思索に耽る苦行の軌跡

2008年 03月 の記事 (5件)

――お前は何者だ! 



ねえ、君、闇の中では闇に誰もがかう詰問されてゐるに違ひない。へっへっへっ。人間は本当のところでは自問自答は嫌ひな筈さ。己の不甲斐なさと全的に対峙するこの自問自答の時間は苦痛以外の何物でもない筈さ。それはつまり自問する己に対して己は決して答へを語らず、また語れないこの苦痛に堪へなければならないからね。それに加へて問ひを発する方も己に止めを刺す問ひを多分死ぬまで一語たりとも発することはないに違ひない。そもそも《生者》は甘ちゃんだからね。へっへっへっ。甘ちゃんじゃないと《生者》は一時も生きられない。へっへっへっへっ。それは死の恐怖か? 否、誰しも己の異形の顔を死ぬまで決して見たくないのさ。醜い己! 《生者》は生きてゐることそのこと自体が醜いことを厭といふ程知り尽くしてゐるからね。君もさう思ふだろ? それでも《生者》は自問自答せずにはゐられない。可笑しな話さ。



…………



…………



闇といふ自身の存在を一瞬でも怯ます中で人皆疑心暗鬼の中に放り込まれてゐる筈であったが、私はこの闇の中といふ奇妙な解放感の中で、尚も光といふ彼の世への跳躍台といふことの周りを思考は堂々巡りを重ねてゐたのであった。



――……相対論によれば物体は光に還元できる。つまり物体は《もの》として存在しながらも一方では掴みどころのないEnergy(エネルギー)にも還元できる……もし《もの》がEnergyとして解放されれば……へっ……光だ! ……この闇の歩道を歩く人波全ても光の集積体と看做せるじゃないか! ……だが……《生者》として此の世に《存在》する限り光への解放はあり得ず死すまで人間として……つまり……《もの》として存在することを宿命付けられてゐる……光といふ彼の世への跳躍台か……成程それは《生者》としての《もの》からの解放なのかもしれない……



と、不意に歩道は仄かに明るくなり満月の月光の下へ出たのであった。



――……確かに《もの》は闇の中でも仮令見えずとも《もの》として《存在》するに違ひないが……しかし……《もの》が光に還元可能なEnergy体ならばだ……《もの》は全て意識……へっ……意識もまたEnergy体ならばだ……《もの》皆全て意識を持たないか? 馬鹿げてゐるかな……否……此の世に存在する《もの》全てに意識がある筈だ……死はそのEnergy体としての意識の解放……つまり……光への解放ではないのか? 



遂に歩道は神社兼公園の鎮守の森の蔭の闇から抜け街燈が照らし出す明かりの下に出たのであった。雪は相変はらず何かを黙考してゐるやうで、私の右手首を軽く優しく握ったまま何も喋らずに俯いて歩いてゐた。私はといふと他人の死相が見たくないばかりに明かりの下に出た刹那、また視線を足元に置き伏目となったのである。



――……それにしても《光》と《闇》は共に夙に不思議なものだな……ちぇっ……《もの》皆全て再び光の下で私(わたくし)し出したぜ……吾が吾を見つけて一息ついてゐるみたいな雰囲気が漂ふこの時空間に拡がる安堵感は一体何なんだらう……それ程までに私が私であることが、一方で不愉快極まりないながらももう一方では私を安心させるとは……《存在》のこの奇妙奇天烈さめ!



その時丁度T字路に来たところであったので、私はSalonに行く前にどうしてももう一軒画集専門の古本屋に寄りたかったのでそのT字路を右手に曲ったのであった。



――何処かまだ寄るの? 



と雪が尋ねたので私は軽く頷いたのであった。この道は人影も疎らで先程の人波の人いきれから私は解放されたやうに感じて、ゆっくりと深呼吸をしてから正面をきっと見据ゑたのである。



――あっ、画集専門の古本屋さんね?



と、雪が尋ねたのでこれまた私は軽く頷いたのであった。



(以降に続く)

































2008 03/18 04:20:45 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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それはそれは不思議な感覚であった。私が珈琲を一口飲み干すと、恰も私の頭蓋内の闇が或る液体と化した如くに変容し、その刹那ゆったりとゆったりと水面に一粒の水滴が零れ落ちてゆらゆらと波紋が拡がるやうに私の頭蓋内の闇がゆらゆらと漣だったのであった。そして、私の全身はその漣にゆっくりと包まれ、私は一個の波動体となった如くにいつまでもいつまでもその余韻に浸ってゐたのであった。



それは譬へてみると朝靄の中に蓮の花がぽんと小さな小さな音を立てて花開く時のやうにその花開いた時の小さな小さなぽんといふ音が朝靄の中に小さく波打つやうに拡がるやうな、何かの兆しに私には思はれたのであった。意識と無意識の狭間を超えて私の頭蓋内が闇黒の水を容れた容器と化して何かを促すやうに一口の珈琲が私に何かを波動として伝へたのであったのか……。私は確かにその時私が此の世に存在してゐる実感をしみじみと感じてゐたのであった。



――この感覚は一体何なのだらう。



私の肉体はその感覚の反響体と化した如くに、一度その感覚が全身に隈なく伝はると再びその波立つ感覚は私の頭蓋内に収束し、再び私の頭蓋内の闇黒に波紋を呼び起こすのであった。その感覚の余韻に浸りながらもう一口新たに珈琲を飲み干すと再び新たな波紋が私の頭蓋内の闇黒に拡がり、その感覚がゆっくりとゆっくりと全身に伝はって行くのであった。



――生きた心地が無性に湧き起って来るこの感覚は一体何なのであらうか。



それにしてもこれ程私が《存在》するといふ実在感に包まれることは珍しい出来事であったのは間違ひない。私はその余韻に浸りながら煙草に火を点けその紫煙を深々と吸いながら紫煙が全身に染み渡るやうに息をしたのであった。



――美味い! 



私にとって珈琲と煙草の相性は抜群であった。珈琲を飲めば煙草が美味く、煙草を喫めば珈琲が美味いといふやうに私にとって珈琲と煙草は切っても切れぬ仲であった。



煙草を喫んだ事で私の全身を蔽ふ実在感はさらに増幅され私の頭蓋内の闇黒ではさらに大きな波紋が生じてその波紋が全身に伝わり私の全身をその快楽が蔽ふのであった。



――それにしてもこの感覚はどうしたことか。



それは生への熱情とも違ってゐた。それは自同律の充足とも違ってゐた。何か私が羽化登仙して自身に酩酊してゐる自己陶酔とも何処かしら違ってゐるやうに思はれた。しかしそれは何かの兆しには違いなかった筈である。



――《存在》にもこんな境地があるのか。



それはいふなれば自同律の休戦状態に等しかった。自己の内部では何か波体と化した如くにその快楽を味はひ尽くす私のその時の状態は、全身の感覚が研ぎ澄まされた状態で、いはば自身が自身であることには不快ばかりでなく或る種の快楽も罠として潜んでゐるのかもしれないと合点するのであった。それは《存在》に潜んでゐる罠に違いなかったのである。私はその時《存在》にいい様にあしなわれてゐただけだったのかもしれぬ。



――しかしそれでもこの全身を蔽ふ感覚はどうしたことか。



絶えず《存在》といふ宿命からの離脱を夢想してゐた私にはそれは《存在》が私に施した慈悲だったのかもしれぬと自身の悲哀を感じずにはゐられなかったのである。それは《存在》が私に対した侮蔑に違いなかった。



―《存在》からの離脱といふ不可能を夢見る馬鹿者にも休息はは必要だ。



《存在》がさう思ってゐたかどうかは不明であるがその時自己に充足してゐた私は、唯唯、この全身を蔽ふ不思議な感覚にいつまでも浸りたい欲望を抑えきれないでゐた。



――へっ、それでお前の自同律の不快は解消するのか。そんなことで解消してしまふお前の自同律の不快とはその程度の稚児の戯言の一つに過ぎない! 



その通りであった。私は全身でこの不思議な感覚に包まれ充足してゐるとはいへ、ある疑念が頭の片隅から一時も離れなかったのである。



案の定、その翌日、私は高熱を出し途轍もない不快の中で一日中布団の中で臥せって過ごさなければならなかったのである。



あの不思議な充足感に満ちた実在を感じた感覚は病気への単なる兆しに過ぎなかったのであった……。









































2008 03/13 03:47:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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この闇と通じた何処かの遠くの闇の中で己の巨大な巨大な重力場を持ち切れずに《他》に変容すべく絶えず《他》の物体を取り込まずにはゐられず更に更に肥大化する己の重力場に己自身がその重力で圧し潰され軋み行くBlack hole(ブラックホール)のその中心部の、自己であることに堪へ切れずに発され伝播する断末魔のやうな、しかし、自己の宿命に敢然と背き自らに叛旗を翻しそこで上げられるblack hole自身の勝鬨のやうな、さもなくば自己が闇に溶暗することで肥大化に肥大化を続けざるを得ぬ自己の宿命に抗すべく何かへの変容を渇望せずにはゐられない自己なるものへの不信感が渦巻くやうな闇に一歩足を踏み入れると、闇の中では自己が自己であることを保留される不思議な状態に置かれることに一時も我慢がならず自己を自己として確定する光の存在を渇望する女々しい自己をじっと我慢しそれを噛み締めるしかない闇の中で、《存在》は、『吾、吾ならざる吾へ』と独りごちて自己に蹲る不愉快を振り払ふべく自己の内部ですっくと立ち上がるべきなのだ。自己の溶暗を誘ふ闇と自己が自己であるべきといふせめぎ合ひ。闇の中では《存在》に潜む特異点が己の顔を求めて蠢き始めるのだ。それまで光の下では顔といふ象徴によって封印されてゐた特異点がその封印を解かれて解き放たれる。闇の中では何処も彼処も《存在》の本性といふ名の特異点が剥き出しになり、その大口を開け牙を剥き出しにする。この欲望の渦巻く闇、そして、《存在》の匿名性が奔流となって渦巻く闇。私も人の子である。闇に一歩足を踏み入れると闇の中ではこの本性といふ名の阿修羅の如き特異点の渦巻く奔流に一瞬怯むが、それ以上に感じられる解放感が私には心地良かったのである。私の内部に隠されてあった特異点もまたその毒々しい牙を剥き出しにするのだ。無限大へ発散せずにはゐられぬ特異点を《存在》はその内部に秘めてゐる故に、闇が誘ふ《無限》と感応するに違ひない。しかし、一方では私は闇が誘ふ《無限》を怖がってじっと内部で蹲り頑なに自身を保身することに執着する自身を発見するのであるが、しかし、もう一方ではきっと目を見開き眼前の闇に対峙し《無限》を持ち切らうとその場に屹立する自身もまた内部で見出すのであった。とはいへ、《無限》は《無限》に対峙することは決してなく《無限》と《無限》は一つに重なり合ひ渾然一体となって巨大な巨大な巨大な一つの《無限》が出現するのみである。私はこの闇の中で《無限》に溶暗し私の内部に秘められてゐるであらう阿修羅の如き特異点がその頭をむくりと擡げ何やら思案に耽り、闇の中でその《存在》の姿形を留保されてゐる森羅万象に思ひを馳せその《物自体》の影にでも触れようと企んでゐる小賢しさに苦笑するのであった。



――ふっ。



確かに物自体は闇の中にしかその影を現はさぬであらう。しかし、闇は私の如何なる表象も出現させてしまふ《場》であった。私が何かを思考すればたちどころにその表象は私の眼前に呼び出されることになる。闇の中で蠢く気配共。気配もまた何かの表象を纏って闇の中にその気配を現はす。それは魂が《存在》から憧(あくが)れ出ることなのであらうか……。パンドラの匣は闇の中で常に開けられてゐるのかもしれぬ。魑魅魍魎と化した気配共が跋扈するこの闇の中で《存在》のもとには《希望》なんぞは残される筈もなく、パンドラの匣に残されてゐるのは現代では《絶望》である。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人はゆっくりとゆっくりと螺旋を描きながら何処とも知れぬ何処かへ向け飛翔を相変はらず続けてゐた。彼の人はこの闇の中にあってもその姿形を変へることなく徹頭徹尾彼の人であり続けたのであった。



闇。闇は《無限》を強要し、其処に卑近な日常の情景から大宇宙の諸相までぶち込む《場》であった。闇の中では過去と未来が綯い交ぜになって不気味な《もの》を眼前に据ゑるのだ。悪魔に魂を売るのも闇の中では私の選択次第である。ふっ。この解放感! 私はある種の陶酔感の中にあったに違ひなかった。《もの》皆全て闇の中に身を潜め己の妄想に身を委ねる。それはこれまで自身を束縛して来た《存在》からの束の間の解放であった。《存在》と夢想の乖離。しかし、《存在》はそれすらも許容してしまふ程に懐が深い。《存在》からの開放なんぞは無駄な足掻きなのかもしれぬ。闇の中の妄想と気配の蠢きの中にあっても《存在》は泰然自若としてゐやがる。ちぇっ。何とも口惜しい。しかしながら《存在》無くしては妄想も気配もその存在根拠を失い此の世に存在出来ないのは自明の理であった。



(以降に続く)















2008 03/09 04:59:59 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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闇また闇。吾もまた闇。闇はしかし《無限》を誘ふのだ。果て無き闇故、闇の中に今蹲るまた闇の吾は闇に溶け入るやうな錯覚を覚える。



――吾は《無限》なりしや。



ところが吾に執着する吾は途端に身震ひして吾であることを渇望する。



――けっけっけっ、お前はちっぽけなお前でしかない。



と、何処とも知れぬ何処かで闇が吾を嘲笑ふ。と、その刹那吾は闇の中の《浮島》に浮いてゐるのみの吾が置かれた現状を思ひ出し血の気がさっと引き蒼ざめる。



――嗚呼。



眩暈が吾を襲ふ。



――このまま闇の中に投身しようか……。



闇は吾に闇に飛び込むことを強要する誘惑者であった。吾は絶えずええいっと闇に飛び込む吾を想像せずにはゐられぬまま、唯じっと《浮島》の上で蹲る外なかった。この《無限》に拡がるやうに見える闇また闇の中、吾の出口無し。



――矢張り吾に《無限》は持ち切れぬか……。



――けっけっけっ、お前はやっぱりちっぽけなお前さ。



と再び何処とも知れぬ何処から闇が吾を嘲笑ふ。



とその刹那、吾はすっくと立ち上がり闇のその虚空を睥睨する。



――己自身に対峙出来なくて何とする! 



さうである。この闇全てが吾なのだ。吾の心に巣食ふ異形の吾達がこの眼前の闇の中に潜んでゐる。闇は吾の頭蓋内の闇と呼応し吾の心を映す鏡に思はれた。



――異形の吾の気配共が蠢き犇めき合ふこの闇め!



それ故、闇は《無限》を誘ふのか。彼方此方に吾の顔が浮かんでは消え、また、浮かんでは消える……。



――へっ、お前は己の顔を見たことがあるのか? これまでずっと腕に顔を埋め自己の内部に閉ぢ籠ってゐたくせに? 



さうであったのだ。吾は己の顔をこれまで見たことがない。それにも拘らず吾は己の顔を知ってゐる。不思議であった。眼前の闇に生滅する顔、顔、顔、これら全てが吾の顔であった。さうとしか思へない。



――けっけっけっ、どれがお前の顔かな? けっけっけつ、この顔無しめが! お前もまた闇なのさ、ちぇっ。



吾が闇? これは異なことをいふものである。だが、しかし、吾も闇か? 



――闇であるお前が吾なぞとほざくこと自体が笑止千万だ! 



しかしである。吾は吾が《存在》してゐることを感じてゐるし知ってゐる筈だ。これはどうしたことか? 吾は闇? 



――嗚呼、もしかすると吾は闇の鬼子なのかも知れぬではないか。



それは闇における不穏な動きを伝える前兆なのであった。それは闇に芽生えた自意識の始まりなのであったのかも知れぬ……。



――吾は吾である……のか……。ふむ、む! 揺れてゐる? 



さうなのであった。闇全体が何故か突然とぶるぶると震へ出したのであった。闇もまた《自同律の不快》によって何か別の《もの》への変容を渇望する……。



――吾が吾であることのこの不愉快。闇もまたこの不愉快を味はってゐるのか……。



吾は再び眼前に《無限》に拡がる闇の虚空を睥睨する。



――《無限》もまた《無限》を持ち切れぬのか……。



眼前の闇には今も無数の顔が生滅する。



――解らぬ。何もかもが解らなくなってしまった……。そもそも眼前の闇に去来する無数の顔は吾の顔なのか……。吾そのものが解らなくなってしまった……。



次第に意識が混濁し始めた。吾の意識が遠くなる……。



――嗚呼、この吾と感じてゐるこの吾は……そもそも《存在》してゐるのか……何もかもが解らなくなってきた……。



闇また闇の中に一つの呻き声が漏れ出る……。



――嗚呼! 



その呻き声は水面の波紋の如く闇全体にゆっくりとゆっくりと響き渡っては何度も何度も闇の中で何時までも反響を繰り返してゐた。



――嗚呼、吾はそもそも《存在》してゐるのか! 













































































2008 03/03 05:37:29 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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ねえ、君、不思議だね。道行く人々は私の視界にその足下の存在を残し、その殆どの者とは今後永劫に出会ふことはない筈さ。袖振り合ふも多生の縁とはいひ条、今生ではこの道行く人々の殆どと最早行き交ふことは未来永劫ある筈もない。この見知らぬ者だらけが存在する此の世の不思議。ところがこれら見知らぬ者達も顔を持ってゐる。それぞれが《考へる》人間として今生に面をもって存在する。そして、彼等もまた《私》以外の《私》にならうと懊悩し、もがき苦しみ存在する。不思議極まりないね。全ての《生者》は未完成の存在としてしか此の世にゐられぬ。不思議だね。しかも《死》がその完成形といふ訳でもない。全ては謎のまま滅する。此の世は謎だらけじゃないか。物質の窮極の根源から大宇宙まで、謎、謎、謎、謎、謎だらけだ。ねえ、君、《存在》がそれぞれ特異点を隠し持ってゐるとしたなら特異点は無数の《面》を持って此の世に存在してゐるね。人間の《面》は特異点の顔貌のひとつに違ひないね。へっ。特異点だからこそ無数の《面》を持ち得るのさ。己にもまた特異点が隠されてゐる筈さ。だから、此の世の謎に堪へ得るのさ。へっ、此の世の謎の探究者達は此の世の謎を《論理》の網で搦め取らう手練手管の限りを尽くしてゐるが、へっ、謎はその論理の網の目をひょいっと摺り抜ける。だから論理の言説は何か《ずれ》てゐて誤謬の塊のやうな自己満足此処にいたりといった《形骸》にしか感じられない。ねえ、君、そもそも論理は謎を容れる容器足り得るのかね。どうも私には謎が論理を容れる容器に思へて仕方がない……。謎がその尻尾をちらりとでも現はすと論理はそれだけで右往左往し



――新発見だ! 



と喜び勇んで論理はその触手を伸ばせるだけ伸ばして何とか謎のその面を搦め取るが、へっ、謎はといふと既にその面を変へて気が向いたらまたちらりと別の面を現はす。多分、論理は特異点と渦を真正面から論理的に記述出来ない内は謎がちらりと現はす面に振り回されっぱなしさ。《存在》は特異点を隠し持ち、渦を巻いてゐるに違ひない。私にはどうしてもさう思はれて仕方がないのさ。論理自体が渦を巻かない限り謎は謎のまま論理を嘲笑ってゐるぜ、へっ。



…………



…………



不意に私の視界は真っ暗になった。私と雪は神社兼公園となってゐる鎮守の森の蔭の中に飛び込んだのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人は鎮守の森の蔭に入って視界が真っ暗になった途端、その輝きを増したのであった。街燈が灯ってゐる場所までの数十秒の間、この歩道を歩く人波は皆、闇の中に消えその《存在》の気配のみを際立たせて自らの《存在》を《他》に知らしめる外なかったのである。闇に埋もれた《存在》。途端に気配が蠢き出す闇の中、私は何とも名状し難い心地良さを感じてゐた。私は、それまで内部に息を潜めて蹲ってゐた内部の《私》がさうしたやうに、ゆっくりと頭を擡げ正面をじっと見据ゑたのであった。前方数十メートル先の街燈の木漏れ日で幽かに照らされた人波の影の群れが其処には動いてゐた以外、全ては闇であった。見知らぬ他人の顔が闇に埋もれて見えないことの心地良さは私にとっては格別であった。それは闇の中で自身の面から解放された奇妙な歓喜に満ちた、とはいへ



――《私》は何処? 《私》は何処? 



と突然盲(めし)ひた人がそれまで目の前で見えてゐた《もの》を見失って手探りで《もの》、若しくはそれは《私》かもしれぬが、その《もの》を探す不安にも満ちた、さもなくば、《他》を《敵》と看做してひたすら自己防衛に身を窮する以外ない哀れな自身の身の上を噛み締めなければならぬ何とも名状し難い屈辱感に満ちた、解放と不安と緊迫とが奇妙に入り混じった不思議な時空間であった。闇の中の人波の影の山がのっそりと動いてゐた。それは再び視覚で自身を自己認識出来る光の下への遁走なのか? 否、それは自己が闇と溶け合って兆す《無限》といふ観念と自身が全的に対峙しなければならぬ恐怖からの遁走といふべきものであったに違ひない。若しくはそれは自意識が闇に溶けてしまひ再び自己なる《もの》が再構築出来ぬのではないかといふ不安からの遁走に違ひなかったのであった。闇の中の人波は等しく皆怯へてゐるやうに私には感じられたのである。その感覚が何とも私には心地良かったのであった……。



(以降に続く)























2008 03/02 03:15:48 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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