いくつぐらいだったのだろうか。
 雨は既にふりはじめていたのに、
 きっと、不器用に梯子を伝って、屋根の上にのぼり、
 シャボン玉をとばしていた。
 吹き出されたシャボン玉が、いきよいよくとび、雨と風に
 桾(ふし)染されてゆく。

  オキナワの民家は大抵が平屋だった。
  下では、私の名前を呼んで探している。
  いつものことだと、なぜ諦めないのか。
  抛っておいてくれればよかったのだ。

    こうちゃ〜〜ん!!こうちゃ〜〜〜〜ん!!!

  返事なんかしてやるものか。
  恐いものなんてなかった。
  暴風も、豪雨も、ともだち。
  雷様は、親友だった。
  からだがいくら濡れたって、気にならなかった。
  濡れた瓦はよく滑る。それがどうした。
  滑って落ちたら、それまでのことだ。
  落ちる不安にさらされながら、危ないことする奴はいない。
  落ちる不安なんて全然ないから、あぶないことができるんだ。

  ガジュマルの樹が咆哮してる。
  この樹には、死人の魂が集うという。
  闇夜の午前零時、魂が妖しく蔓や木肌を赤錆色、
  ほのかにまぶくという。
  見たことはない。
  でも、抱きつくと、冷たい。

  「おまえは、ひとりじゃないんだね?おともだち、たくさんいるんでしょ?ぼくは、いつもひとりさ。こうしておまえに抱きついていたって、ひとりなのさ。つまらないよね。だから、おまえのともだちに逢わせてよ。おねがいだから、逢わせてよ。なかには、ちいさな子供だっているんでしょ?」

  約束通り、おまえの好きなシャボン玉とばしているよ。
  さぁ、おまえも、約束守ってよ。
  おまえのおともだち、逢わせてよ。

  私は、独り言をよくする子供だった。
  咎められることもあったが、
  どうしていけないことなのか、理解できなかった。
  言葉は、相手がいて使うものだって理屈が、
  どうしても飲み込めなかった。
  言葉は、自分のものじゃないの?
  自分のものを、自分がどう使ったって、構わないんじゃないの?
  僕は、僕だけのための言葉しかもっていない。

  瓦がかたかた鳴り出した。
  私を空へ舞いあげようと突風が大地から立ち上がって来る。
  横殴りの雨に、眼を開けていられないけれども、
  私は、ガジュマルをずっと見ていた。
  蔓が風に巻き上げられ、
  封じ込められるように雨に包まれて、
  ちぎれて、はじかれる。

  痛いかい?痛いよね?おひげはおまえの心のヒダだよね?心が千切れてゆくって、どんな感じ?それは、とっても寂しいの?それはとっても、やるせないの?教えてよ。僕のこの胸の痛みと、おんなじかい?

  雨雲の真ん中に雷雲が拡がった。
  ぴりぴり、怒ってるみたいに、じぐざぐの光が点滅してる。

  雷さん、落ちてくる?落ちてくるなら、僕に向かっておいで!おまえの光で、僕を焼け尽くしてよ!!

  光の枝がどこかに落ちた。
  つづいて、音がとどろく。
  変な感じだ。
  音って、どんくさい。

  もうひとつ、落ちた。
  綺麗な光の枝条、
  見知らぬ電磁の世界の王様さ。
  あらゆる音が、かしずく。

  だんだん近づいてくる。

  いよいよ、僕だね?僕に落ちてくれるんだね?もう、天使は要らないよ。扶けてくれなくったっていいよ。がんがんしびれて燃えるって、どんなんだろう。胸は高鳴り、血と肉は踊り、心はいちじるしく放電する。

  だけど、落ちたのは、
  僕の大好きなガジュマル君だった。
  激しい閃光で眼が一瞬眩んで、べきべき、避ける音、
  そして音と同時に、真っ赤な焔が翔んだ。

  その時だよ、ガジュマル君は約束を守った。
  べきべき音をたてながら、折れたその裂け口から、
  数千もの丸い光るビー玉が空に舞い上がってゆく。

  おともだちだよね?君たち、どこへゆくの?空へ帰るのかい?ねぇ、こんにちは、僕は、こうちゃんっていうんだ。知ってる?僕も、おねがいだから、連れていってよ!!

  つれないね。一緒にはいけないんだね。じゃ、君たちに花を贈るよ。石鹸の泡だけど、シャボン玉っていうんだ、綺麗なんだよ、虹色にかっこいい円を描いて、ふわふわさまようんだ。ほら、こうだよ。ほら、たくさん飛んでるだろう?嬉しいのかい?あ、嬉しいんだね?だって、あんなにくるくる回ってる。

  さよなら、死人たち、さよなら、大好きだったガジュマル君。さよなら、さよなら、さよなら!!

  

    しばらくのち、
    救い出された私は、叱られることもなく、
    翌日、違う家に向かって旅立つ。

  今度は、どんな人がパパとママになるんだろう。
2010 03/21 11:58:03 | none
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