思索に耽る苦行の軌跡
眩暈から何事もなかったやうにすっくと立ち上がった私を見て君と雪は初めて見詰め合って互ひに安堵感から不図笑顔が零れたが、その時の雪の横顔は……今更だが……美しかった。雪は何処となくグイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」の薄倖の美女を髣髴とさせるのだが、しかし、凛として鮮明な雪の横顔の輪郭は彼女が既に『吾が道ここに定まれり』といった強い意志を強烈に表はしてゐたのである。

―大丈夫?

と雪が声を掛けたが私は一度頷いた切り茜色の夕空をじっと凝視する外なかった……。

何故か――

君は多分解らなかっただらうが――後程雪には解ってゐたのが明らかになるが――私には或る異変が起きてゐたのだ。血の色の業火が目に張り付いたことは言ったが、もう一つ私の視界の周縁を勾玉模様の小さな光雲――これは微小な微小な光の粒が集まった意味で光雲と表現してゐるが――が、大概は一つ、時計回りにゆっくりと回ってゐることである。

人間の体は殆ど水分で出来てゐることと此処が北半球といふことを考慮すると時計回りの回転は上昇気流、つまり、私の視界から何かが――多分それは魂魄に違ひない――が放出し続けてゐることを意味してゐたのである……

勾玉模様の光雲が見えるのは大概は一つと言ったが、時にそれが二つであったり三つであったり四つであったりと日によって見える数が違ってゐた。それは私の想像だが、死者の魂と言ったらよいのか……星がその死を迎えるとき大爆発を起こして色色なものを外部に放出するが、人の死もまた星の死と同じで人が死の瞬間例へば魂魄は大爆発を起こし外部に発散する……。それが此の世に未だ『生きる屍』となって杭の如く存在する私をしてカルマン渦が発生し、それが私の視界の周縁に捉えられるのだ。だから多分、その光雲は一つは私の魂魄でその他は死んだばかりの死者の魂魄の欠片に違ひない……私はさう解釈してしまったのだ……

さて、君と雪と私はSalonの真似事が行はれる喫茶店に向け歩き出した。その途中に古本屋街を通らなければならないのだが、君は気を利かせてくれたのだらう、その日に限って古本屋には寄らず、私と雪を二人きりにしてくれたね。有難う。

私は先づ馴染みの古本屋で白水社版の「キルケゴール全集」全巻を注文しそれから雪とぶらぶらと古本屋を巡り始めたのだった。

(以降続く)
2007 07/29 05:31:18 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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