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川面をずうっとゆったりと眺めるのには川の流れの進行方向に対して右岸から眺めるのが一番である。つまり、水が左から右へと流れ行く様が大好きなのである。その理由の淵源を辿って行ったならば八百万の神々に行き着いてしまったのであった。
それは絵巻物を眺める様によく似てゐる。紙自体は右から左へと流れるが紙上に描かれてゐる絵巻は右から左へと流れて行くのである。これは個人的な見解であるが紙に天地を定めこの世の森羅万象を紙上に表せると太古の人々が考えたかどうだかはいざ知らず、しかし、例へば文を記すのにも右上から縦に書き出すそれは、文の進み行く方向、つまり右から左へと一行ごとに進むその右からの視点を「神の視点」とすれば日本語の縦書きは書き手の右に神が鎮座してゐるとも解釈できるのである。さうすると横書きは当然天に鎮座する神といふ事になる。といふことは縦書きは書き手と八百万の神々が平等の位置に居ると解釈できるのである。その解釈からすると紙上に何かを表すとはその八百万の神々との戯れでもある。
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或る日引き潮の時刻を見計らって河口からほぼ二十キロほど上流の川辺へ川を見に出かけたのである。それは偶然にも夕刻のことであった。辺りは次第に茜色に染まり始め見やうによってはこの世が灼熱の火の玉宇宙に化した如くであった。うらうらと茜色に映える川面。その時一尾の魚が丁度羽化した水生昆虫の成虫を喰らふために跳ね上がったのであった。その時生じた波紋。それは神の鉄槌の一撃で爆発膨張を始めたであらう宇宙創成の時の波紋、世界が波打ち時が刻まれ始めてしまった波紋にも似て何やら名状しがたい美しさと恐怖に満ちてゐたのであった。
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