ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず(四条金吾殿御返事、一一四三ページ・編八八〇ページ) *通解 ただ、世間の種々の難が起こっても、とりあってはいけない。賢人や聖人でも、この留難は逃れられないのである。 1996年1月17日付
母の死、父の喉頭ガン等、さまざまな試練を信心根本に乗り越えてきました。その後、結婚し、子供が小・中学生の時、地域に貢献できればとの思いから、PTAの役員、会長を進んで務めてまいりました。多くの人とのかかわり合いのなかで学ぶことも少なくなく、忙しいなかにも手応えのある日々を送っていました。 ところが、そうした私の思いとは裏腹に、心ない噂を聞くようになりました。 深く悩んだ末、私はこの御文を拝し、“地域の人から誤解を受けたからといって、相手を恨んだり、争ったりしてはいけない。真意を話せば必ずわかってもらえる”と決意し、子供たちのため、地域のより良い環境づくりを目指して少しでもお役に立ちたい、との心情を語っていきました。 また、会館での展示会の催し等にも地域の友人を積極的に招待。こうした行動を重ねるなかで、誤解も次第にとけ、逆に学会理解の輪が広がるようになったのです。 過日の鼓笛隊四十周年記念総会にOBとして参加した折、スピーチに「善のために立ち上がる人は、どうしても批判されるものです。……だから強くなくてはいけません。勝利は、強くなければ勝ち取れないのです」とありました。 「新世紀・大勝の年」の本年、「大座談会運動」の取り組みを通し、正義の対話で、更に共感の輪を幾重にも広げてまいります。(東京・大森<区>副婦人部長)
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