ジッタさんが歩いています。
薄紫色の汚れたビニール袋を弓手に提げて、
意義を喪失したかのように、
虚し気に歩いていきます。
よく観察すると、
腕と脚が不揃いです。
痙攣と電気ショックを交互に受けたような、
不調和を彷彿してしまいます。
小刻みに揺れる横顔はまるで、
花王のマークです。
下顎が極端にしゃしゃり出て、
間違いなく下唇は上唇より2センチは前に飛び出しています。
45歳でなんとまだ独身。
なんでも女だらけの家庭で育ったそうです。
それにしては身だしなみがお世辞にも清潔とは言えない。
作業服は薄汚れ、
髪など梳いたことないのでしょう、
てっぺんが禿げて、
両の鬢から真上に伸びた強い髪は、
白髪もなくまるでバットマンのように屹立しています。
恋、
したことあるのでしょうか。
恋されたことが、
あるのでしょうか。
ないかもしれません。
ハナオカ、ジッタさん。
日本語の会話が苦手なのは
極度の人間嫌いの所為なのでしょうか。
コミュニケーションが不得意な人は社会において、
孤立しがちです。
孤立に対する焦燥感や絶望感を見据える、
自意識の発達がなければ、
精神病の一症状を呈するに至るでしょう。
そんな雰囲気が漂います。
なにせ、会話が成立しない。
これお願いします、
「ああ〜」
ここにもありますよ、
「うあ〜」
慣れましたか?
「はあ〜」
腰が砕けそうな見事な返答です。
快いほど無駄がない。
簡潔な対話ほどすきま風が気になるものはありませんね。
あ、メロンパンやんか、
右のポッケに覗く物を指摘したとき、
「ふふふ〜」
なんともいえぬ人懐こい笑顔を浮かべて、
見苦しく照れていました。
孤高の者に羞恥は似合わない。
だけども、ひどく人間臭い笑顔をもっていたのは、
新しい発見でした。
親しく慣れる可能性が高まるのです。
12時10分からの昼休み。
社員達はいそいそ社員食堂へ向かいます。
ジッタさんは、仕事が遅く、
いつも12時半くらいに小走りで食堂へ向かいました。
でも、
偉い人がもっと早く食堂へ行くように注意しろと、
ジッタさんの上司を叱ったそうです。
12時半以降は役員クラスの食事時間というのが、
暗黙の了解事項だそうで、
ジッタさんを、汚い、
それだけの理由で食堂から排除したいのでしょう。
同じ人間、どこが違うのでしょうか。
役職は、会社の序列であって、
社会における序列ではありません。
社会における序列など存在しません。
人間はみな、同じです。
綺麗でも、穢くても、
同じです。
偉さは、相対的に判断されるものではなく、
もっと人の根源に由来するものであるはずです。
しかし、ひとびとは、
外観や来歴で判別するという、
勘違いを改めません。
会社での序列が社会での序列であるかのように振るまい、
その愚かさにけっして省みることをしようとはしません。
それを横暴と呼ぶのですが、
横暴が出所によってはまかり通る、
それが会社組織という歪んだ世界の実態であることは、
嘆かわしいことですよね。
厳格なる序列を強いる企業は安定しますが発展しません。
序列を問わない会社は発展する可能性を濃厚にもちますが安定はしません。
昨今の不況の中、
これまでの経営理念が通用しなくなってきたのは周知の通り。
安定しながら伸びる会社にはひとつの大事なシステムが必需です。
それは部下の諌言に上司は素直に耳を傾ける、という姿勢です。
ですが、人における友情関係に等しく、
諌言を毀損と受け取る素直さをなくした方々ばかりが、
この世にはたくさんいらっしゃるようで、
素直に聴く耳をもつものは滅多にいません。
よく少年の心をいつまでも持ち続けているひとだ、
という表現を聞きますが、
あれは大概嘘勘違いも甚だしい嘘で、
比喩とも呼べぬ下劣な表現です。
何故ならば、少年の心であれば、
諌言をきちんと受け止めようとする素直さをもつからです。
悪口としかとれないような頑なな心に「若さ」があるわけがない。
ですから、食堂の一件も珍しくともなんともない、
普通の出来事としてひとはとらえ、
忘れてゆきます。
いつまでも其処に遺されるのは、
侮蔑された者の怨みだけです。
世の中はどれくらい怨念に充ちているのでしょうねぇ。
叱咤されたジッタさんは、食堂へ行かなくなりました。
工場裏にあるポプラ並木の下にしつらえられたベンチに腰掛け、
ぼろぼろ屑をこぼしながら、
大好きなメロンパンを
雀たちに囲まれて頬張っているのでしょう。
ジッタさんの上司は仕事中の事故で右腕を付け根から失いました。
あと数カ月で停年です。
わたしの唯一の話し相手です。
140センチほどの小さな身体で40年以上、
働いてきたのです。
ひとの春秋はどうしてこんなにも過酷で、
哀しいのでしょうね、
胸が詰まってしまうことがよくあります。
もうすぐジッタさんが上司の後を継ぎます。
その日までわたしはそこにいないでしょうが、
ジッタさんは45歳、
あと15年、
同じ日々を過ごすことでしょう。
右のポッケにメロンパンをしのばせて、
毎日、薄紫のビニール袋を提げて、
よたよた仕事してゆくでしょう。
春秋は或る者にとっては、
彷徨です。
ジッタさんは、結婚しないのでしょうか。
彼女ができたことがあるのでしょうか。
人を羨ましいと感じたことがあるのでしょうか。
現在の自分に足りないものを欲するとき、
人は変身を決意しなければなりません。
変身、とは、
何かを得るための代償だとも言えます。
代償ですから、
痛みや、恥に対峙しなければいけません。
それを面倒くさがっていては、
変身することは無理です。
変身したくなく、何も欲さず、
何も得ようとはしない春秋、
それは、
それで潔く、見事な生き方だと思えてなりません。

2010 01/31 15:04:52 | none
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