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古本屋との遣り取りはいつも筆談だったので馴染みの古本屋の主人は多分今でも私のことを聾唖者だと思ってゐるに違ひない。それにそこの古本屋の主人は何かと私には親切でその日も「キルケゴール全集」を注文するとどれでも好きな本を一冊おまけしてくれるといふので私は、埴谷雄高の「死霊(しれい)」を凌駕するべく書き出したはいいが、書き出しの筆致の迷ひや逡巡等が取り繕ひもせずに直截的に書き記された現代小説の傑作の一つ、武田泰淳の「富士」の初版本を選んだのである。「富士」を読む時は私は何時もブラームスの「交響曲第1番 ハ短調 op.68」を聴く。どちらも作品を書き連ねることに対する迷ひや逡巡等がよく似てゐると思はないかい ? それに泰淳さんは盟友の椎名麟三が洗礼を受け基督者になった時、埴谷雄高が椎名を誹った事と純真無垢といふのか天衣無縫といふのか埴谷雄高曰く「女ムイシュキン公爵」たる泰淳夫人で著名な随筆家の百合子夫人に対する埴谷雄高の好意への多分「嫉妬」を死すまで根に持ってゐた節があるが、そこがまた武田泰淳の魅力でもある……
さて、雪はSalonの真似事が開かれてゐた喫茶店に着くまで終始私の右に並んで歩き、左手で私の右手首を少し強く握り締めたままであった。
馴染みの古本屋を出たとき、東の空には毒々しいほど赤々とした満月の月が地平から上り始めてゐたが、その満月の「赤」が私の目に張り付いた業火の色に似てゐたのである。
――成程……この業火の色は《西方浄土》の日輪の色を映したものか……
雪が私の右手首を少し強く握り締めてゐたのは多分理不尽な陵辱を受けた「男」に対する恐怖といふよりも
――今暫くは逝かないで
といふ私に対する切願が込められてゐたやうに私は確信してゐる。唯、私は女性に対しては「無頓着」なので雪のしたいやうにさせ、雪に為されるがまま夕闇の古本屋街を二人で漫ろ歩きを始めたのであった。
当然、私は伏目であった。雪は私の右手首を握ってで私を巧く「操縦」してくれたのである。雪は私を捕まへてないと何処か、つまり「彼の世」へ行ってしまふと直感的に感じてゐたのは間違ひない。
――今は未だ逝かないで……
(以降続く)
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