と、さう私が吐き捨てると同時に《そいつ》は完全に私の瞼裡の薄っぺらな闇の中にその気配を晦(くら)まし、はたと消えたのであった。
――姑息な!
と思ひながら、私はゆっくりと瞼を開けて世界を眺めるのであった。
――ほら、其処だ!
私はぎろりと眼球を動かし、私の視界の縁に《そいつ》がゐるのを確認すると、
――何のつもりかね?
と、私が問ふと《そいつ》がかうぬかしよるのであった。
――いや、何ね、俺も∞に重なってみたくなったのさ。
――∞?
――それは、つまり、俺の瞼裡には∞はないと?
――瞼裡の薄っぺらな闇も闇には違ひなく、へっ、詰まる所、闇といふ闇には零と∞の区別はないのさ。
――だから、また、俺の視界の縁をうろちょろし始めたと?
――ふっふっふっ。何せ此の世の裂け目としてお前といふ《存在》は目を開けたのだから、つまり、お前は此の世に誕生してその目玉を開けて世界を見てしまったのだから、零と∞は、無限を内包し、既に開かれてしまったのさ。くっくっくっ。
――つまり、目玉を開けることが即ち世界を裂く行為に等しいといふ事かね?
――さうさ。盲た人には誠に誠に申し訳ないが、眼球を此の世で開けるといふ事は、世界に《穴》を開ける事に違ひないからさ。
――《穴》? それは《零の穴》でも《∞の穴》とも違ふ《穴》かね?
――つまり、その眼球といふ《穴》は、《闇》として重なり合ってゐた零と∞を仮初にも分かつ此の世に開いた《零の穴》、否、《一の穴》とでも言ふべきかな。
――へっ、《一の穴》? そもそも《一》に《穴》はあるのかね?
――仮初にも《一の穴》は仮象は出来る筈だ。
――例へば?
――例へば、此の世が複素数ならば、当然、此の世に《存在》する森羅万象は、己を《一》として自覚しながらも、その《一》は《零》にも《∞》にも仮象出来てしまふのさ。
――つまり、それは《存在》が特異点を内包してゐるからだらう?
――さう。距離が《存在》しちまふが故に過去世若しくは未来世でしかない世界の中で、唯、《吾》を《吾》と自覚した《存在》のみは未来永劫に亙って現在に独り取り残されてあるのみ――。
――さうすると、現在とはそもそも世界=内においては特異な現象といふ事になるが、さう看做してしまって良いものか……?
――ふっ。現在が此の世に《存在》する事がそもそも異常なのさ。
――異常? ふむ。現在は去来現(こらいげん)の中では異常な事象か――ね……。
――お前はすると現在を何だと思ってゐたのかね?
――現在が此の世の度量衡だとばかり考へてゐたが、さて、その現在のみが去来現において特異な事象であるならば、ずばり聞くが、実存とはそもそも何の事かね?
――へっ、《吾》の泡沫の夢に過ぎぬ《もの》さ。
――泡沫の夢? すると、実存とは《吾》の勘違ひに過ぎぬと?
――《吾》を《一》の《もの》と規定しなければ、《吾》は《吾》といふ《存在》に一時も堪へられなかったのさ。そして、これからも《吾》は《吾》を恰も《一》の《もの》であるかのやうに取り扱ふ以外に、最早、為す術がない! しかしだ、《吾》が《存在》である以上、《吾》は特異点を何としても内包せずば、これまた一時も《存在》出来ぬのだ。
――それはお前の単なる独断でしかないのではないかね?
――ああ、さうさ。俺の独断論に過ぎぬ。しかし、此の世が去来現としてあるならば、現在のみが特異な現象でなければ《存在》は特異点をその内部に内包出来ぬ筈なのだ。つまり、《吾》の頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象群は、元来、因果律は壊れて表象されるだらう?
(九の篇終はり)
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