思索に耽る苦行の軌跡
――今年も芽吹いたか……

その柳を見た時からもう既に数年経つが未だ健在である。何年川の水に浸かってゐるのだらうか。その柳の木を最初に目にした時には既に川の中であった。川に洗われ剥き出しになった根根には空き缶やらPolyethylene-Bucket(ポリバケツ)やらVinyl(ビニール)やら塵が沢山纏はり付いてゐてたので何年にも亙り川の中に在り続けてゐたといふことは想像に難くない。

しかし、その柳は凛としてゐた。

多分、完全に水に没してゐる部分は腐ってゐる筈で、如何様にその柳が完全に水の中に横倒しで生き続けてゐるか摩訶不思議でならないが、その生命力の凄まじさは何時見ても驚きであった。

――何がお前をさう生きさせてゐるのか……

それにしても自然は残酷である。梅雨時の大雨か台風の豪雨かは解らぬがその柳が立ってゐた後が岸辺には今もくっきりと残されてゐた。多分、二本並んで柳は岸に立ってゐた筈で、その片割れは今も岸にしっかりと根を張り泰然と生きてゐるが、其処から数meter離れた岸には濁流がざっくりと抉り取った後が残ってをり、多分、川の中に横倒しで生きてゐるあの柳の木は元元其処に悠然と立ってゐたに違ひない。

――どばっ、どぼっ、どどどどど――

しかしながら濁流は見れば見るほどその凄まじさに引き込まれさうになる不思議な魔力を持ってゐる。

私は台風一過等で起こる川の凄まじき濁流を見るのが好きであった。橋すらゆっさゆっさと揺さぶるほどの強力(がうりき)、この魅力は堪らない。目が濁流の凄まじき流れに慣れると何だか物凄くSlow motionで川が流れてゐるのではないかといふ錯覚が起こる。そこで不意に川に飛び込みたくなる衝動が私に生じ、『あっ』と思って吾に返るのである。その繰り返しが私は多分堪らなく好きなのだらう。濁流に魅せられたらもう其処から少なくとも一時間は動けなくなる。

――あっ、渦が生じた……。木っ端が渦に飲み込まれた……。あっ、大木だ。あっと、大木すら渦が飲み込んだ……。どばん ! ! 大木がConcreteの橋脚に激突した……

……………

それにしてもあの川の中の柳の木はよくあそこで踏み堪えたものだとつくづく思ふ。凄まじき濁流に投げ出されたならば最早流されるだけ流されるしかない筈なのだが、あの柳の木はあそこで止まったのだ。さうして何年も芽吹き生き続けてゐる。これまた凄まじき生命力である。水に浸かった部分は多分もう腐乱してゐる筈である。それでも尚、あの柳の木は川底に多分根を張ってゐるに違ひない。これまた凄まじきことよ……

――お前は何故吾を、この水の中の柳を哀れむのか

――否、感嘆してゐるのさ

――何を ?

――だから……あなたの生命力の凄さを……

――ふっ、馬鹿が

――何故 ?

――『自然』なことの何を感嘆するのか、はっ。

――すると、あなたは『自然』を『自然に』受け入れてゐるのですか ?

――受け入れるも受け入れないもない ! ! 此処が吾の生きられるこの世で唯一の場所だから……受け入れるも受け入れないもない ! !

――すると、

――黙れ ! ! お前に問ふ ! ! お前がこの世で唯一生きられる場所は何処だ ?

――……

――去れ ! ! 此処はお前のゐる場所ではない ! ! はっ。

2007 07/02 05:47:58 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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