西本幸雄氏が名将と呼ばれる理由のひとつに阪急ブレーブスをリーグ優勝させたという実績があります。
阪急ブレーブスは後年の実力が信じられないほどの弱小球団だったのです。
そのチームを西本幸雄氏は監督に就任すると見事にリーグ優勝まで作り上げたのでした。
このあたりはかなり古い話なので、あまりよく知らないのですが、かなり厳しい指導であったようです。
もちろん生半可な指導、指揮ではなかったでしょうね。
そしてまた選手達もよくついて行ったと思いますね。 今でも悪口をいう人は少ないみたいです。
このようなエピソードも残っています。
選手達を集めて自ら不信任投票を行いました。
そしてその結果「X」と何も記入されていない白票があったということで辞任を決意されたのでした。
でもこの時はさすがに球団が慰留勤め引き続き指揮をとることになったそうですが・・・。
これはまあちょっとやりすぎかもしれませんが、それだけ賭けていたということですかね・・・。
昨日もお書きいたしましたが、日本シリーズには巨人に5度敗れた・・・。
野球に「もし」「れば」「たら」は言ってはいけないというのですが、一番 惜しかったのがあの1971年のシリーズでしょうか・・・。
1971年、西本監督は三人の若手に期待していました。
山田久志、加藤英司、福本豊の三人です。
そして1勝1敗で迎えた第3戦も、山田が好投。 阪急1−0巨人、9回裏。
ここであの王の逆転サヨナラ3ランが出たのでした。
そしてこの年も巨人が日本一を達成しました。
う〜ん・・・G党のトクタサツオが見てもこのゲームの無念さはいかに・・・。
ただしこの後山田久志は大投手となり、加藤、福本両選手もMVPに輝くという大活躍をしていくのです。
1976、1977年の日本シリーズ。 今度は逆に長島Gが日本一の夢を阪急ブレーブス(監督は後を継いだ上田監督)に打ち砕かれるのでした。
このようにみると因縁というか運命的なものを感じますね。
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