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春秋の頃、
呉の国にひとりの知識人がいました。
名を季札(きさつ)といいます。
同時代、中華で最高の知識人として認められていたあの子産に勝るとも劣らないと噂されました。
晩年季札が、
王となった甥のために外交使節として全国を訪問しました。
徐の国に立ち寄った時のことです。
徐君は季札の佩刀に目を留めて欲しいと思いましたが、
口には出しませんでした。
全ての訪問を終えた季札が帰還のためふたたび徐の国に至ったとき、
既に徐君は亡くなっていました。
それを知った季札は、
徐君の墓に参り、傍らの樹に自分の佩刀を吊り下げ、
冥福を祈りました。
従者は訝り、
「徐君は亡くなっているのに、あの剣をだれに与えるのですか?」
と問いました。
すると季札は、
「私は心の中であの剣を徐君に差し上げようと思ったのだ。
亡くなったからといって、
我が心にそむくわけにはいかない」
と応えました。
解りますか、この機微が?
人が生きている時間は無限ではありません。
有限であるのならば、
そこには秩序が必要になるでしょう。
個人の欲望も、
家や国家の欲望と変わりません。
欲望のままに生きると争いは避けられません。
秩序は破壊され、
生き残ったものが新しい秩序を定めますが、
混乱そのものはなくなりません。
ではそうならないためにはどうすればよいのか?
季札のこの故事は、
冷水を浴びるような気持ちにさせられます。