家畜人ヤプーを最初に読んだのは、いつだったろうか。書店で目に付いたタイトルに、手に取って帯を読んでみれば、三島由紀夫が激賞している。それほどの作品ならばと購入して、長いこと、本棚に積まれて埃ばんでいた。
時々、無性に本が読みたくなるときがある。活字中毒って、こういうことなのかと、17歳のガキが生意気に実感してたのだろう。違うよ、って忠告してあげたいけど、それも、無理。17の私は、生涯最多の読破数をこなしていた。
幼稚園、小学校、中学校と、両親の昔話や童話ではじまる読書習慣を私はもたなかった。宿題でどうしてもという作品は読んだが、それっきりだった。活字なんて面倒くさいだけだった。それよりも、テレビの方がずっと素敵だった。
その私が読書する習慣をもったきっかけは、高校のときの漢文の授業で出された作文へのたったひとことの評価だった。
「すばらしい」
この言葉は魔法のように私のなにかを縛りつけた。 ある学校で、女子と男子が争いあい、最終決戦を迎えた。男子軍優勢のうちに、女子軍は撤退を繰り返し、最後の砦に追いつめた。勝利は目の前だ。男子軍から降伏勧告の使者が出た。そして、使者は、見た。女子軍を指揮していた女王の真の姿を。動転した使者は、降伏文書も渡さずに逃げ帰った。勝てるわけがない、勝てっこないんだ、と、絶望のあまり口走る使者。男子軍は、総攻撃をかける。女子軍はよく守ったが、一画が崩れて、怒濤のごとく男子軍の一部隊が砦内に乱入した。逃げまどう女子達。勝利は、すぐそこにあった、と誰もが確信していた。だが、男子軍は、女王ひとりによって、殲滅された。女王は、物の怪だったのだ。 こんな、ストーリーだったような気がする。
思い出しても、下手な文章だったと思う。生まれて初めての虚構だった。 おだてに強い人間は少ない。まして、ほめられたことのない分野で評価されたとき人間は有頂天にさえなるかもしれない。 この漢文の教師は変わり者で、最初の中間テストで、生徒の字があまりに下手すぎるために、漢字練習帳を全員に配って、1年間、字ばかり、練習させられた。授業は定期テストの一週間前にするだけだ。成績表も、全員が「3」。公立校で、こんなはみ出し者は生きてはいけない。翌年、この教師は退職した。 教師は、言った。文章の上手い下手じゃない。最後まで読みたくなるか途中で読みたくなくなるか、だけだ。君のこの作文は、面白かった。励みなさい。君には、虚構の才がある、と。
「こうちゃん、となりにしばらくカズオちゃんと友達が泊まるからね」 「友達?どんなやつや?」 「へんなひとやから、関わり合いになったらあかんよ」 「わかった、カズオちゃんやろ?」 「男、好きやからな、カズオちゃん」
カズオちゃんは、私より15歳ほど年上だったろうか。七三に髪をきちんとわけ、白いカッターシャツに、黒のパンツ。分厚い眼鏡をかけて、いつも、お土産をもってきてくれた。何を生業にしていたのか覚えていない。年に数回、遊びにきた。母の元へは、こういううさん臭い連中が集まってくる。 カズオちゃんが連れてきたのは、金髪女だった。といっても、日本人。色グロで、ヒゲはやして、両方の手の小指がない。筋肉隆々で、どうみても女には見えないが、ヒゲも剃らずに、化粧する神経は普通じゃないだろう。母によると、しばらく店を手伝ってもらうという。カズオちゃんは旧知の仲だし、迷惑ではなかったが、この友達の姿を見たときには、面食らった。二人は恋仲、だという。夜ごと、熊のような雄叫びが聞こえた。
カズオちゃんは、いまでいう性同一性障害者だったろう。彼は、女だったからだ。ともだちもまた同じで、彼女は男だった。二人は、愛し合っていたようだが、興味なかったし、知りたくもなかったから、話しかけたことはない。
家畜人ヤプーを読みたくなったのは、この不思議な二人に出逢ってからかもしれない。
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