聖教新聞「きょうの発心」から
 但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり(一生成仏抄、三八三ページ・編二一ページ)
 *通解
 ただし妙法蓮華経と唱え、受持するといっても、もし自身の心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく、劣った粗雑な法である。
1996年1月24日付
 昭和三十八年、高校を卒業し、就職。その秋、半年前に姉の病気を契機に入会していた母の懸命に祈る姿に心打たれ、入会しました。
 入会後は良き先輩に恵まれ、順風満帆で楽しく、活動に励んでいました。しかし、四、五年が経ったころ、職場の先輩との人間関係で悩むようになったのです。
 毎日、机を並べて仕事をすることが苦痛になり、何度も仕事を辞めようと思いました。その度に「職場の第一人者たれ」との指導を思い起こしては、一人悶々と悩む日々が続きました。
 そんな時、学会の先輩から教えていただいたのがこの御書の一節です。
 他に責任を転嫁する弱い自分自身を反省し、「必ず職場の勝利者になるぞ」と決意し、仕事に取り組みました。そして、その先輩と協力して、職場の「業務改善研究発表会」で見事に入賞し、周囲の信頼を勝ち取ることができたのです。
 スピーチに「自分が境涯を広げた分だけ、『一人の人』を大切にできる。人の可能性を開いてあげた分だけ、自分の生命力も強まっていく。この『求道』と『救済』、『自己の深化』と『他者への慈愛のかかわり』の往復作業のなかに、我が『生命の宝塔』の拡大作業、荘厳の作業がある」とあります。
 「新世紀・大勝の年」の本年、友に励ましと勇気と希望を与えゆく一対一の草の根の対話で大民衆運動の大波を起こしていく決意です。(北兵庫<県>県長)
2006 01/24 12:21:16 | きょうの発心
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