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漆黒の闇に包まれたその虚空には遠くで鳴り響く天籟のかそけき音が幽かに耳に響くのを除けばその虚空もやはり闇以外の何物でもなかった。彼にとって闇は無限といふものへ誘ふ何か奇妙に蠱惑的な神秘を惹起させるもの以外の何物でもなかったのである。彼にとってその闇の虚空を覗く時間は至福の時であったのだ。
彼の机の左上にはいつも彼が学生時代に手に入れた古代人の髑髏が一つ置かれてあった。初めは唯研究目的で手に入れたその髑髏は何時の頃からか彼を無限へ誘ふ装置として欠かせないものとなってしまってゐたのである。
最初は何気なく髑髏の窪んだ眼窩を意味もなく覗き込んだだけのことであったが、それが彼の胸奥に眠ってゐた何かと共鳴したのか仕舞ひには病みつきになってしまったのである。
彼の髑髏の眼窩を覗き込む儀式は斯くの如く執り行われるのであった。まず、髑髏を覗く前に真夜中の夜空を数分見上げ続け、そして即髑髏の眼窩を覗き込むのであった。多分それは眼前の虚空に宇宙を思ひ描くために行われてゐたに違ひなかった。しかし、彼の眼前に宇宙が出現してゐたかどうかは不明である。
――何たる光景だ。今は髑髏になってしまったこの人の脳裡にも必ずこんな光景が浮かんでゐたに違ひない。無数の星が明滅してゐるではないか。凄い。そして、彼方此方でその星星が爆発としてゐる……。これが宇宙の死滅の光景か……。ブラックホールは何処だ ! これか。あっ、ブラックホールがぽっといふ音にならない音を立ててゐるかのやうに消えたぞ。凄い、凄過ぎるぞ、この光景は……。
彼が真夜中髑髏の眼窩を覗いて何を見てゐたのか誰も解らない。彼は不意に意味もなく自殺してしまったのであったから……
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