最終章
睥睨(へいげい)するウンテンさんの姿は、火花がおぼろな視界の中で勇壮に見えただろうか。僕は張り手一発で、部屋の中ほどまで吹っ飛び床に転がった。無防備なからだは、軽い衝撃でさえ耐えられないものだ。殴るほうにも事情はある、ひとことで悲しいという表現をあてるならば、きっと不正解なのだろう、その強面(こわもて)を、単一の感情でくくれるものではない、寂しさとか侘びしさとか切なさとか、どれくらいの形容詞をもってしても比喩しきれはしない。いつも物静かな男の怒りは、こんなにまで、雄弁で複雑なのだ。 ウンテンさんは、少し前、こう言った。男は恥ずかしい真似はしてはいかん、ひとが承知しても、自分が承知しない。自分が承知する恥ずかしさなんて、この世にはひとつもない、と。 含羞(がんしゅう)がなければ男じゃない。男はどんな時代も、恥によって生死を賭けなければいけない。時代がくだり、男と女がどれだけ平均化されても、男には男の性があり、 それを退化させることなどできはしない。まるでそう断じているような張り手だった。
「こうちゃん、すまん。こいつからあらかたは聞いた。こうちゃんはどうしたい?こいつは俺と別れてもこうちゃんと一緒になりたいらしい。こいつとやっていきたいのか?」
久子さんが赤児を抱えながら、散乱気味の真っ赤な視線を絞るように、起き上がろうとしていた僕にまばたきしながら焦点を定めていいた。本気なのか?そう問いかける僕に、本気よ、と応えるみたいに、唇がふるえている。いいや、そうではないのかもしれない。その緊張は、打擲(ちょうちゃく)された肉体的苦痛が癒えないからであろうし、これからの展開がどのように推移しようが、どうなってもいいというふてぶてしい諦念も見え隠れしていただろう。観えるだけの仕草、演技(じゃないかも知れないけど、本人にとっては)にくらまされてはいけないのだ。
「いいえ、そういうつもりはありません」
言い直さないように静かに応えたつもりだった。激しく高鳴る鼓動に邪魔されながらも、一語一語ゆっくり呟くように云ったつもりだ。小学生の時、テープレコーダに吹き込んだ自分の声を、どうしても自分の声だと信じられなかったのを想い出した。声はいつも、自分を裏切るものだ。情けない声だったかもしれない。
「そうか……、おい、こうちゃんはこう言ってるぞ、おまえ、どうする?」 問いかける視線が優しく見えたのは、ウンテンさんが、敗北を素直に認めさせるだけの器量をもっていたからだろう。そのなかにはもちろんだけど、かすかな希望にすがりつくめめしさもあっただろうに、それを隠そうとしない率直さもまた、器量の必須条件とされるだろう。男は強く、そして弱くなければならないのだ。 「片思いでいいの。この子とふたりで生きてゆきます。別れて下さい」 「おまえ、まだ、そんなこと言ってるのか?そうまでして俺と別れたいのか?」 「はい」
女は残酷だ。二文字で男を殺す。ためらいなど微塵もない。
「久子さん、それはあかん。友達としてなら、これからも会えるけど、久子さんがそんなんだったら、もう会えないよ。ウンテンさんこそ、久子さんにふさわしいひとじゃないか。それが判らないのかい?」 「判ってるよこうちゃん。こうちゃんはアタシなんか嫌いなのよね。でもいいの、いつか絶対振り向いてくれるまで、待ってるから」 ウンテンさんの顔色が気になったけど、うかがうだけの余裕はなかった、 「だから。どれだけ待っても、無駄だよ。はっきり言うね、俺はそういう女の人が嫌いなんだ。人妻は、そんなことしちゃいけない。別れて独身になったら?いいや、そう言う気持ちで独身になっても、俺は理由を知ってるだろう?知らないフリはできないよ。気持ちが延長するってことはね、受ける側にも伝わり続けるってことだろう?赤の他人として初めて出合うならともかく、出合ってしまった今はもうそんなの不可能だよ。出合いなおしなんてできないんだ。だから、断言するね、俺は久子さんの気持ちには永久に応えられないよ」 「嘘よ、そんなの。陽子ちゃんがいるからでしょ?わかってるんだ。でもね、こうちゃん陽子ちゃんとはうまくいかないよ。あんな歳で尻軽な娘なんか、大きくなったらどうなるか想像できるでしょ?こうちゃん絶対にふられるよ。こっぴどくふられるよ。立ち直れないくらいボロボロになっちゃうよ」 「それは久子さんには関係ないだろう?ウンテンさんにも関係ない。関係のない話は出しちゃダメだ、話をややこしくするだけだよ。いいかい、今、話し合わなくちゃいけないのは、久子さん自身の身の振り方だろう?ウンテンさんとの問題は、俺は関係ないから二人で解決してくれよ。俺とのことは、今、言ったよ。それが全てで、他はない。今日を限りにこの部屋にきちゃいけない。久子さんがそう言う気持ちを捨てない限り、友達にもなれない、判った?」
僕は思っていた。人を説得するのは無理なんだと。その人の要望にそわない限り、不承不承にさえ受け入れれてはくれない。だから久子さんを説得できたとは思わなかった。旦那に知られても、旦那の前でも、こうして意志をはっきり言い切れるだけの度胸があるのだ、最低限、旦那と離婚しない替わりに、僕との関係も今まで通りっていう譲歩をみせないと、引き下がりはしなかっただろう。虚仮(こけ)の一念岩をもとおす、っていう言葉がある。愚者も一念のもとに仕事をすれば、すぐれた業績を残せる、とかいう意味だけど、この虚仮っていう言葉のそもそもの意味は、内心と外相が違うことで、転じて、虚仮にするとかいうふうに、バカにするような意をあらわす。その一念も達すれば、かたい岩でさえ穴を穿(うが)つ。 女の情念の深さは、そう、大量の虚仮を帯びながらも、底なしで、自らを容易に焔と化するに躊躇しない。
「こうちゃん、すまなかった。あとは俺等の問題だな、邪魔したな」 帰りたがらない久子さんの不満な表情など顧みず、ウンテンさんは、彼女の腕を強引につかんで帰っていった。その背中は、いつものように、隆々とした筋肉できしんでいたが、久子さんを掴んだ右肩が下がっていた。 不倫は切ない恋だと誰かが言った。本当にそうだろうか?僕は思っていた。本当に切ないのは、不倫しているひとじゃなく、不倫されたひとなんじゃないかって。ふたりがこれからどうなるのか、僕には判らない。単純明快な解決方法なんてないだろう、どれだけ話し合っても、妥協できるかどうかは、された者の我慢に委ねられる。それは、胃を破るほどの苦汁を舐めることに等しいだろう。どうか、仲直りしてください、ウンテンさんの背中に、僕はそう心で願った。
「こうちゃん、ウンテンさんに殴られたの?」 どれくらい呆けていたのだろうか、いつの間にか来ていた陽子に覚醒される。 「あー。ほっぺた腫れてるよ、痛い?湿布しようか?」 こいつの神経はいったいどうなっているのか覗けるものならぜひ覗いてみたいくらいだ。今日も陽子はヨシ坊とデートしていたのだろう。どこでなにをしていたのだろうか等と、想像するだにおぞましいのだけど、嫌になるのは、頬に残る、桜色の昂揚、それに、瞳の粘膜に明滅する光沢のゆるい鈍さ、そういったものが、今まで何をしてきたのかを、これでもかと呈示してくれる。やるせないったら、ない。それでも僕はこいつが好きでたまらないのだから。 「どう?気持ちいいでしょ?」 ひんやりした頬は、忘れていた痛みを思い出しかのように、再び、剥がされるうな苦痛を動悸にあわせて主張しはじめた。 「ヨシ坊に抱かれて来たんだな?」 「なによ、それ、そんなことしてないよ。いやだこうちゃん、妬いてるの?」 ああ、妬いてるよ。妬かない男がこの世にひとりでもいるかい?いるわけないじゃないか。いるのなら逢わせてくれよ。そいつは人間じゃない。 「嘘はもういいよ。なぁ、そういうことして、おまえ本当に俺が好きなのか?」 「そういうことって何よ。好きだよ、こうちゃん」 「ヨシ坊も好きなんだろ?ならどっちか選べとは言わない、ヨシ坊を選べよ。俺はもういいから」 「なに変なこと言ってるの?わけ分んない。アタシはこうちゃんだけだよ、ヨシ坊なんか大嫌いだもん」 「ヨシ坊にもこうちゃんなんか大嫌い、って言ってるんだよねおまえは」 「やめてよ、そんなことないって言ってるじゃない。アタシをそんな女だって思ってるんだこうちゃんは」 ああ、診てるよ。陽子、おまえは、そういう女だ。 「じゃどうしてヨシ坊とデートしてるんだ?今日もどっか行ってたんだろ?大嫌いな奴に誘われて、おまえはホイホイついてゆくのか?」 「無理矢理だよ、ホイホイだなんて、ひどい。力強いし、怖いし、抵抗できないよ」 「じゃ、ヨシ坊が無理に連れていかなければ、ついていかないんだな?」 「そうだよ、アタシはこうちゃんだけだもん」 十六歳の暑い夏は、終りを迎えようとしていた。森昌子が「中学三年生」という歌をヒットさせていた。彼女の初めてのヒット曲だったろうか。陽子がたまに、歌詞を口遊(くちずさ)むものだから、耳にのこり、自然に覚えてしまった。いいとは思わなかったけれど、陽子にとっては、心惹かれるところがあったのだろう。汗ばみながら、湿った衣服で抱き合う僕らに、終焉の影は、本性をあらわすかのように急速に速度をまして襲いかかってきていた。足音は聞こえない。風も感じず、予感もなく、変わりのない毎日が永遠に連鎖してゆくような剥落感が絶え間なく収縮しているのにもかかわらず、そいつは遮二無二牙をむき、爪を立てる。まるで、覚悟しろ、と威嚇するかのように。
♪蛍の光がうたえない 涙でつまってうたえない あのひと卒業してゆくの さよなら言えなきゃいけないわ わたしも中学三年生♪
陽子の裏の顔を僕はもう知っていた。好きになった瞬間は、そんなことはどうでもいいことだった。彼女がどれだけ負の顔をもっていたって、僕を好きだと言ってくれた迫力の前では、馬の耳になんとかだ。うるさい虫ほどの警鐘にもなりはしない。だが、嫌らしいことに負はそれだけでは収まらない。 恋は希望に比例するのだろうか。いいや、絶望にこそ比例するといえるのではないか。加法ではなく減法、ここもだめ、あ、そこもダメ、あれもだめなんだ、引いて引いて、気づいたときには、大元までが陰極に傾いているその境目こそが、失恋なのかもしれない。 では、加法に転じるものはなにもないのか?虚しいことに、僕らは、それを算出できはしない。善悪という観念があやしくなって久しいが、世のありとあらゆる交差は、どれだけ細分化し多岐にわたろうと、とどのつまり、善し、悪し、という昔ながらの対極に分けられてしまう気がする。けれどもそこまでどうしてなかなか極められないのかというと、そこに、情念という、僕らごときではどうにもならない生物本来の性癖が、必ず、迷わせる情報を与え横槍を入れてくるからだ。その穂先は鋭く、決意の影にひっそりと佇む怯懦(きょうだ)をひきずり出す。こと恋愛に於ける男の決意など、なんともろいものか。あなただけよ、そのひとことで、鉄腸も蕩(とろ)けてしまう。 僕らは、幼い頃から情けと優しさと、そして強さを仕込まれて育つ。それは、許せるか許せないか、という判断力を肥やす。強くなれ、しかし優しくあれ。それを決めるのは硬い意志であり、信念であり、情愛である。だが、大人は教えてはくれない。決意に、人としての本能など必要ないって事を。冷血にならなければ、人は褒貶(ほうへん)などできるものではない。ましてそれより至難な決意をや。 店がひけた真夜中のことだった。 飲み物を取りに行こうとして階段を半ば降りたとき、母とキミヨさんの話し声が聞こえてきた。
「産婦人科で検査したの?」母の声だ。 「はい、連れていきました。よかった。妊娠してなかった」物静かにキミヨさんが応えた。 「よかったわね、陽子ちゃんも可哀想に」 「すみません、ワタシのせいなんです。ワタシがあのひとをほったらかしていたから…」 「そうよ、あんたもいけない。せっかく所帯もったんだから、我慢しなきゃ。駆け落ちまでして一緒になったんだろ?大恋愛したのにどうして浮気なんかしたの?」 「魔がさしたんです。むしゃくしゃして、優しく声かけられたら、止められなかった」 「ちゃんと別れたの?」 「はい。別れました。家も心配だったし、まだ小さい娘もいますから、それとなく様子を見に帰ってたんですけど、まさか…」 「どうしようもなかったでしょうね、陽子は。不憫な子だ」 「ワタシのせいです。あのひとをそうさせたのも、陽子があんな目に遭ったのも…」 「自分を責めちゃだめよ。責めたからって、どうにか出来るわけじゃないでしょう?陽子は妊娠してなかったのね?」 「はい、だいじょうぶでした。姉さんには、お世話になりっぱなしで、どうお礼すればいいのか…」 「そんなことは考えなくっていいのよ。あなたは陽子のことだけ考えていなさい。ショックだったんだから、どうなっても不思議じゃないでしょう?叱っちゃだめよ。あの子は被害者。忘れられたらいいんだけど…」 「ヨシ坊と付き合ってるみたいなんですよ。ワタシはこうちゃんがいいんだけど、姉さん、お嫌でしょう?」 「ごめんなさいね、そうしてほしいの。恒吉は、思い詰める質だから、陽子の秘密知ったら、何仕出かすかわからないもの」 「はい、わきまえています。陽子はこうちゃんを慕っているようだけど、片思いですよ。陽子にはヨシ坊がちょうどいい。安心なさってください」 「陽子はどう?まだ心を開かない?」 「はい、自業自得です。ワタシのせいだとあの子も思ってるでしょう。仕方がありません。時間をかけて、仲直りしてゆかないと」
うすうす感じていた陽子のもう一つの顔。けっして語られない、暗部。僕は、その場をいつまでも動けなかった。慄えとともに来たるこの溢れるような愛おしさはなんなのだろうか。キミヨさんの浮気なんて知らなかった。留守中の陽子は、苦労しただろう。彼女は長女だ。妹たちの面倒をみなきゃいけない。健気な、陽子の面影が浮かんだ。母親の顔をした陽子が、その面影に投影される。ヨシ坊に愛撫されて希希とした面持ちをする陽子が、更に、みっつの顔を不斉合成した。優先的に生成されるのはどれだろうか。 僕は、その時、陽子を初めて怖いと感じた。しかし、無償にも思えるその愛しさは、いつまでも、消えなかった。
たくさんのことを至急に整理しなければならなかった。何かに向かって僕は奔りだしている。どこへ行くのか知らないけれども、僕は、もう、止まらない。散漫だとからかわれていた性癖は、いったん集中を試みれば、忘我のはざまに迷いこむ。時流が逆行しはじめると、しなければならないことが、姿を現す。 陽子の言葉を信じはしない。だけど、騙されてあげよう。その嘘にお付き合いしてあげよう。おまえが怖いのなら、その元を断ってあげよう。この身がどうなろうが、構いはしない。先ずは、そこから、と。
ヨシ坊は叔母のスナックで住み込みながらバーテンをしていた。不用心な店だ。営業していない昼間でも、鍵はかかっていない。ベルトをズボンから抜き、金具をオモリのように垂れさせ、手にその反対をぐるぐる3重に巻いた。階段の踏み板を、金具が、コトンコトン、鳴らせる。上がりきると、アルコールの腐敗臭とともに、散乱した屑の山となった机の向こう、センベエ布団にヨシ坊を見つけ出した。ひとりだ。陽子と付き合えたら、女を全部切ると宣言したのは嘘じゃなかったようだ。
「ヨシ坊!!」 声音を調整できなかった、甲高く響いたろう。 「なんや、こうちゃんか。どうしたんや」 「陽子と今日会うんか?」 「おお、会うで、こうちゃんには悪いけどな」 「あいつが好きか?」 「ああ、好きや。こうちゃんと一緒くらいにな」 「陽子は何て言うてんねん」 僕の右手のベルトを見て、ヨシ坊はムクッと起き上がり、身構えながら応えた。 「好きやと言うてくれた。俺と一緒になりたい、て」 「そうかぁ、良かったな。相思相愛やんか。で、陽子俺のことはなんて言うてる?」 「さぁ、聞いてみたらええやんか陽子に、毎日会ってるんやろ」 語気が荒くなってきている。 「さぁてどうかなぁ。おまえみたいに毎日かなぁ」 「どうせ俺のことも大嫌いて言うてるやろ」 「どっちでもええやんか、そんなこと。好きやったら、好きでいてくれるだけでええやんか」 「いいや、こうちゃんをアイツは好きや。オレでもそんなことぐらい分る。なぁ、こうちゃん、なんでや?オレに紹介したんは、こうちゃんやないか?」 碧や赤が混じった口髭が立った。眼はもう、笑ってはいない。 「陽子が望んだからや」 「違うやろ、試したかったんやろ、アイツの気持ちを。オレはそれでもよかったんや。いつかオレに惚れさせたる自信もあった…」 「なら、問題ないやないか。陽子とうまくやってけな」 「ならそのベルトなんやねん?オレをしばく気か?」 「これか?そうや、おまえをしばくんや今から」
国鉄京都駅前の市営バスに乗り、大原バス停下車、三千院への参道を呂川に沿って上っていくと、しば漬け屋や雑貨の店が軒を連ねている。参道が尽きる辺りは魚山橋。左に曲がると、そこが桜の馬場と呼ばれる三千院の門前だ。厳めしく格調高い三千院の石塀に圧倒されるとガイドブックに記載されているが、観光でない者にとってのそれは、ただの石塀にすぎない。 三千院を挟んで流れるふたつの川がある。右手の川が呂川、左手の川が律川だ。 いかなる命題Pに関しても、「P」も「Pでない」もともに真ということはない、という矛盾律の原理へ挑戦したことがあるだろうか。形式論理学の基本法則には、同一原理・矛盾原理・排中原理・充足理由の原理の4つがある。排中原理とは、一般的には「AはBでも非Bでもないものではない」という形式をもち、Bと非Bとの間には中間の第三者はありえない、ということで、矛盾原理を補足するものである。未来事象に関する命題については真でも偽でもない第三の可能性を認めざるをえず、ここから記号論理学では多価論理学の特色として排中原理を認めない場合があるそうだが。同一原理とは、「AはAである」の形式で表されるもので、概念は、その思考過程において同一の意味を保持しなければならないということ。つまり矛盾原理は、「Aは非Aでない」または「SはPであると同時に非Pであることはできない」という形式で表す。この原理は、一定の論述や討論において概念の内容を変えてはならないことを意味し、同一原理の反面を提示する。最後の充足理由とは、事物の存在や真なる判断はそれを根拠づける十分な理由を要求するという、正しい思考の守るべき原理である。
僕は、僕であり、僕ではない、このふたつはともに真ではないか?まず僕は、私でも私でないものでもないが、私と私の間にいる私ではありえない。僕は僕であり、僕でないものであることはできないのだ。そう、僕は、僕でしかない。僕以上にはなれず、僕以下にもなれやしない。
「こうちゃん、こうちゃんは死にたくなったことある?」 下着をつけながら陽子がつぶやいた。汗も拭かずに、僕らは、毎晩抱き合った。久子さんも来なくなり、ヨシ坊も来なくなり、僕らは二人きりの夜を、過せるようになった。ヨシ坊に殴られた腫れが引いた頃だっただろうか。世話女房気取りの小さなお嫁さんのお節介には閉口する。どうせなら、ヨシ坊の方にそうすりゃいいのにと、意地悪いひとことでも言ってやればよかったかな。静かな夜が、僕らに訪れた。それはいいことなのだろうと、僕らは悦んだ。だけど、それはいいことなんかじゃなかった。少なくとも陽子は、孤独にしてはいけなかったんだ。精神の安定を失っていた少女の、思いつく紛らす手立てなんて、そんなにありはしない。異性によって出来た瑕は、異性によってしか埋められない。たとえその瑕口が、より深刻な結果を招こうとも。事実陽子は、そうしようとした。 「ないよ。なんでや?」 「別に意味はないよ。ただね、そういうときがこうちゃんにもあるのかな、って思ったの」 「にも、ってことは、おまえ、死にたくなるときがあるのか?」 「うん、あるよ。今日ね、薬屋さんに、睡眠薬を貰いにいったの。それでね、これ何錠飲んだら死ねますか?って聞いたら、驚いて、売ってくれなかったの」 「ふ〜〜ん、そりゃそうだろうよ。ましておまえは未成年だしな」 「ねぇ、こうちゃん、ヨシ坊になにか聞いたの?アタシのこと」 「いいや、なにも聞いてないよ。済まんな、喧嘩してしまった。だいじょうぶだよ、痛み分けだったから。あいつ、強くなったよな」 額を指でつっつくだけで、びぇーーんって泣いてたヨシ坊は、もういない。いるのは、水商売を怖じることなく渡ってゆけるヨシ坊だった。半殺しにしようとして、されたのは寧ろ僕の方かも知れない。 「怒らないの?アタシのこと」 「どうして?」 沈黙ののち、 「ね、死のうこうちゃん。アタシと一緒に死のう」 「理由は?」 「理由がなければだめ?太陽が眩しいから?」 カミュのような言い回しをする。まさか14の娘が「異邦人」を読んでいるわけがない。思いつきなのだとしたら、案外、陽子の感性はフランス文学的情緒に根ざしているのかもしれない。少し、格好良い。 「死んで欲しいのか?俺でいいのか?」 「うん、こうちゃんがいい。他の人なんか要らない」 死にたくなるほどの苦しみなんて、あるのだろうか。僕には理解できなかった。何気なく流れの中に投影された一言が、全てを一変させることだってある。死とは、その最たるものではないか。どう仕様もないぎりぎりのところは、どう考えたって、終着点じゃないことの方が多い。なにかあるのだ、そこまで追いつめられない方法が。それを捨ててまで、短絡に死を選んでいいものか?心が騒いでいたが、ふたをした。どうしてかって?陽子が微笑ながら誘ったからさ。滅びって、そういうものでしょう。
三千院を散策した後、僕らは早い夕食を摂った。給仕に宿を尋ねると、手頃な値段の民宿を勧められた。紹介料でもはいるのだろうか、給仕は異常過ぎる親切を見せ、自ら案内を買って出た。僕らは夕焼けを背中に浴びながら、導かれるまま草深い森を抜けた。蝉の声が、通り雨のようにふってきた。森全体の木々が騒いでいる。手はつながない。僕らはそれまでのように、なにひとつ変わることなく、一定の距離を置き、歩いた。戻ることはない、暮行く山道を。 宿帳にどう書き込もうか思案していると、陽子がそれを奪って、兄、妹、と記入した。兄妹か、なるほど、とその機転に舌を巻いた。機嫌を躁鬱で二分化させるとしたら、僕らはどう分類されるだろうか。男と二人っきりで宿をとるなんて、彼女には初めてだったろう。十六歳と十四歳の少年少女が、泊まるのだ、宿主の怪訝な顔つきは我慢しなきゃいけないだろう。そう、僕らは、いろんなことを我慢する。そうしていろんなことをそこから学ぶ。それを経験と呼ぶのならそれでもいいだろう。だが、僕らが学ぶのは、倫理ではなく、境界だ。ボーダーライン。精神病と神経症の境にある境界的人格障害。 愛情飢餓によって生じる、衝動的で見捨てられ感の強い不安定な状態のことだ。アメリカではボーダーラインは80%、親からの暴力虐待、性的虐待から生ずるが、日本では80%が過保護状態から生じ、虐待はわずかに6%であるのだそうだ。性的虐待は1%にもとどかない。治療はきわめて困難ではあるが、認知行動療法や力動精神療法を主に治療が行われているのが現状だ。町沢のデータでは、ボーダーラインは1年間治療が続けば約20%寛解に至る。そして30代の半ばを過ぎれば、大体ボーダーラインの症状は消失していく傾向にある。 投薬としては、カルバマゼピン、ハロペリドール、炭酸リチウム、SSRI(選択的セロトニン再吸収阻害物質)などが効果があるといわれている。 しかし、精神医学会に診断基準が出来たのは二十年後のことだ。僕らは、だれもが孤独にボーダーラインをさまよい、だれもが自身でそれを克服してゆかなければ成らなかった。 科学は正しいという迷信を払拭出来る時代がくるのだろうか。ただの数式に肉体ならまだしも、心が表わせる筈がないのに、精神医学、笑わせるんじゃない、おまえらみんな、ただの宗教団体の司教じゃねぇか。嘯(うそぶ)く僕の独白は、僕自身に言い聞かせているようだった。 二組の布団が敷かれていた。僕らは兄妹に見えただろうか。陽子が布団を引っ張って、くっつけた。灯が閉ざされ、闇の中、衣服を脱ぐ音だけが散る。浴衣を羽織りながら、アタシ色黒いから、と日焼けを気にするが、だいじょうぶさ、なにも見えやしない。おまえも、そのからだも、そして、おまえの浮気心も。 「こうちゃん、どれにする?」と陽子がトートバックから、錠剤を出した。 「こっちが睡眠薬で、こっちが鎮痛剤」仕分けながら、「持ってきてくれた?ナイフ?剃刀?」 「両方用意した。好きなの選べよ」 「いいのね?本当にいいのね?」 「くどいよ」 「八重子オバサンに叱られちゃうね」 「いいよ、気にしないで」 「こうちゃん、アタシが好き?」 「ああ、おまえよりね」 「アタシだって大好きだよ」
僕は、この瞬間、生の終わりではなく、恋の終わりを自覚していた。
ちょっと散歩してきます、そう宿主に告げて、僕らは暗い庭に出た。紅染の三日月が夜空にあった。蝉の声は、やむことがない。陽子が、腕にしがみついてきた。少し、ふるえている。寒いのかい?と訊くと、首を左右に振った。真夏だった。風もない。なのに、僕らは、歯の根が噛み合わないくらいふるえていた。僕らは、まだ知らなかった。僕らがそうするために、まだひとつ足りないものがあるのだということを。 十分ほど歩くと、呂川の川縁に出た。月明かりにせせらぐ水面が、蛍のように晦明(かいめい)する。その彩りを伴奏するかのように、かわつらを涼風が渡った。大原の起こりは定かではないが、西暦八百六十年慈覚大師円仁が、声明業の精舎を大原の魚山に建てたとの説があるそうだ。下ること百二十年あまり、天台宗の学僧で、浄土教の理論的基礎をきずいた源信が、妹の安養尼に阿弥陀三尊へ給仕させるため、大原に極楽院を建立したとの説もある。隠れ里、世捨て人がこの世の果てを見る終焉の地、大原三千院。恋に疲れた女がひとり、歌われるほどの情思がただよっているようには思えない。この世の果てに、僕らは辿り着いた。 「睡眠薬を貰おうか」 「ここで死ぬの?」 「ああ、腹切って、川に入ろう」 「それじゃ離ればなれになっちゃうよ」 「手をつないでるから、それでいいじゃないか」 「でも、苦しくて手をきっと放してしまうわ」 「その時は、仕方ないじゃないか、人は二人のままではいれないよ」 「こうちゃんはアタシのことなんか好きじゃないんだ」 「それももうどうでもいいだろう」 そう、僕らは、ここで、死ぬのだから。陽子はここに至っても、自身に起こった不幸を教えてはくれなかった。初めての夜、陽子は歓喜に酔いながら僕に抱きつき、脚を背中に絡ませた。初めてなのに、血が出ないね、と囁くと、返事はなく、痛くもなかったみたいだね、と更に呟くと、あ、少し痛くなってきた、と消え入りそうな声で返答した。返事を求めていたんじゃない。行為を確認しただけのことだったのに。 あの時、僕は、悟ってあげなくてはいけなかったんだ。どうしてそんなかなしい嘘をつくのか、を。 僕らはなにひとつ真実を知らず、虚実のまま、現実を錯覚する。 「じゃ、飲むよ」 「待って、アタシも飲む」 「まさか、ビタミン剤じゃないだろうな?」 「ひどい、こんなとき冗談言わないでよ」 「水、ないな。咽、とおるかな。この川の水、飲めるかな」 「汚いよ、きっと。飲んじゃだめ」 「じゃ、腹切るね」 「それも駄目、こうちゃんだけ先いっちゃうじゃない」 「難儀なやつだな。入水するかこのまま?」 「アタシ泳げるよ、こうちゃんは?」 「泳げると思う。でも、ここじゃ、泳ぐも何も、深さが足りない」 「ねぇ、もう一度最後に抱いて」 「ここでか?」 「うん、ここで」そう言い終えぬうちに、陽子は浴衣を脱いだ。十四とは思えない放恣な四肢が微風に香った。
こうして僕らの夏は終わった。 僕らは、死ななかった。捜索願まで出しかねない勢いだったらしいキミヨさんが、陽子の処遇をどうしたのか、僕には知らされなかった。大阪に戻った僕らが、二度と会うことはなかったからだ。逃げるように、陽子は、沖縄に帰っていった。四年後、陽子は静岡で結婚し、男の子をもうけたそうだ。だが、翌年に離婚、沖縄に帰郷した。キミヨさんは糖尿病を患い、闘病生活をいまも続けているらしいが、時折、母に近況を報告していたようだが、帰郷後の陽子の消息は杳(よう)として知れず、ただ、申し訳ない、とばかりの謝辞がいつも並ぶのだそうだ。 母は言う。内面に「剣」をかかえた因の霊魂がある。因には、序列があり、陽子の性(さが)はその最高位にあるという。男はその性に惹かれ、胸を剣で貫かれたた後、地獄におちる。だけど、僕は死ななかった。そう反論すると母は、こう答えた。
「それは奇跡なのよ。それだけあの娘は、おまえを好きだったのかしらね」
ふりむきながら唇をちょっとなめ 今日の私はとてもさびしいと目を伏せるあなたは 気絶するほど悩ましい ああまだだまされると思いながら ぼくはどんどんおちてゆく
ああ嘘つき女と怒りながら ぼくは人生かたむける
うまくゆく恋なんて恋じゃない うまくゆく恋なんて恋じゃない
作詞 阿久悠
呂川の川縁、浴衣を脱いで裸になった陽子の肢体が脳裏ではじけ、精一杯さようならという声とからだを、風がさらっていった。 見上げる僕はさようならを、そうさ、云えなかった。
了
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