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物理の初歩を知ってゐるならば距離が時間に、時間が距離に変換可能なことは知ってゐると思ふが、さうすると、私から距離が存在してしまふとそこは過去の世界といふことになる。つまり私は過去の中に唯独り現在として孤独に存在してゐるのである。
――其処。
と私が目前を指差したところで其処は最早過去に存在する世界なのである。
これは考へやうによってはとても哀しいことであるが、私たちはこれが普通のこととして受け入れてゐるである。
しかし、これが一端到達すべき目的地が私に発生するとその目的地は過去から未来の世界に転換してしまふのである。つまり、過去は未来に、未来は過去にと未来と過去は紙一重の関係で過去と未来は入れ替はりが可能な摩訶不思議な関係にあるのである。
さて、先に現在は私と言ったが、それはつまり過去か未来の世界の孤島として存在する現在の私の現在は外界と接してゐる皮膚のみといふことである。私の内界はさうすると当然未来といふことになるが、しかし、よくよく考へてみると私の内界では未来も過去も関係なくある種自在感を持って過去と未来を行き来してゐるやうにも思へるのだ。
つまり、私は過去でも未来でもない現在といふ所に保留されたまま存在してゐるといふことになる。だから瞼を閉ぢて出現する闇に未来も過去も関係ない「現在」といふ表象が浮かんでは消え、また浮かんでは消えてを繰り返し、私は「現在」で逡巡しながら未来へと歩み出してゐるのである。
ところが私の内界には限りがある。つまり死を必然のものとして賦与されてゐるのである。さうすると中原中也の『骨』といふ詩が不思議に味はひ深い物となってくるのだ。
中原中也の『骨』の出だし――
ホラホラ、これが僕の骨だ、
……
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