思索に耽る苦行の軌跡
*******Credo,quia absurdum、つまり、君は、つまり、《不合理故に吾信ず》といふ、つまり、箴言を知ってゐるね。つまり、確か、アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日)の言葉だったと思ふが、否、つまり、この前に、つまり、君は、つまり、此の世に《秩序》があると思ふかい ?

――ええ、勿論あるわ。

*******へっへ。つまり、此の世に、つまり、《秩序》があるのに、つまり、君は、つまり、西洋の《論理》は、つまり、《理不尽》といふ。つまり、君の《論理》に、つまり、《矛盾》がないかい ?

――うふ、《矛盾》はないわよ、天邪鬼さん。だって此の世の《秩序》がそもそも《理不尽》なのだもの、うふ。

*******つまり、《真理》若しくは《摂理》といふ名の、つまり、《神》の御業を、つまり、把握したいが為に人間は、つまり、哲学から、つまり、始まって、そして、つまり、数学やら物理やらを、つまり、派生させ、つまり、《真理》の追究に、つまり、邁進して来たが、つまり、君はどう思ふかな、つまり、哲学者や数学者や物理学者等に、つまり、定理、公理、法則等が、つまり、此の世に厳然と、つまり、存在すると、つまり、君達は言ふが、つまり、では、その、つまり、定理やら公理やら法則やらは、つまり、何故、如何して、つまり、存在するのかを、つまり、彼らに尋ねると、さて、つまり、彼らは何と答えるか ?

――さうね、多分、解らないと答へるでしょうね。

*******つまり、其処さ。つまり、彼等は言外で、つまり、《神》の存在を、つまり、認めてゐるのさ。更に言へば、つまり、彼等は全て、つまり、一神教の《神》が此の世を創世したと深奥では、つまり、信じてゐるのさ。

――さう、それが私の言ふ《理不尽》の根本なのよ。幾何学等を発展させたエジプトやギリシア、そして零を発見したインド、更にニュートンやライプニッツに比肩するほどの独自の和算を発展させた日本、これら全て多神教よ。

*******つまり、ギリシアを始め、つまり、欧州に原始基督教が布教した頃は、つまり、土着の信仰も許容してゐた筈なのだが、つまり、私の勝手な考えだけれども、つまり、欧州の土地が、つまり、石畳で蔽はれるのと機を一にして、多分、つまり、一神教の圧制が、つまり、始まったと思ふ。つまり、これは、つまり、人間の性だが、つまり、《単純明快》が《美的感覚》と、つまり、結び付いてゐる、つまり、一神教の圧制は、つまり、必然なのさ。

――さうかもしれないわね……。

*******つまり、話は一気に飛躍するけれども、つまり、無性生殖の単細胞から有性生殖の多細胞へと、つまり、生物が、つまり、進化したことと、つまり、《単純明快》が《美的感覚》と結び付く人間の性と、つまり、関係してゐるのさ。

――えっ。どうして ?

(以降に続く)
2007 09/02 05:52:51 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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