あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき(経王殿御返事、一一二四ページ・編五六九ページ) *通解 心して信心を奮い起こしこの御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。 1996年1月9日付
私は十七年前の昭和五十四年、父の接骨院を継ぐため、十六年間に及ぶサラリーマン生活に終止符を打ち、単身で大阪に行き、専門学校に通いました。 その時、四十歳。「何としても専門学校を卒業して、家業を継がなければ」と、焦る思いとは裏腹に、記憶力が減退し、学んだ知識もザルから水が漏れるように、すぐに忘れてしまうという状態でした。 その時、私はこの御文を思い起こし、「題目を根本に頑張るしかない。祈りで必ず結果を出してみせる」と、その日から決意を新たにして真剣な唱題と勉学に挑戦しました。 学校から帰ると、唱題しては勉強、勉強しては唱題−−その繰り返しで苦しい二年間を乗り切ることができました。 そして、卒業する時には、努力賞として表彰されるまでになったのです。この時、改めて御本尊の偉大さ、唱題の力を確信しました。 池田先生は「『祈り』を忘れてはならない。個人にあっても、一家にあっても『祈り』が大事である。『祈り』こそ一切の打開と勝利への源泉である。また魔と戦い、魔を打ち破っていくとの強い『祈り』の一念があるかどうか、ここに信心の精髄がある」とスピーチされています。 「本門の十年」へのスタートとなる「新世紀・大勝の年」の本年、どこまでも唱題根本に、自身の生活においても、また地域においても、見事な勝利の実証を示していく決意です。(高知県副県長)
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