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私の内界の何処かには風穴のやうな穴がぽっかりと開いゐて其処を一陣の風が吹き渡るときの寂寞感が何故か堪らなく好きであったのでその穴を「零の穴」と自身秘かに名付けてその穴について暫くの間詮索せずに抛って置いたのであった。
しかし、寂寞は一方で人間にとって堪らないものであるのは確かで私も次第にその寂寞に堪えられなくなったのは想像に難くない。
或る日、寂寞に堪えられなくなった私は「零の穴」の探索に取り掛かったのであったが、それを見つけるのに二十数年を要することとなった。
つまり私は堪え難い寂寞に二十数年間苦悩し続けたのであった。
――あれか、『零の穴』は……
其処は月面のやうな荒涼とした世界で「零の穴」は直径一メートルくらゐのクレータのやうであった。
さて、「零の穴」を覗き込むと音にならない音と言へばよいのか、何とも奇妙な寂寞とした音未満の音が絶えず噎び泣いてゐたが、「零の穴」は正に漆黒の闇また闇の底知れぬ穴であった。
暫く「零の穴」を覗いてゐると何度となく漆黒の闇にオーロラのやうな神秘的なぼんやりと発光する光とも言へない光の帯が「零の穴」全体に波紋のやうに拡がっては消え、すると「零の穴」を一陣の風が吹き抜けて行った。
――成程、これが『虚』の世界か。あの神秘的な光の帯が未だ出現ならざる未出現の存在体なのか。埴谷雄高は『死霊』を完成させずにあの世に逝ってしまったが、何やら『虚体』の何たるかは解ったぜ、ふふっ。
「零の穴」。それは存在以前の物ならざる波動体――これを「虚の波体」と名付ける――が横溢する所謂数学的に言へば虚数の世界、つまり確率論的な波が無数に存在する世界なのであった。
そして、あのオーロラのやうな神秘的な光ならざる光の帯こそ「虚」が「陰」に変化(へんげ)した、これまた未だ出現ならざる未出現の存在――これを「陰体」と名付ける――なのだ。埴谷雄高は「虚の波体」と「陰体」とが未分化まま虚体の正体が明かされることなく永劫に未完のまま『死霊』を終へてしまったが、さて、「陰体」とは数学的に言へば虚数を二乗して得られる負の数のことで、この「陰体」を更に具体的に言へば、闇の中にひっそりと息を潜めて蹲って存在してゐる物のことでそれらは「光」無くしては其の存在すら解らぬままの存在体のことである。
――Eureka !!
そして、作曲家・柴田南雄の合唱曲のやうな旋律ならざる声の束がやがて風音に聞こえてくると言ったら良いのか、そんな「零の穴」を吹き抜ける一陣の風が噎び泣く音が今も耳にこびり付いて離れないのであった。
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