂戴しました。
いくら充実しなかったとは言え、一応2年間も毎日通った会社なので、涙の一つも出るかと思いきや、、それほどグッとはこない。「郷に入っては郷に従え」と言うより、「郷に入って郷に流されました」というか。。
確かに2年間、毎日毎日顔を合わせていた社員でも個人的に会ったことはほとんどなかった。帰りに一緒にごはん、っていうのもほとんどない。プライベートな話をしたのも数少ない。というより、営業部はこの2年間で一体何人入れ替わったんだ・・・?10人まではいかないけど、、方指では収まらない。。。その度にみんなサラッと辞めていった。 
あぁ、こう言うことか。会社に仕事に思い入れないんだね。ま、だから辞めるんだよな。
会社によって部門によって全然違うだろうけど、うちは取れない営業部だったので私もハッキリ言って何の未練もないわけで。
それに他の部門の社員は私が辞めたことは知らないんですよね。うちの会社は社員70名くらいだけど、基本的に他の部門の人の名前と顔は一致しないのです。自分に関係ある人だけ少しずつ覚えていく。でも私は外国人なので、口コミでみんな分かるらしい。個別に話す人は少ないので、辞めるってことは口コミで伝わるよう。
営業と日本語教育。当初は日本語教育が主だったはずが、結局逆になっちゃったけど、日本語はなかなか面白かったなぁ。みんな若くて素直で。。
でもお蔭様でいい経験をつませてもらったなぁ。

なんかまとまってないですが、、こんな感じで辞職した。本当に「サラッ」でした。大きな国の大きな人口の中の小さな会社。これが中国社会なんですね。上流社会も多ければ下流社会はもっと多い。自分の身内や特別親しい人以外は本当にどうでもいい。それだから身内や大事な人同士で固まって生活している。
いい経験にはなったけど今後、いきなり一人で知らない地方に行って知らない会社に入るのは二度とやめよう。それから営業職も私にはNGだ。と、肝に銘じました。

これからは部屋を片付け、ビザが切れるまではちょっと中国の他の地方を旅行しようと思う。
それで日本に帰って就職活動だ!つーか私今、無職じゃん。。 キャー現実だぁぁぁ!!

2006 07/10 14:12:08 | none | Comment(0)
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サッカー、見ました?
いつもちょっと話題が去った頃に書いてますが。。。
負けちゃったけど、ワールドカップに出られるほど日本は強かったんですね。
すごいなぁ。この広いアジアで3カ国以内に入っていたとは。
と、そっちで驚いている私です。いかにサッカーに疎いかバレますね。
てっきり私は、中国が強いのかと思っていた・・・

中国人=サッカー好き です。これはホント。
野球よりもバレーボールよりも「サッカー」
そもそも野球はないし。バレーもあんまり見ないなぁ。
中国でスポーツと言えばサッカー、バドミントン、卓球ってとこかな・・・。

でも中国のサッカーは弱いらしく、ワールドカップにも出られないそうで。
これだけの人口がいて、これだけの広大な土地があって、こんなにみんなサッカー好きで、
なんで強力なサッカーチームが出来ないんだろう、、、と、私は非常に不思議です。
中国人もそう思っているそう。

そこでまた、独断と偏見で考えました。
日本の場合、スポーツやる人って学生の部活から大きなキッカケになることが多いですよね?
んで小さい頃からやるとしたら、町内会の少年サッカー(野球)チームみたいな。

中国には町内会などありません。以前(3/26)写真を載せたとおり、貧富の差が激しく、あんなに住宅が並んでいる土地。町内会の作りようがないんですね。
それに中国の学校は部活ってないんです。
地方にもよるらしいけど、中国の学校は一学年の人数が軽〜く日本の3倍以上ですかね。
遠足みたいなのでたまに中学生の列を見ますが、こっちは車で彼らは歩いていて、あぁまだいるよ、まだいるまだいるまだいるよ、・・・・・あ、やっと終わった。みたいな長蛇の列になっています。その長蛇は多分1学年。
それでクラス変えはないらしい。確かにその人数でクラス変えしたらメチャクチャになりますよね。。
んで、部活動っちゅーモンはなく、動きたければ適当に友達同士で外に出てやる。って具合だそう。

に対して日本は違いますね。私の中学は必ず、放課後は部活に入らなければならなかった。高校入試に響く、とかで。
私も部活、やってましたよ。中2から大3までの8年間。吹奏楽で。
人生の1/3、吹奏楽やってました。でも楽器はいろいろ移っていたので結局どれも中途半端。 笑
私の所属していた吹奏楽部はどれも有名な部ではなかったけど、それでも活動は毎日2〜3時間。コンサートの前は週休ゼロ日制で部活、部活、部活。
中学から大学まで、勉強と吹奏楽以外、何もしていなかった。だから卒業後にいきなり中国来ちゃうような世間知らずになっちゃったのかも。。;;

部活動とは、、練習中は指示が出たら「ハイ!」とみんな揃えて大きな返事をし、何かあったらしょっちゅうミーティングだの反省会だの打ち上げだの。 
先輩にタメ語だっただの誰々に失礼だっただの練習が甘いだの。。そのミーティングで泣く人もいれば怒る人もいれば、、と、今考えれば結構ネチネチしてましたね。
思えばあれ、日本社会の入り口だったのかな。。。
でもそんなことも含めて冗談抜きで、学生時代の部活動は楽しかったっす。

に対して、中国は部活も何も敬語も何も失礼も何もない感じ。。
中国は部活ない、って初めて聞いた時、「え〜!? なんてかわいそうなんだぁ〜 学生のうち、勉強だけかい?!」
でも中国人に部活の話をしたら逆に、
「え!?勉強以外でもそんなに拘束されて、他んところで遊ばないのか? かわいそ・・・」
と言われた。
育った環境で全然感覚は違うんですね。

でもそんな部活動の残念なところもたくさんあるのが現状。
直接就職には全然関係なく、あくまでも趣味の世界。その中でプロになるのは極々わずかで。
むしろそれによって他の事がおろそかになっていく人の方が多いのが現状。
それを考えると、中国の高校みたいに夜まで補習授業で管理された上で勉強するのが、将来性はあるのかも分からないです。ま、中国の中・高校は私も行ったことないので分からないのですが。。。
話によると、人によっては高校から全寮制。
んで、授業は夕方4時だか5時ごろまでだそう。1.2年のうちはそんなもんで、3年になると夜まで補習だかなんだかの授業があるそう。日本よりも格段に授業の時間が多いみたいです。よくやってられるよなぁ。。
でも日本は大体塾とか予備校に入るから、、、ま、結果的に授業時間はそれほど変わらないか。。。

で、ですね。中国に野球がなくてサッカーも弱いのはもしや、、部活がないから・・・?なんて思った。
でも、、卓球は強いですよね・・・
あ、簡単に矛盾しちゃった。。。


2006 07/01 20:16:37 | none | Comment(0)
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