あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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今回の旅行は、本島から宮古島間行程は子供にすべて計画してもらってインターネットやパンフレットで調べたのは、出発2日前でほとんど行った所任せの旅でした。そんな状態でしたので、この多良間島に行ってみたいというのは、どうせ二度と行けないかも知れない所なので、宮古島の地図を見ますとさらに南に位置している大きな島があり、この際行ってみるかというのが動機でした。宮古島で次はどこに行くのか聞かれ、多良間島ですと答えますと、あんなところ行っても何もないという人、何も無いから価値があるという人。5日間のうち1日を当て、飛行機代も馬鹿になりませんから、失敗したかなと思っていて、実際行き予約したレンタカー屋さんでお聞きしたら、周囲25kmの島で、ダイビング以外には2箇所ほどの見所があるという返事でがっくりしながら出発したのですが、とんでもない違いでした。ところどころに、村教育委員会の立てた説明看板があり、最初は一つ一つ見ていたのですが、そのうちに時間が無くなり、日帰りコースの場合の滞在可能時間4時間が近づき消化不良で帰りの途につきました。日本本土の南方の島ですから、海から近づいてくる船舶の監視には大きく貢献したようです。その役所の史跡がいくつかあり、何十種類という南国の植物園。礼拝場で「御獄」と呼ばれるお宮。中にはここで官吏の夫を子供とともに見送ったと言うところもあり、就職で島を出て行く子供たちを見送った歌などもありました。途中に「宮古市の森」というものがあり泊まっていた宮古島市が作ったところかと行ってみましたところ、岩手県に宮古市という所があり昔江戸に荷をつんで帰りに難破して75に日流されて着いた所がこの多良間島で昭和になって寺の古文書からそのことが分かり、祖先を助けてくれたお礼にと、宮古市と多良間村の友好を示す象徴に作られた所のようです。それと暖かいせいもあるかもしれませんが木が大きく木々のトンネルを走れます。私たちの泊まっていた宮古島は大きな木というものが少なく、風が強いのかなと思っていたのですが、戦後切り出されてしまったかもしれません。時間が無く村の歴史資料館に行けずじまいでした。島内だけをじっくり回るだけでも3日は欲しいと思いました。帰りにレンタカー屋の送迎の人にお聞きしたら、近辺の島々も回るなら5日必要とのことでした。なお、文中呼称が私の記憶違いで違っているところが多いと思いますので、興味のある方は、インターネットで調べてみてください。
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