|
東の窓を不図見上げると秋の十三夜月の仄かに黄色を帯びた柔らかな白色の月光を放つ月が見えたので、その月明かりに誘はれるまま漫ろ歩きに出掛けたのであった。
これは空耳なのか何処とも知れぬ何処かから「四智梵語」だと思ふがのその神秘的で荘厳な声明(しゃうみゃう)が、始終、聴こえて来るのであった。
その声明に誘(いざな)はれるままに私の歩は嘗ては門前町として栄えたであらうが今はその面影は全く無く十数か所の寺寺だけが残るとある場所を気が付くと歩いてゐたのであった。
――『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』(平家物語冒頭より)
と、私は無意識に呟いてゐたのであった。
と、不意に
――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………
と何処の寺から美しく余韻を残す梵鐘が聴こえて来たのであった。
梵鐘の形は《宇宙の歴史》を形象したやうに思へてならないである。《無》からBig Bang(ビッグバン)の大爆発が発生してこの宇宙に膨張・成長されたと考へられてゐるが、梵鐘の天辺に付いてゐる宝珠と竜頭が原始宇宙を表はし、釣鐘本体は今に至る宇宙の歴史を具現化したものに思へるのである。そして、梵鐘の乳の間、池の間、そして草の間は宇宙の歴史で起こった三度の相転移を見事に表はしてゐて感心一入(ひとしお)である。そして、梵鐘下部の下帯(かたい)は現在の宇宙でその下の駒の爪が宇宙の涯を表はしてゐるのであるとすると、誠に見事といふ外ない。
梵鐘、即ち、《宇宙》である。
――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………
この清澄な余韻ある美しき響きは音波たる《波》、即ち、物理学の「拾次元超ひも理論」若しくは「拾壱次元超重力理論」若しくは「余剰次元の宇宙論」等等の具現化に思へなくもないが、さて、物理数学はこの宇宙を将来「説明」出来るのか……。
月光の下の墓場は神聖な美しさと此の世を映す《猥雑さ》に満ちてゐる。私は墓場が大好きで昼夜問はず己を律するときには必ず墓場を訪れるが――その所為で頻繁に私には《霊》が憑依し《霊》が去るまで《重たい》身体を引き摺るやうに過ごしながら、そして、大概《霊》は毎晩《夢》で私と何やら問答をし、納得してかその問答に飽きてかは解らぬが一週間程して私の右足の皮膚を破って出て行くのである。勿論、私の右足には《霊》が破いた皮膚に傷が残される事になるのであるが――、その時も寺寺の境内の墓場に歩を進め巡り歩いたのは勿論の事である。墓場は大概綺麗に清掃されてゐるが、しかし、《生者》に《見捨てられた》墓所の前に来ると墓碑若しくは墓石が何やら《泣いてゐる》やうに感じられ、よくよく見ると何十年にも亙ってその墓を親類縁者の誰一人も参りに来てゐないのがその墓所の《姿》から察しがつくのである。私はさういった墓には合掌し鄭重に一礼するのを常としてゐるのであった。
さて、とある寺に着くとその寺の本堂の扉は全て開かれて内部は三本の和蝋燭の燈明の灯りのみで宵の闇に照らし出されてあったのである。私は本堂の入り口に来ると
――すみません。失礼します。
と、大声で声を掛けたが何時まで経ってもその静寂は破られることは無かったのであった。
――お邪魔します。
と言って私は本堂に上がり御燈の前に正座したのであった。前方にはこの寺の本尊なのかもしれない然程大きくも無く朴訥と彫られた古びた阿弥陀仏が鎮座なさってをられたのである。
――自在……
これは仏像を見ると必ず私が胸奥で呟く一言である。暫くその阿弥陀仏に見入ってゐると不意に声明と共に誰かの声が聞こえたのであった。
――未だ具足なれざる者、《吾》は《自在》か。
――《自在》です。
――此の場で朽ち果てるのみでもか。
すると一陣の風が本堂の中を通り過ぎ蝋燭の炎がゆらりと揺れたのであった。当然、阿弥陀仏もゆらりと揺れたやうに見えたのであった。
――あなた様は絶えず《動いて》らっしゃるではありませんか。今もさうです。ゆらりと動きなさいました。
――はっは。お前の《錯覚》じゃ。何故《吾》《自在》なるか。
――《内的自由》。あなた様は《自由自在》、《変幻自在》です。あなた様の《内的自由》は《無限》だからです。
――小賢しい。《吾》不自由故に《自在》なり。《無限》是《無》乃至《空》なり。色即是空、空即是色なり。
――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………
と何処で再び梵鐘が鳴り響き、そして、何時までも声明は消えることは無かったのであった。
|