カテゴリ[ お仕事 ]の記事 (16件)

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友人と飲みに行ったのはロシアンパブ。
彼は語学の天才で、英語・中国語・韓国語・ロシア語・タガログ語を話す。
金髪のおね〜ちゃんと話をしようにも私は全くだめで、
仕方なく日本人のママを相手に飲むことになる…

ふと友人を見ると、楽しそうに訳の分からない言葉で会話が弾んでいる(`´メ)
彼が言うには、先日彼女とランチを楽しんだそうだ。
その後、奥さんが車のシートに金色に光る髪を見つけ、
「白髪の女を乗せたん?」と聞いてきたので
思わず「知らん!」って言ったそうだ。

この夫婦は2年に一度は大喧嘩をし、
頑固な二人は数ヶ月に渡って口も聞かない。

業務連絡が必要な時は私に電話してくる。
つまり、私を伝言役に使うのだ。

「そろそろ、何々しないといけないけどどうするつもりか聞いて!」
「お前が勝手に判断しろ!」
「じゃ、好きなようにする!」
「何であんなことしたんや!」
「好きなようにせえと言うたじゃない!」
私を経由した伝言喧嘩は続く…

疲れ果てた私が、
「もう、ええ加減にしてくれ。こっちが病気になりそうだ…」と言うと

この夫婦は、
「ええ病院知っとるよ〜」なんて声を揃えてぬかす!

「患者を治すんじゃなくて、患者を作るんか!」に、
「そうでもせんと、儲からんけ〜」だって…

『夫婦喧嘩は犬も食わん』ですね…
頼むから私を巻き込むのは止めてください m(_ _)m

ストーカー対策神奈川はこちらです。
2010 06/16 10:09:21 | お仕事
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独身の頃はワイン。
結婚してから自家製梅酒とワイン。
子供が生まれてからは梅酒ともらい物のビール。
学校に行くようになり梅酒。
それが今や焼酎。
私の晩酌は変遷してきた…


機嫌良く飲んでいたら「三笠フーズ」の事故米のニュースが流れてきた。
「宝山」汚染米混入のため回収…

まさに私が飲んでいたのが「宝山」!
思わず吹き出しそうになったがニュースに聞き入る。

開けたての「宝山」も交換してくれるのか…
それとも泣き寝入りか…


よく考えてみると、
同じ米とはいえ、何故食料品と工業用のものを同じ業者が扱えるんだろ?
食料用は農水省管轄で米屋さんが扱い。

糊は経産省管轄で、業者を変え同時に扱えなくすれば良いだけのこと、
そうすれば偽装も混入なんて事はあり得ない。

これはきっと農水省の利権が絡んでるぞ〜〜

何のために86回も検査に行ってたんだ!
農水省の役人に汚染米焼酎を飲ませてやれ!

「三笠フーズ」の社長に刑務所で毎日汚染米を食わせろ!




ショックと怒りで我を忘れてしまいました…m(_ _)m
2009 03/15 05:55:03 | お仕事
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私の育った小学校には、戦前の建築としては珍しい鉄筋コンクリート造りの校舎が残っていた。
原爆にもめげず、石造りの日銀と共に廃墟の街に聳えていたらしい。

5年生の頃、流行った遊びが「狐の野球」。テレビでやっていた「コンバット」を真似た遊びだが、戦争物の名前を使う事が憚られたため、コンで狐・バットで野球と呼び変えたのだ。
みんな手作りの「銃」を持ち、大きさによって射程と球数を決め、二組に分かれて敵陣を目指す。
大きい銃は射程が長いが、次弾を撃つまでに大きな声で五つ数えないといけない。場所はばれるし機能性に欠けるが、木っ端とパイプを組み合わせて色も付けたりした力作である。
口で「バーン」と言いながら「○○ちゃん、死んだ」といえば、その子は死んだ事になり以降の判定役となる。
ゲームより苦労し作り上げる工作の面白さと、みんなに披露し「すっげ〜」の声を聞くのが主な楽しみであった。

ある日、その遊びが担任の先生にばれた。
次の日、全ての授業が中止となり、被爆建物である旧校舎の地下教室へと連れて行かれた。
薄暗い湿った地下教室。
「ここで、あなた達と同じ小学生が何十人と死にました。」
「被爆後、この校舎は病院として使われ、毎日何十人と死んでいきました。」
「私は主人と息子を戦争で亡くし、残った家族も全て原爆で亡くしたんです。」
と先生が静かに話し出した。
「この校舎の壁には、尋ね人の落書きで一杯でした。誰も消す事が出来ず、今では板を張って保護してありますが、写真があるので見に行きましょう。」
それでクラス全員、原爆資料館・原爆ドームへと連れて行かれた。

道すがら「ここには私の友人が住んでいた。」「ここは魚屋だった。」等々と話す先生。

改めて被爆直後の写真を見ると、
廃墟だ…
誰もいない。
存在した証拠も記録も何も残っていない。
日記も写真も服も茶碗も…

現在の平和公園しか見た事のない私たちに、
ここには人が暮らし、笑顔や包丁の音などの生活音に溢れていた事を知らされた。
自分だけ離れた工場に行っていたために残された悲しみ。
主人や息子を戦いの場に送り出してしまった悔恨。
泣き濡れて、立ち直れる事ができなかった数年間。
そして、二度と過ちを繰り返さないと誓い、教師となった事。

「どんな事があっても、人が人を殺してはいけません。」
「どんな理由をつけようと、人に人を殺させてはいけません。」
嗚咽しながら話す先生…
クラス全員が泣いた…


私の息子も高1となった。
そろそろ伝えなければならない。
それが私の義務だから…
2009 01/31 10:46:32 | お仕事
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花

08:30出発予定を08:20に行ったら、
いきなり遅刻だ!と怒られました。

バスを貸し切り、私が乗り込むともうすでに酒盛りが始まっていました…
12人の研修旅行ですが、あれがベネッセ。でかい工場ですね〜。
以上、工場見学終わり。
なんて調子です。

私の所属する広島印刷研究会の初代会長を含めたOBの方々の世話係が我々二人。
ビールのロング缶3本/一人が、あっという間に無くなり、
児島ICで降り酒の補充をさせられました。

戦前生まれの方々は、我々とは体の造りが違うようです。
よく飲み、大声で笑い、良く食べますね。


写真は、児島の塩で財をなした豪商の庭に咲いていました。
雨の中の可憐な姿に思わず携帯で取りました。
名前は知りません(--

夕方に帰広し、家に帰って10時まで爆睡。
今日はとっても「大儀い(たいぎい)」(広島弁の、しんどい事です)

早く帰って寝たい気分です(∋_∈)
すっかり精気を吸い取られた気分ですね…
2008 06/24 13:09:11 | お仕事 | Comment(0)
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高1の息子は野球漬け。
旅行や外食も出来ないので、GWはパソコンばかりしていました。

HPの制作をしているのですが、得意先のHPを廉価で高機能なサーバーへの引っ越しを依頼され、GWの前から三つのサーバーを借りて調べてみました。

それぞれに同じ内容のブログを立ち上げ、レンタルサーバー自体の順位を比較しました。
1.ハッスルサーバー
2.NSFサーバー
3.ロリポップサーバー
いずれも200〜300円/月くらいのサーバーです。

二週間後の順位は上記の通り、
「ぶろぐん」というデータベース不要の無料ソフトを使いました。

すごいと思ったのはどのサーバーも翌日みはYAHOO検索に引っ掛かって来たことです。
(SEOのためのブログやHPに、リンクを20個かけた事もありますが…)

順位と言っても大差はなくそれぞれのサーバーの特徴を生かせばよいと言うのが結論ですね。

これで、引っ越しの準備はできました(^.^)


ここで止めとけば良いものを…
ロリポップの10日無料お試しを利用して…
a-blogの無料版をインストール。
MySQLデータベースが必要で、
稼働までに丸一日かかりました(--
カスタマイズに失敗したりで、また一日。
まあ、今は満足度80%ですね〜。


調子にのって、MovableType4.1をインストール。
MySQLデータベースが上手く行かず初期化を繰り返し、
MovableTypeの書き込みサイトを探しながら、読みながら
やっと昨夜、成功しました…

でも、重い。
サーバーにアップするだけで15分もかかりました(;_

来週の引っ越しもあるし無料期間も切れるので、「諦めよう!」
と思っています。


私が得意先に進めているのがブログを作ること。
しかも、index.htmlの直下の階層に作ることです。
ブログを書けば書くほど、そのHPのページ数が稼げます。

10ページのHPと100ページのHP、
検索サイトがどちらを重要視するかは一目瞭然ですよね。


HPの順位が上がらなくて悩んでる方は、ぜひ挑戦してみましょう。
PHPが利用できるサーバーであれば簡単ですよぉ。



慣れればね(-_-)
2008 06/18 10:06:03 | お仕事 | Comment(0)
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ネットで「プロとアマの違い」を探してみたら
「プロとアマの違い」13箇条というものが出てきました。

アマ 現状に甘える
プロ 人間的成長を求め続ける

アマ ぐちっぽい
プロ 自信と誇り


アマ 目標が漠然としている
プロ 常に明確な目標を指向


アマ 自分が傷つく事は回避する
プロ 他人の幸せに役立つ喜び


アマ 経験に生きる
プロ 可能性に挑戦し続ける

アマ 不信が先にある
プロ 思い信じ込むことができる

アマ 気まぐれ
プロ 自己訓練を習慣化


アマ 時間の観念がない
プロ 時間を有効に習慣化


アマ 失敗を恐れる
プロ 成功し続ける


アマ 享楽的資金優先
プロ 自己投資を続ける


アマ 途中で投げ出す
プロ 使命を持つ


アマ できない言い訳が口に出る
プロ 出来る方法を考える


アマ 他人のシナリオが気になる
プロ 自分のシナリオを書く


「享楽的資金優先」で笑っちゃいました。
確かに私です。

嫁にもキリギリスと呼ばれています…

私は間違いなくアマチュアですね(^o^)
2008 05/29 09:13:31 | お仕事 | Comment(0)
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今週末は全国印刷緑友会の神奈川総会です。
毎年5月に全国各地、持ち回りで開催されます。

なんと言っても楽しみは前泊。
地元の人に紹介された店は、何処に行っても美味しく楽しく騒げます。

何故か緑友の仲間との再会は、まるで恋人に会えるようなワクワクを感じます。

前向きで真摯、
考え方の違いや生き方の違い、
会うたびに進化してる友人達に元気を貰えます。

今回はヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルというリッチなホテルでの開催ですが、
仲間と飲みっぱなしでしょうね。


学生時代は渋谷と横浜を結ぶ東横線の学芸大学に住んでいたので、横浜にはよく遊びに行きました。
伊勢佐木町のパブで一杯100円という格安カクテルをがぶ飲みし、悪酔いしたのを思い出します(^▽^ケケ

ともかく早くみんなに会いたい。
本当に不思議な会ですよね緑友会は…
2008 05/28 06:42:21 | お仕事 | Comment(0)
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右往左往

この本は元東大寺の管長、故清水公照さんの旅日記です。
経本作り24ページの絵日記と100ページの随筆集から出来ています。
私が大阪のナニワ印刷にいたときに作りました。

制作依頼を受けたとき、上司に相談したら無理だといわれた。
あきらめの悪い私は、製版・印刷・製本の担当者と二週間にわたって協議。
絵日記は9〜11色単独で抜き出し黒だけは2色の13色刷りとする事が決まりましたが、
それだけの多色刷りに耐えられる和紙が無い。
金沢の手漉き和紙で12色刷った話を聞き、早速金沢に行き職人さんと話をして、
一週間後に見本を50枚届けてもらうことになった。

試し刷りを公照さんに見て頂くと、
それまでカラーの4色分解しか見ていなかったので大層喜んで頂き、
画帳の表紙に絵を描きたいと仰った。

急遽、表紙は鹿皮に変更し、四方金で京都で製本することになった。
300冊限定、売価5万円、阪急古書の町の「リーチ書店」での限定販売となった。

出来上がるまでの三ヶ月、トラブルの連続だったが、
305冊を東大寺に持ち込み、公照さんが一日で全ての表紙を書き上げた。
そのスピードとパワーに驚き、次々と湧いてくるイメージに感動を覚えた。
多色刷りの画帳と洒脱な随想が評判を呼び、この本は一ヶ月で完売となった。

その後私の手元に届いたのがこの本、ナンバーは0番、感謝状が添えられていた。
毎年一冊、10冊まで続けたいと書いてあった。

私が広島に帰郷するまでに3冊の0番が手元に残った。
残りの7冊は自腹で購入したが、最後の10冊目が発刊された時、
公照さんから最後の0番が届き、未だに覚えていてくださったのかと感激したのが懐かしい。

諦めない性格はこの頃に作られたのかもしれない…
2008 05/16 07:08:07 | お仕事 | Comment(0)
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昨日は大変な一日でした。
地場の証券会社が山口に支店をオープンするのだが、
その折り込みチラシに間違いが見つかり急遽刷り換え。

オープン日に間に合わせるために、残業と早朝出勤でこなすことになったが、
紙を取りに行ったり版を作ったりで大忙しでした。

2/0から2/1の印刷に変更になったのも誤算。
年度末で残業続きの現場は大混乱です…

昼には刷り上がるけど、5時までに山口の配送センターに持参しなければいけない。

山口県の4カ所の配送センター。
高速を利用できるのは2カ所で、他の2カ所は一般道を走る。

行ったことがあるのは1カ所で後は通ったこともない市で、ナビ便りで行くしかないのです…

ルートをナビに入れ、時間を考えると最後の所に行き着くのは4:30と出た。

さ〜て、どんな一日になることやら(>_<


でも、何とかなると思っているノー天気な私がいます(^。^)ゞアチャー。


チラシ 新聞 折り込み ドライブ
2008 05/09 06:33:59 | お仕事 | Comment(0)
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広島県印刷工業組合で会計監査です。
監事の役職ですが、2時間数字を見続けるのはかなりしんどい。
4人の監事のうち働くのは、若い私と○広氏。

他のお二人は私たちにすっかりお任せで、会計士と雑談をされています。
早く帰りたい私たちは分担を決め、短時間に集中して掛かります。

その後は、暫く仕事に戻れないほど疲れます…

途中で昼食を挟むのですが、何時も一気に済ませてしまいます。
今日は1時に次の予定が入っているので、昼食も取らずに移動。

それが終わると会社に帰る気がしなくなると思うなぁ…

でもそんなときに限って、
沢山の留守電が入っているはずで、
とても憂鬱な気分ですね。

天気が涼しいのが唯一の救いですね〜。
2008 05/07 17:18:25 | お仕事 | Comment(0)
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大王製紙・王子製紙・三菱製紙・中越パルプ・日本製紙と用紙の値上げを発表した。
昨年の7月に10%値上げしたのに続き、今回は15%以上の値上げだ。

不思議な業界で大手5社が同時に値上げをしても闇カルテルで引っかかることもなく、
困るのは消費者と値上げを反映できない零細印刷業者だ。



ちょっと待てよ。
再生紙の偽装問題はどうなったんだ?
2社の社長が交代しただけで済ますのか?

上場企業であるのに失敗に対するマニュアルはお持ちでないようだ。
1.何故偽装したのか?
2.何故チェック機能が働かなかったのか?
3.責任をどう取るのか?
4.再発防止策はどうするのか?

これらをウヤムヤにしたまま大幅値上げを言い出せる図太さは、その体質にある。

元々環境問題から使用されてきた再生紙。
数%低いのならミスもあり得るが、0%紙を100%再生紙として売ってきた製紙業界。

どう考えても一致団結の元、
内部告発を押さえ、
嘘の上塗りを続け、
トップ数人の謝罪会見で済ますつもりなのか!

こんな会社が一部上場会社だと胸を張っているのだからどうしようもない。
洞爺湖サミットで問題再燃しない内に、値上げをしてしまえという図太さにはあきれるばかりです。


頼みは消費者の声しかありません。
値上げ反対の方、疑問をお持ちの方は
偽装問題を片づけ、自助努力で値上げを押さえるようメールを出しましょう。
各HPから問い合わせのアドレスを下記に記入しています。


それか泣き寝入りか、どちらを選びますか?


王子製紙 info@ojipaper.co.jp
三菱製紙 webmaster@mpm.co.jp
中越パルプ webmaster@chuetsu-pulp.co.jp
王子製紙 http://www.np-g.com/inquire/index.html
大王製紙はHPに問い合わせ先不掲載





王子製紙info@ojipaper.co.jp
三菱製紙webmaster@mpm.co.jp
中越パルプwebmaster@chuetsu-pulp.co.jp
日本製紙http://www.np-g.com/inquire/index.html
大王製紙はHPに問い合わせ先不掲載


値上げ偽装責任カルテル
2008 05/03 21:07:27 | お仕事 | Comment(0)
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広島の高等学校の120周年を記念して「戦争・原爆・平和」という小冊子を受注したことがある。
校訓を撮影しようとしたら奥から校章の設計図が出てきた。
A1ぐらいの大きさの青焼きだった。

現在使われているものは、段々と簡素化し、多種多様な物へと変化している。
アナログの時代に、印刷会社が勝手に書き起こして使う内に変化した物だ。

これを機に正確に書き起こそうと提案したが、資金が出ない…

父である前社長は教員をしており、教育委員会在籍中、祖父の退職にともない印刷会社を引き継いだ。
この高校は自宅の傍にあって、三代前からの古いお得意先ということもあり、自腹で校章をデジタルデータにした。

しかし問題が一つ、
著作権は私にあることだ。


そこで高校と
1.著作権は私にあるが、その高校には無償で貸与する。
2.他社が校章を使う時、その会社が私の著作権を尊重し、使用後はデータを返却すると共に無断使用しないことを条件に無償貸与する。
という覚書を交換し、私の著作権は確定した。


昨日、これを無視して○○印刷が、地図と校章を違法コピーしたことが発覚。
これからその高校で示談の話し合いをすることになり、
デジタル録音機やデジカメを用意して張り切っている私がいる…。


実は弊社の著作権物にはある細工がしてあり、
無償で貸し出す時にもそれぞれ肉眼では見えない印を入れ、
何処に貸したのか特定できるようにしてある。

無償で貸し出す時も
1.我が社の著作権を認め尊重する。
2.連絡した物にしか私用せず、納品後は直ちにそのデータを削除し、流出しないことを厳守する。
3.我が社の著作権を侵害した場合には慰謝料として1000万円を支払う。
4.この契約書の有効期間は5年とし、法律の変更等が無い場合は自動延長とする。
等と書いた契約書にサインさせる。

この契約書の恐ろしいとこは、
1.著作権物を特定していないため、全てのものに適用される。
2.慰謝料の金額は決めてあるが、遺失損益等は別に請求できる。
3.無期限に有効な契約書である。
4.弁護士と相談しながら作った。

などにある。

高校の校章の著作権が私個人にある。
変な話だけど学校側が認めてしまったから仕方無いのです。

校長や事務長が替わるたびに覚書のコピーを渡し、
違反があった場合は学校で話をつける私、さぞ嫌な奴でしょうねぇ。


さ〜て、今回はどの位の示談金になるのだろうか?
2008 04/21 13:43:06 | お仕事 | Comment(0)
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moon
昨日の午後、経理の女性が腹痛を訴え、
急遽早引きさせて病院に行かせた。

今朝のメールに、腸閉塞のため入院しますとのこと。

給料計算も済んでなく月末の売上も絡んでくるし、
小切手や手形なんて切ったこともないし、
振込先も分からない…
代理もいない…
どうしよう…

しばらく考えた結果は、「何とかなる!」
どうするかは分からないけど「何とかなる!」

心配性の私より、ノ〜天気な私が勝ちました。


でも、みんなには迷惑掛けるだろうなぁ〜(-.-)
まるで部下に責任を押しつける大臣様のようだね。
2007 11/15 15:26:20 | お仕事 | Comment(0)
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太鼓
名古屋而立会さんの50周年でした。
懇親会での太鼓はド迫力でとっても楽しかったです。

開会式が終わるといつの間にか緑友の悪どもが集まり、
ワインで酔っぱらいながらの緑友談義で盛り上がってました。

そのまま飲み続けるのかと思ったら、
皆さんテーブルディスカッションに参加し、
真面目に「承継」について議論をしてましたよ。

懇親会ではOBのK野瀬さんやO田さんとお話が出来て、
こんなに飲んで二次会が持つのかという感じでした。

私は部屋に帰り「中日-巨人戦」を見ていたら、
不覚にも爆睡!
二次会に参加できませんでした…(;_

名古屋の皆さんは
50周年は大成功!中日は勝ち上がる!
で、さぞ盛り上がったことでしょうね…


残念!
2007 10/23 15:11:30 | お仕事 | Comment(0)
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「リーチ」の店主、西岡利一さんは清水公照さんと同年配。
絵が好きで、将来家督を継ぐ約束でフランス留学したが、体を壊して帰国。
入院中に看護婦さんと恋仲になり、僅かな身の回りものと本を持って駆け落ち。
働こうとしたが「お坊ちゃま」育ちで続かない。
しかたなく、持ってた本を売り始めたのが古本屋の始めと聞いた。

本の装丁に詳しく、表紙に錦や古代布を使っては職人を泣かせた。
本の印行の印判も、消しゴムを削って手作りしたり、
本紙に特殊な和紙を探して使ったり、
三年間で装丁のことをさんざん勉強させられた。

味のある書は公照さんとも通じ、墨の4色刷りなどもやらされた。
絵描きとしても気心が合うのか、二人の長話につきあわされたが、
この三年間に、
お二人に教わったこと、
諦めないこと、
断らないことが
現在の私を形作っていると思う。

色んな紙を見せられた。
色んな墨を擦らされた。
色んな絵の具の匂いを嗅いだ。

今では到底出来ない貴重な体験をし、財産となった…

私の知ってる限りでは、「恋仲」「僅かな身の回りもの」「駆け落ち」の言葉が似合う唯一の方でしたねぇ〜

今で言えば「ライトノベル」の走りと言ってもいいこれら画帳10巻も
「愚」「にほん」「桃紅李白」「右往左往」を残してあげてしまった。

10巻そろってれば大変なお宝だったろうにね(^。^)
2007 06/30 10:15:22 | お仕事 | Comment(0)
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この本は元東大寺の管長、故清水公照さんの旅日記です。
経本作り24ページの絵日記と100ページの随筆集から出来ています。
私が大阪のナニワ印刷にいたときに作りました。

制作依頼を受けたとき、上司に相談したら無理だといわれた。
あきらめの悪い私は、製版・印刷・製本の担当者と二週間にわたって協議。
絵日記は9〜11色単独で抜き出し黒だけは2色の13色刷りとする事が決まりましたが、
それだけの多色刷りに耐えられる和紙が無い。
金沢の手漉き和紙で12色刷った話を聞き、早速金沢に行き職人さんと話をして、
一週間後に見本を50枚届けてもらうことになった。

試し刷りを公照さんに見て頂くと、
それまでカラーの4色分解しか見ていなかったので大層喜んで頂き、
画帳の表紙に絵を描きたいと仰った。

急遽、表紙は鹿皮に変更し、四方金で京都で製本することになった。
300冊限定、売価5万円、阪急古書の町の「リーチ書店」での限定販売となった。

出来上がるまでの三ヶ月、トラブルの連続だったが、
305冊を東大寺に持ち込み、公照さんが一日で全ての表紙を書き上げた。
そのスピードとパワーに驚き、次々と湧いてくるイメージに感動を覚えた。
多色刷りの画帳と洒脱な随想が評判を呼び、この本は一ヶ月で完売となった。

その後私の手元に届いたのがこの本、ナンバーは0番、感謝状が添えられていた。
毎年一冊、10冊まで続けたいと書いてあった。

私が広島に帰郷するまでに3冊の0番が手元に残った。
残りの7冊は自腹で購入したが、最後の10冊目が発刊された時、
公照さんから最後の0番が届き、未だに覚えていてくださったのかと感激したのが懐かしい。

諦めない性格はこの頃に作られたのかもしれない…



追記:カッパブックスの日本の珍本・稀本にこのシリーズが紹介されてました
2007 06/29 11:07:22 | お仕事 | Comment(0)
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