――つまり、それは、此の世が、そして此の世の森羅万象が《実在》、ちぇっ、《存在》する事に既に虚数iのi乗といふ数学的に、また、論理的にも確実に実数として此の世に《存在》する法と言ったらいいのか、その主体ではどう仕様もない法に此の世のあらゆる《存在》は「先験的」に、へっ、支配されてゐて、それに対して《存在》は手も足も出ないといふ事かね?
――だったらどうだといふのかね?
――別にどう仕様もないさ。
――無と無限と虚、若しくは空を操る《もの》、既に《存在》の秘密を見し――か――。
――その空は、色即是空、空即是色の空だね。
――さうさ。
――すると、或る意識、へっ、俺は《存在》する《もの》全てに漏れなく意識は宿ると看做す悪癖があるが、仮に意識といふ《もの》が森羅万象に宿ってゐるとすると、それもまた無と無限と虚、若しくは空の仕業かね?
――それ以外に何が考へられるといふのかね?
――さうすると、その無と無限と虚、若しくは空により組み上げられた《もの》の総称が色といふ事かね?
――ふむ。色か……。敢へてさう看做すのならばだ、無と無限と虚、若しくは空のみで色を論破出来なければ、つまり、色が、無と無限と虚、若しくは空から説明出来きねば、へっ、《存在》はそもそもが矛盾した《もの》だと烙印を押したやうなもんだぜ。
――《存在》はそもそもからして矛盾した《もの》ぢゃないのかね?
――ふん、さうさ。この《吾》といふ《存在》はそもそも矛盾してゐるが故に思惟せずにはいられぬのさ。
――またぞろ、cogito,ergo sum.の出番か……。この頭蓋内といふ闇たる五蘊場の何処かでぽっと発火現象が起きると、少しの間も置かずにその発火現象に誘はれるやうにして、別の五蘊場の何処かで発火現象が連鎖的に起こり、それらが、或る表象をこの頭蓋内の闇たる五蘊場に浮沈させては、否、生滅させては、へっ、此の世の儚さと己の儚さとに同時に思ひを馳せながら、この《吾》といふ《存在》は、それでも「《吾》たらむ」として、無と無限と虚、若しくは空と対峙する。
――色即是空……か。もう何百年も前にこの思惟する《存在》は、空として虚数iの《存在》を予言しちまってゐた。
――さうさ。例へばだ、現代人の思惟行為は何千年も前に此の世に《存在》して古代人の思惟行為を遥かに越えてゐたと、お前は看做せるかね?
――ふむ……。いや、さう看做せる筈がないぢゃないかい。
――さうさ。現代人の思惟行為、若しくは思惟活動が、何千年も前に此の世に《存在》した意識体に優ってゐたといふ証拠は全くと言っていい程、皆無で、むしろ現代に《存在》させられちまった意識体は下手をすると太古の昔に憧れさへ抱いてゐる。
――例へばだ、犬の思惟と人間の思惟のどちらが優れてゐると思ふかね?
――ちぇっ、下らぬ。その問ひに何の疑念も抱かずに「人間!」と答へる輩は、愚劣極まりないぜ。犬も人間も、多分、同等な筈だ。
――さう、同等だ。現代に《存在》しちまってしまった《存在》は、それが何であれ全て同等さ。
――さて、それぢゃ、何故に同等なのかね?
――答へは簡単ぢゃないかね。此の世の森羅万象は残らず無と無限と虚、若しくは空に絶えず曝されてゐて、此の世に不運にも《存在》しちまった《もの》全てはそれを我慢してゐる。
――己の滅びを我慢してゐるのだらう?
――否、己の《存在》その《もの》を我慢してゐるのさ。
――へっ、結局、無と無限と虚、若しくは空の総体としてしか、此の世に《存在》出来ぬ《もの》は、此の世の摂理に従はずば此の世に《存在》する事を絶対に許されぬといふ事に帰結しちまふか――。
(七十の篇終はり)
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