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広辞苑より
五蘊
(梵語skandha)現象界の存在の五種類。色(しき)・受・想・行(ぎゃう)・識の総称で、物質と精神との諸要素を収める。色は物質及び肉体、受は感覚・知覚、想は概念構成、行は意志・記憶など、識は純粋意識、蘊は集合体の意。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
場
場(ば、field、工学では界と訳される)とは、物理量を持つものの存在が別の場所にある他のものに影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
場では、座標および時間を指定すれば、(スカラー量、ベクトル量、テンソル量などの)ある一つの物理量が定まる。つまり、数学的には空間座標が独立変数となっているような関数として表現できることがその特徴である。 場に配置される物理量の種類により、スカラー場、およびベクトル場などに分類することができる。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ストークスの定理
ベクトル解析におけるストークスの定理は、ベクトル場の回転を曲面上で面積分したものが、元のベクトル場を曲面の境界で線積分したものに一致することを述べたものである;

ここで S は積分範囲の面、C はその境界の曲線である。ストークスの定理を用いることで、電磁気学ではマクスウェルの方程式からアンペールの法則などを導くことができる。
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頭蓋内といふものは考へれば考へる程不思議な時空間に思へてならない。
例へば何かを思考する時、私は脳自体を認識することなく『思考』する。これは摩訶不思議な現象であるやうに思へてならない。
さて、『脳』とは一体何なのか?
『脳』のみ蟹や海老等の甲殻類の如く頭蓋骨内にあり、手や足などの肉体とは違ひ、思考してゐる時、『脳』を意識したところで漠然と『脳』の何々野の辺りが活動してゐるかなとぐらゐしか解らず――それも脳科学者が言ってゐることの『知識』をなぞってゐるに過ぎないが――私には『脳』の活動と『思考』がはっきり言って全く結び付かないのである。これは困ったことで、『脳』の活動と『思考』することが理路整然と結び付かない限り何時まで経っても霊魂の問題は、つまりOccult(オカルト)は幾ら科学が発展しやうが消えることはなく、寧ろ科学が発展すればするほどOccultは衆人の間で『真実』として語られるに違ひないのである。
そこで上記に記したストークスの定理をHintに頭蓋内を『五蘊場』といふ物理学風な『場』と看做して何とか私の内部で『脳』の活動と『思考』を無理矢理結び付けやうとしなければ私は居心地が悪いのである。全くどうしやうもない性分である……。
例へば一本の銅線に電流が流れると銅線の周辺には電磁場が生じる。そこで脳細胞に微弱な電流が流れると『場』が発生すると仮定しその『場』を『五蘊場』と名付けると何となく頭蓋内が解ったかのやうな気になるから面白い。
『脳』が活動すると頭蓋内には『五蘊場』が発生する。それ故『人間』は『五蘊』の存在へと統合され何となく『心』自体へ触れたやうな気分になるから不思議である。
多分、『脳』とは『場』の発生装置で『脳自体』が『思考』するのではなく『脳』が活動することによって発生する『五蘊場』で『人間』は『思考』する。
さて、ここで妄想を膨らませると、世界とか宇宙とか呼ばれてゐる此の世を『神』の『脳』が活動することによって発生した『神』の『五蘊場』だとすると科学の『場』の概念と宗教が統一され、さて、『大大大大統一場の理論』が確立出来るのではないかと思へてくる……
――宇宙もまた『意識』を持つ存在だとすると……
――さう、宇宙もまた『夢』を見る……
――その『夢』と『現実』の乖離がこの宇宙を『未来』に向かせる原動力だとすると……
――『諸行無常』が此の世の摂理だ !!