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四象若しくは四神の北を指す玄武の図柄は、特にキトラ古墳の石室に描かれた玄武の写真を見ると様様な妄想を掻き立てるのである。
一方で玄武に似た『象徴』にギリシアの自らの尾を噛んで『無限』を象徴するウロボロスの蛇があるが差し詰め現代社会を象徴する蛇を図案化すると自らの尾から自らを喰らひ始め、自滅を始めた『蛇』、つまり現代を考えるとき必ず人類の絶滅といふことが頭を過ぎってしまふのである。
閑話休題。
玄武――その『玄』の字から黒を表はすのは直ぐに想像出来る。黒から『夜』へと想像するのは余りに単純だが、思ふに玄武は『北の夜空』の象徴ではないのかと仮定出来る。
さて、キトラ古墳の玄武の蛇はウロボロスの蛇のやうに自らの尾を噛んではをらず、尾が鉤状になって蛇の首に絡んだ格好になってゐるが、これは正に北の夜空の星の運行を端的に表はし、現代風に言へば『円環』若しくはニーチェの『永劫回帰』すらをもそこには含んでゐるやうにも思ふ。日本の古代の人々は蛇が『脱皮』を繰り返すことから『不死』若しくは『永久(とは)』を表はし、また『龍』の化身、更には『水神』をも表はしてゐたらしいので、多分、北極星を象徴してゐるであらう『亀』と併せて考へると玄武は『脱皮』をしながら、つまり『諸行無常』といふ『異質』の概念を敢へて飲み込んだ『恒常普遍』といふ概念が既に考へ出されてゐたと仮定できるのである。更に何処の国の神話かは忘れてしまったが、世界を『支へる』ものとして『亀』が考へられてゐたことも含めると玄武は今もって『普遍』へとその妄想を掻き立てる現在も『生きてゐる』神である。
少なくともキトラ古墳の玄武は千数百年生き続けてゐたのは確かで、さて、現代社会で千年単位で物事が考へられてゐるかといふと皆無に近いといふのが実情ではないかと思ふ。
滅び――現代は『普遍』といふ概念がすっぽりと抜け落ちた『諸行無常』――それは中身が空っぽな概念に思ふ――を自明の事としてしか物事を考へない、つまり数にすれば圧倒的多数である『死者』とこれから生まれてくるであらう未出現の『未来人』の事は一切無視した現在『生存』してゐる人間の事しか考へない『狭量』な『諸行無常』といふ考へに支配された世界認識しか出来ないのではなからうか。
少なくとも千年は生き残る『もの』を現代社会は創造しないと人類の『恥』でしかないやうに思ふ今日この頃である。
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