聖教新聞「きょうの発心」から
 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり(上野殿御返事、一五四四ページ・編一〇八三ページ)
 *通解
 (火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。
1996年3月7日付
 少年部や中等部時代の私は、部員会などで先輩から激励されるたびに、よし勉強しよう、勤行・唱題に励もう、と決意するのですが、自宅に帰り一人になると、どうしても安易な道に流されていました。
 それだけに、この御文を初めて学んだ時、一人になった時が大事なんだ、と強く感じました。それからは地道な実践に挑戦していくように心がけました。
 大学四年の時、公務員試験の受験直前のことです。さまざまな行事が重なり、試験勉強は思うようにはかどっていませんでした。
 そんな時、父親が交通事故で重傷を負うという事態になったのです。母と弟が家業を支えるため、私が看病に当たることに。「今こそ退せず頑張る時だ」とすぐに決意を固めました。
 一週間付きっきりで看病に当たるなか、真剣な唱題に励み、かつてないほど集中して勉強することができました。やがて父親の容体も良くなり、試験も無事合格することができ、改めて信仰の力を実感しました。
 今、大座談会運動を展開中です。“水の信心”はもとより、青年らしい“熱湯の信心”で決意を貫き、先駆を切ってまいります。(男子部主任部長)

未来の本屋〜でじたる書房〜

2006 03/07 15:28:53 | きょうの発心
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