あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
多良間島について書き残しておきたいことが二つあります。

その一つは、子供たちがとても明るいのです。私達がレンタカーを借りて回りだし最初の村教育委員会の説明看板を見て車を降りた所へ、通りがかりの自転車に乗った二人の子供が通りかかり案内してくれたのです。ここは昔の水汲み場のあった洞窟と、お風呂代わりに使っていた水の出る洞窟で、どちらも今は使われていないので、天井が崩れているのですが、説明してくれこちらの方は危ないから村の人でも入らない、僕らも入ったことは無いとの事。もう一方は、入れるけれど蝙蝠がいると教えてくれました。大人を全く疑っていないのです。本土では、大人が声をかけてきたら逃げろとか、知らない人には近づくなとか教えなければならない現実ですが、これにはビックリしました。しかし考えてみるまでも無く、人をいつも疑っていなければならない状態で育った子供たちが大きくなった時一体日本はどうなるでしょうか。

そういう社会にどうしてなってしまったのか、これは、家庭と地域社会が崩壊したためだと思うのですが、日本人は働かされすぎたのではないでしょうか。

学校の先生の責任では全く無いと思います。先生方の育った環境も社会も、高度成長真っ只中のことで、親は仕事仕事で家庭を放置はしないにしても、人間的な触れ合いは以前に比べて少なくなり、子供たちは受験受験で追いまくられ、受験用の知識だけを詰め込まれ、子供を育てるといった観点での教育を受ける機会は少なくなり、そういった状況で卒業。教師になった人が以前にもまして多くなってきたと思います。昨年教育専門の学者の講演をお聞きした時、今の日本で一番悩める子供は、高校の先生の子供で、相談に来たとき親の職業を聞けば高校の先生が多いとの事でした。多良間島の子供たちと私の住んでいる地域の子供たち、それよりグット都会の子供たち、山間部の子供たち、私は、観光ご紹介であちらこちら歩いているのでその経験上から見ますと、どう見ても違います。

そして今また、貧富の差を広げ、教師には更に仕事を押し付け、いっそう働かなければ家庭が維持できない状況に追いやろうとしていますが、こんなことをしていれば、いっそう家庭と社会は崩壊し、いろいろな不幸な出来事が頻発する事態になるのではないか、こんなことも考えさせられる旅行でした。

それともう一つ驚いたことは、昔から水浴する所が男女別々であったということです。私は今60歳ですが、確か小学校時代まで、親戚の家に行っても、村の男女一緒のお風呂を使っていましたから進んでいたのだなあということです。

ともかくいろいろの所を歩いて見ますと、この年になっても初めて知ったということが多いので、若い時からできるだけ、多くの所を旅行してみることが大事だと思います
2006 12/12 06:33:01 | none | Comment(0)
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