――《存在》は唯一つ大事な事を亡失しちまてゐる振りをしてゐる。
――それは……《死》だね。
――さう、《死》さ。頭蓋内の漆黒の闇たる五蘊場に生滅する数多の表象群をコツコツと具現化することだけに感(かま)け、挙句の果てにその頭蓋内の漆黒の闇たる五蘊場で表象した《もの》を外在化し、その事に見事に成功した筈なのだが、しかし、その本質はといふと、へっ、全て《死》と紐帯で繋がってゐなければ、そもそも表象すらでない事を、《生者》、つまり、《存在》は見事に亡失し果せた振りをして見せたのだ。
――しかし、その振りも最早限界に来てしまったのだらう?
――さう。最早《自然》に対して余りにも羸弱なこの《人工世界》は、その本質が《死》故に、絶えず《生者》は自殺へと誘はずにはゐられぬ。
――つまり、この《人工世界》は絶えず《存在》を《死》へ誘ふと?
――さう。
――それは、つまり、《存在》の本質が《死》だから、この頭蓋内の闇に明滅する表象を具体化し外在化した《人工世界》は、《死》の具現化へと行き着く外なかったと?
――違ふかね?
――違ふかね? すると、へっ、《生者》は《存在》の代表者面をして、最も《生者》が忌避したかった《死》を、この《人工世界》つまり、街として具現化してしまったといふ事かね?
――さうさ。更に言えば、街が計画的に造られてゐればゐる程、《死》に近しい。
――つまり、それは敗戦後の闇市的な猥雑な《場》こそ《生》に満ち満ちた人工の《場》たり得た筈さ。
――つまり、焼け野原といふ一つの主幹たる戦前の継続し得たであらう街がぽきりと折れた後に、蘗として猥雑極まりない闇市が自然発生的に生まれた筈だが、その蘗たる闇市的な生活空間を、後知恵に違ひない都市計画なる鉈(なた)でばっさりと切り倒され、其処に現出した人工的な更地たる時空間、つまり、蘗が全て切り倒された様相の街が此の世に出現し、そして、其処に人力以上の動力やら重機で人一人では全くびくともしない《人工世界》が造り上げられた。
――へっ、つまり、それが徹頭徹尾《死》の具現化でしかなかったと?
――違ふかね?
――違ふかね?
――でなければ、この人工の街で《生者》が次次と自殺する筈がないではないか?
――つまり、この《人工世界》は絶えず《存在》を《死》へ引き摺ってゐると?
――違ふかね?
――ぢゃ、人類の叡智とは、結局、《死》の具現化に過ぎなかったといふ事だね?
――否、人類の叡智といふ《もの》は人一人でのみ体現できる、否、人一人で生きて行ける《もの》こそ人類の叡智であって、科学的技術といふ名の《知》は、《存在》の《生》とは全く無関係な代物で、叡智といふ《もの》は、人一人で具現化出来る《もの》であって始めて叡智と呼ばれるのであって、人一人で具現化出来ない《もの》は叡智とは言はないのさ。つまり、《生》に関して言へば、百年前と同じで、人類は何一つ《生》の様相を変へる事が出来なかったのさ。変わったのは全て《死》の様相さ。
――《知》は叡智にはなり得ぬと?
――ふむ。多分だが、科学なり生命科学なり化学なりの高度極まりない《知》が叡智へ相転移を遂げる鍵を《存在》は未だ見出し得ぬのが正直なところさ。
――つまり、此の世に《存在》するといふ事は、《神》の夢の途中といふ事かね?
――此の世の摂理が《神》による《もの》だと看做したければさうすればいいのさ。但し、摂理が摂理たる鍵は未だ何《もの》も見つけられず仕舞ひだ。
――では、その鍵を見つける手立ては?
――《現実》を本来の《現実》に戻せばいいのさ。
――本来の《現実》?
――さう。本来の《現実》さ。《存在》にとって最も不便極まりないのが《現実》だといふ事を思ひ出すがいいのさ。
――ふむ。《現実》は不便な《もの》か……。
(六の篇終はり)
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