思索に耽る苦行の軌跡
*******いや、つまり、僕が思うに、つまり、《秩序》は《不合理》を、つまり、許容しなければならない。つまり、何故だと思う ?

――さうね、《秩序》が《合理》であるとすると、う〜ん、そっか、その《社会》には《合理》しか有り得ない。さうすると《主体》は《不自由》ね。

*******さう。つまり、《人類》より遥かに進化してゐる、つまり、昆虫、中でも、つまり、蜂や蟻を考えてごらん。

――御免なさい。私、昆虫は余り詳しくないの。

*******つまり、蟻を例にすると、つまり、蟻は大きな群れを作って、つまり、集団で生活してゐるね。つまり、蟻は、つまり、《社会性昆虫》と言われてゐる。ところで、つまり、君、蟻に《脳》は、つまり、有ると思ふかい ?

――えっ、さうね、有るんじゃないの。

*******さう、つまり、昆虫にも、つまり、《脳》はある。つまり、さうじゃなきゃ、つまり、此の世は、つまり、《昆虫天国》になる筈はない。それじゃ、君、つまり、蟻は《思考》すると思ふかい ?

――えっ、それは、う〜ん、解らないわ。

*******つまり、蟻が、つまり、《思考》するかどうかは、つまり、これからの研究に待たなければならないんだが、つまり、仮に蟻が《思考》するとして、つまり、蟻は血縁の社会だが、つまり、さうすると、何故、つまり、蟻の社会には、つまり、働き蟻による《内訌》や《叛乱》や《謀反》が、つまり、起こらないのだらうかね。

――う〜ん、……《自由》の問題かしら ?

*******さうだね、つまり、《自由》の問題になるのかもしれないね。そこで、つまり、君、蟻の社会は《合理的》だよね。つまり、そこでだ、つまり、蟻のやうに《合理的》な、つまり、それも、つまり、《合理》をとことん突き詰めたやうな、つまり、《秩序》が《合理》そのものの《社会》で、つまり、《思考》する、つまり、《主体》の《自由》は、つまり、《許容》されると思ふかい ?

――さうね。《主体》の《自由》は無きに等しいわね。それは将に《洗脳社会》だわ。《主体》は皆全て《洗脳》された《自由》無き、考へただけでもぞっとする程気色悪い、寒気がする社会ね。ねえ、さうすると、《秩序》はそもそも《不合理》だとして、う〜ん、《秩序》が《不合理》であればある程、《主体》の《自由》は保障されるといふことかしら ?

*******つまり、それも《按配》だね。つまり、君、《渾沌》に《自由》はあるかい ?

――うふ、《渾沌》には《自由》しかないわ。だって《秩序》が無いんだもの。でも、《主体》はその《渾沌》の《自由》に潰されるわね。《破滅》のみね、《渾沌》にあるのは。そして、うふ、《渾沌》から《秩序》が生まれる……。うふ、パスカル風に言ふと《二つの〈渾沌〉の中間点が〈秩序〉》……ね。不思議ね。

*******君、その陰陽魚太極図が、つまり、《渾沌》から《秩序》が、つまり、生まれる瞬間の《象徴》だよ。つまり、《人間は思考する葦である》。つまり、人間は《渾沌》も《秩序》も、つまり、《思考》出来る《自由》がある。だけども、つまり、この《自由》が、つまり、曲者なんだよ。ねえ、君、つまり、そもそも人間は、つまり、《自由》を持ち堪へるに十分な、つまり、《存在》だと思ふかい ?

(以降に続く)
2007 09/16 05:37:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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