思索に耽る苦行の軌跡

――そもそも《反体》は生に対する死と同類のものではないのか? 





――違ふ……そんな気がする……。





――違ふか……。





――…………。





――…………。





――多分……《反体》は《実体》の死を誘発する何かさ。





――死を誘発する何かだとすると《反体》は死とは別の何かだな……それが《主体》内部に潜んでゐるとなると……これは《主体》にとって大事じゃないかね? 





――さうさ。《主体》は既に狂乱状態じゃないか? それにも拘らず今まで誰も《反体》を《反体》と名指さずにやり過ごさうと躍起になってゐたが、最早それが限界に達した……。つまり、《実体》たる《主体》はちょっとした事が切っ掛けで爆発してしまふ臨界状態にある。





――それを鎮めるのが、つまり《反体》か? 





――いや、《反体》は寧ろ《主体》の臨界状態を破り《主体》を爆発させる誘発剤になってしまふ筈さ。





――へっ、つまり《主体》の相転移か? 





――さう――。《主体》は一度滅んで相転移をする外に最早《主体》が存続する余地はこれっぽっちも残されてゐない。





――《主体》が相転移するには《反体》が必須といふことか――。





――つまり、《主体》は《主体》を後生大事にしてきたそのつけが今の《主体》に回って来たのさ。





――所詮、《主体》は《主体》に過ぎぬといふ事か……。





――そして《主体》は《主体》でしかない為に自壊してしまった……。その時になってやっと《主体》は《反体》と共存してゐることに気付いたのだ。全く、時既に遅しだ。





――すると《主体》内部は《反体》の天下か? 





――さういふ事さ、へっ。





――ふっふっふっ、さうすると《主体》はその身を矛盾に捩じりに捩じられ息も絶え絶えにやっとその存在を維持してゐるに過ぎぬといふことか……。





――へっへっへっ、《主体》の滅び方程みっともないものはないぜ。





――そんなに醜態かね、《主体》の滅び方は? 





――ああ、見るに堪へないね。滅ぶならもっと潔く滅んだ方が《主体》剿滅後に出現する新たな《何か》の為だよ。





――さて、《主体》は剿滅すると思ふかい? 





――ああ、如何あっても滅んでもらはないといけない。





――ちぇっ、結局《主体》は《主体》であることを持ち切れずに邯鄲の夢を見てゐるに過ぎぬのか――。





――さうさ。そんな奴等はさっさと此の世から退場するのが筋だ。





――《主体》が此の世から退場したとして、その後存在は自身を何と名指すのだらうか? 





――へっ、《実体》と《反体》の対消滅によって新生する《何か》が存在自体に君臨する筈さ。





――新しき《何か》が対消滅によって新生すると思ふかい? 俺は如何もさうは思へぬのだが……。





――つまり、相変はらず《主体》は生き恥を曝し続けると? 





――ああ、《主体》はとことんその生き恥を曝し続けるに違ひない。





――それでも《実体》と《反体》の対消滅は起こり、《主体》は此の世ならぬ《光》となって此の世から消え去る……。





――それでもその対消滅の残滓は残るさ。





――残ると思ふかい? つまり、《実体》と《反体》は等価ではないと? 





――等価であっても《実体》と《反体》による対消滅の衝撃はSoliton(ソリトン)の如く、つまり永劫に消えぬ孤立波となって此の世に残るのさ。





(十九の篇終はり)







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http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-05367-7.jsp





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2009 02/09 04:08:22 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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