思索に耽る苦行の軌跡

私は、脊髄が痺れ、脳髄の芯が麻痺するが如く我慢ならない頭痛にしばしば襲はれるが、しかし、この異常にも思へる頭痛は、此の世に私が確かに存在してゐる事の呻きのやうに思へ、私はこの異常な程の苦痛を伴ふ頭痛を偏愛してもゐる、或る種Masochist(マゾヒスト)なのだらう。勿論、脳波やらCT-Scanやら病院で徹底的に頭痛の原因を精査したが、現代医学ではその原因すら皆目解らず鎮痛剤を処方されて仕舞ひである。



頭痛の時は睡眠時に既に私はそれを感知してゐるらしく何とも不思議な夢ならざる夢もどきの虚ろに移ろい行く支離滅裂な表象のSlow motionに何やら不安を感じて覚醒するが、成程、頭痛かと何時も覚醒時に合点するのが常であった。さうして私は布団の中に暫く横たはったまま脳髄の芯から発してゐるであらうその頭痛を我慢しつつも或る種の快楽の中に溺れてゐる自身をじっと味はっては



――吾、此処に在り!



と感嘆の声を胸奥で独り叫ぶのであった。さうした後に徐に立ち上がり途轍もなく濃い珈琲を淹れ、気休めにその途轍もなく濃い珈琲を一杯出来るだけ早く飲み干すのである。それでも異常な頭痛は治まる筈もなく、しかし、途轍もなく濃い珈琲の御蔭で鮮明になった意識は頭蓋内の闇に手を突っ込むが如くに私の内部で増大しつつある不安を手探りで探し出してはその不安を握り潰して、更に頭痛の苦痛といふ快楽に溺れるのであった。



――吾、此処に在り!



その数十分の時間は胸奥で快哉を上げる或る種至福の時間でもあったのだ。普段であれば鎮痛剤を飲んでそのまま通勤し、一日中その頭痛と格闘しながら仕事に励むのであるが、それが休日であれば、私は鎮痛剤は飲まずひたすらその異常な頭痛の狂おしい痛みといふ快楽に溺れ続けるのが常であった。間歇的に胸奥で叫ぶ



――吾、此処に在り!



といふ快哉は頭痛の苦痛に苛まれながらも爽快なのである。不安といふ快楽は私にとって麻薬同然のものなのかもしれない……。この不安と快楽とに大きく振幅する私の意識の状態は何やら私といふ《存在》を揺すってゐるやうに思われ、さうして揺すってゐる《存在》から、例へば



――許し給へ。



等といふ言質を取れればもう私の喜びは言はずもがなである。それは私を悩まし続ける《存在》といふ観念をふん縛って持国天の如くその《存在》を邪気の如くに踏み付ける憤怒の形相の《吾》を想像する快楽である。とは言へ、それは一時の妄想に過ぎない。狂おしい頭痛は休む事を知らず、直ぐ様私を襲ひ



――へっ、阿呆の戯言が!



と私の内部でさう発する声に私は一瞬で打ちのめされるのであった。さうやって私は日がな一日絶望と歓喜の間を振幅しながら独り己といふ《存在》と格闘するのであった。



――吾、此処に在り!



…………



…………



――其、《存在》を吾ふん縛る!



…………



…………



――へっ、阿呆の戯言が!



…………



…………











































2007 12/17 07:22:57 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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