聖教新聞「きょうの発心」から
 無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり(御義口伝、七五三ページ・編一五九九ページ)
 *通解
 本然の仏の生命を、一字をもって得ることができる。いわゆる「信」の一字である。
1995年2月4日付
 社会人となり、仕事と活動の両立に懸命に取り組むなか、自身の健康問題をはじめとする様々な困難に直面。そのなかで、今まで気付かなかった自分の欠点が嫌というほど見えてきたのです。その結果、女子部の幹部としての自覚も崩れてしまいそうになりました。
 どうしていいか分からず、ただ御本尊様にすがるような思いで唱題するしかありませんでした。そうした時に、出あったのがこの一節です。
 唱題を重ねるにつれ、この御文に説かれている法理を頭では理解しても、生命の奥底から信じていない自分に気が付いたのです。そして“大切なのは信心だ。そこにのみ偉大な仏の生命も湧いてくる”と思い至った時、目の前がパッと明るくなる思いでした。
 以来、“御本尊への無二の信心を根本に、広布の尊き使命に生き抜いてまいります”との誓願の祈りを貫いてきました。
 やがて、弱い自分の殻を打ち破り、抱えていた悩みも、一つ一つ克服。広布の使命に徹した決定の一念には、行き詰まりはなく、どんな苦難をも乗り越えゆく源泉であることを確信しています。
 広島は五十年前、原爆で焦土と化しました。形あるものはすべて失い、残ったのは、庶民の“生きる希望−−人間としての強さ”だけでした。しかし、何ものにも屈しない“生命”ある限り、どんな不幸をも乗り越えていける、と実感してなりません。
 被災地・広島から平和の発信地・広島へ−−今秋、広島で開催される世界青年平和文化祭の大成功を目指し、希望の前進をしてまいります。(中国女子部学生局長)

未来の本屋〜でじたる書房〜

2006 02/04 11:13:39 | きょうの発心
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