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狂いの少ない時計
狂いの少ない時計のネジ巻いている。
永遠に、永遠に巻き続けている。
もし時が現し世ならば、
女は分針で、男は秒針だろう。
女は10億9百15万2000回、
嘘を装い、
男はその2.34375倍、
嘘に惹かれる。
敷き詰められた罠に、
しみこんだ芳香、
朝と夜も識別できず、
行き止まりを選ぶ岐路。
折り畳まれ折り重なった歯車が、
刻みつける
容赦ない流れの中、
乾燥した夜に、
季節がないように、
細い帯状の光を目指して、
歩き続ける孤独と希望のように、
色変わりした
かの世の乙女達が、
くる日も、くる日も、
気炎を上げては嘆き、
嘆いては痛飲し詩を謳う。
あのなまめかしい野戦址は
凝縮された空に思念となって漂う。
やがて雨となり地に落ちてくる。
その滴は、思念です。
乙女達の、愛や葛藤や挫折や絶望の溶けた思念です。
狂いの少ない時計が狂う時、
地は裂け、天は咆哮し、
海は巨大な波を立ち上げる。
西に起こった地の揺れは、
東に針路を変えて襲い来る。
東の地の揺れは、北へ転じ、
南へ来たる。
光とともに産まれしものは
分裂を繰り返し、
ひとつの結晶となってゆきます。
狂いの少ない時計に性別はありません。
父もなく、母もない。
兄も姉も弟も妹もいない。
狂うように狂わぬ定めを背負いしこの存在は、
狂うように過たない時を刻んでゆきました。
この存在の正体をそろそろ明かしましょうか?
それは、
デオキシリボ核酸。
「n」で表される、ゲノムです。
人間どもは、心がけずに、
これからもずっと、
狂いの少ない時計のネジを巻いている。
1976年 より (改稿)
当時私は、大阪府吹田市山手町にて、ひとつ年上のOLと同棲していました。僅かな学生時代。
変な詩を書く、小生意気で、はにかみ屋の年下の男を、彼女は、いつも黙って見守っていた。
出来上がった作品を彼女に見せると、
”わたしには、判らない” と決まって困った表情で、申し訳なさそうに謝ってばかり。
理解してもらえなかった彼女を、一作だけ、泣かせた小品がありました。
捨てられていなければ、今も、それは、彼女が保管しているでしょう。
”これだけ、ねぇ、おねがい、これだけわたしにください”
彼女が私に甘えた最初で最後のおねだりでした。
「紫陽花」という短編小説だったっけ。