思索に耽る苦行の軌跡
水分子間の水素結合……これが諸悪の根源なのか……。

純度百%の超純粋水は一時も『吾』たる事に堪へられず、手当たり次第に『他』の物質を水たる『吾』に溶解させ、『不純』なる水に、即ち、『不純』なる『吾』に変容することを渇望して已まない……

故に、『吾』、既に『吾』為らざる『吾』たり。

水分子間の水素結合が生体に不可欠なたんぱく質のその立体構造を生成するのに重要な役割を果たしてしまってゐることは周知の事実であるが、この水分子間の水素結合が此の世の『寛容』の、即ち、『神』の『寛容』の淵源か。

…………

…………

或る日、私が湯船に浸かると不意に口から出た言葉があった……。

――『初めに言葉ありき』(新約聖書の「ヨハネによる福音書」より)。否、『初めにLogos(ロゴス)ありき』。

さて、一神教の世界に『無』は在るや。

――基督教が生まれた中東も含め、西洋の『言葉』は全て横書きなのは『天』に、若しくは『頭上』に厳然と『神』が坐し給ひしためなり……、即ち、それは『有』が全ての創造物の前提になってゐるからか……。其処には『無』は有り得ず、『空虚』若しくは『真空』のみ有る……つまり、全ての根源が『有る』事が前提なのか……

――つまり、一神教の世では『人』が直立するのに『自力』で地に立つのではなく、『神』が『既に』人を地に立たせてしまってゐる……、つまり、其処には『白紙』の『紙』は存在せずか……

――一方、『初めに言葉無き』極東のこの地では『臣安萬侶(やすまろ)言(もう)す。 夫(そ)れ混元(こんげん)既(すで)に凝(こ)りて、氣象(きしょう)未だ效(あらわ)れず。 名も無く爲(わざ)も無し。 誰か其の形を知らん。 然れども乾坤(けんこん)初めて分れて、參?(さんしん)造化(ぞうけ)の首(はじめ)と作(な)り、陰陽(めお)斯(ここ)に開けて、二靈(にれい)群品(ぐんぴん)の祖(おや)と爲りき。 所以(このゆえ)に幽顯(ゆうけん)に出入して、日月目を洗うに彰(あらわ)れ、海水に浮沈して?祇(じんぎ)身を滌(すす)ぐに呈(あらわ)れき。 故(かれ)、太素(たいそ)は杳冥(ようめい)なれども、本?に因(よ)りて土(くに)を孕(はら)み嶋を産みし時を識(し)れり。』(古事記 上つ卷から) ……云々。つまり、初めに『無』ありき。

――それで ?

――この極東の地で『人』が地に直立するには『自力』で、つまり、『神』無しに『立つ』外無し。

――それで ?

――然れば、先づ『人』は此の世に『天地』を定めるなり。

――そして ?

――『人』、『白紙』の如し。故に極東のこの地では『人』が直立するべく『無』たる『白紙』に縦書きで『字』を認(したた)めし。縦書き為らずばこの極東の地に『人』、即ち『直立』出来難し。

…………

…………

また、湯船の中で次の言葉が不意に口に出た……。

――『胎内瞑想』。

これは埴谷雄高が暗黒舞踏の創始者、土方巽について書いたEssay(エッセイ)の題名……。

――『舞踏とは命がけで突っ立つ死体』(土方巽)。

――この湯船の中……、『水』によって『浮揚』する……『吾』……

――さて、胎児は羊水の中で『浮遊』しながら何思ふ……、ふっ。

2007 09/10 07:34:09 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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