思索に耽る苦行の軌跡

歩道は会社帰りの人や学生等で大分混雑してゐたが、私と雪は肩を並べてその人いきれの人波に流されるままに歩き始めたのであった。しかし、伏目で歩く外なかった私はそれらの雑踏の足しか見なかったのである。雪も何か考へ込んでゐるやうで暫くは黙ってゐた。と、不意に再び光雲が私の視界に飛び込んで来たのであった。その光雲もまた私の視界の周縁を時計回りにぐるりと一回りすると、不意に消えたのであった。と、その刹那、私の視界の中の赤の他人の彼の人は、それまでばっくりと開けてゐた大口を閉ぢ、その面を彼方の方へくるりと向け、彼の人はゆっくりとゆっくりと旋回しながら虚空の何処かへ飛翔を始めたのである。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人は相変はらず声ならざる音を唸り上げてゐた。



――《生者》と《死者》と《光》といふ跳躍台か……。



私の思考は出口無き袋小路にま迷ひ込んでゐた。



――《存在》とは《生者》ばかりの《もの》ではなく……《死者》もまた《存在》する……か……さて……《生者》から《死者》へと三途の川を渡った《もの》は……さて……中有で苦悶しながら《死者》の頭蓋内の闇で《生》の時代が走馬燈の如く何度も何度も駆け巡る中……さて……《死者》は自ら《生者》であった頃の《吾》を弾劾するのであらうか……ふっ……《光》といふ彼の世への跳躍台に……さて……《死者》の何割が乗れるのであらうか……《死者》もまた《人間》であった以上……それは必ず《吾》によって弾劾される人生を送った筈だ……ふっ……ふっふっふっ……《人間》は全知全能の《神》ではないのだから……《吾》は必ず《吾》に弾劾される筈だ……しかし……《死者》の頭蓋内の闇が……《死者》にとって既に《光》の世界に……つまり……《闇即ち光》と……《生者》が闇に見えるものが《光》と認識される以外に《死者》にとって術がないとすると……ちぇっ……そもそも《光》とは何なのだ! 



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



私は私の視界に張り付いた彼の人を凝視するばかりであった。最早私の自意識から《意識》が千切れて苦悶の末に私の意識が《眼球体》となることはなかったが、私は彼の人の顔貌をじっと凝視しては



――貴様は既に光か! 



と、詰問を投げ掛けるのであった。



――《死者》が既に《光》の世界の住人ならばだ……地獄もまた《光》の世界なのか……《光》にも陰陽があって陰は地獄……陽は浄土なのか……ふっ……さうなら……ちぇっ、そもそも《光》が進むとは自由落下と同じ事なのか……さうすると……自由落下を飛翔と感じるか……奈落への落下と感じるかは本人の意識次第じゃないか……《吾》が《吾》を弾劾して……ふっ……後は閻魔大王に身を委ねるのみ……馬鹿らしい……《吾》は徹頭徹尾《吾》によって弾劾し尽くされなければならぬ! ……さて……光速度が今のところ有限であるといふことは……此の世……即ち此の宇宙が有限の《閉ぢた》宇宙であることのなによりの証左ではないのか……現在考へられてゐる此の膨脹宇宙が無限大に向かって膨脹してゐるとすると……光速度も……もしかすると定数なんぞではなく無限大の速度に向かって加速してゐるのかもしれないじゃないか……特異点……例へば一割る零は無限大に向かって発散する……またBlack hole(ブラックホール)の中には特異点が存在する……さうか! この宇宙にblack holeが蒸発せずに存在する限りに措いてのみ《光》は存在するのではないか……特異点では因果律は破綻する……ふむ……此の天の川銀河の中心にあるといはれてゐる巨大black hole……吾吾生物はこの因果律が破綻してゐる特異点の周縁にへばり付いて漸く漸く辛ふじて《存在》する……つまり際どい因果律の下に《存在》する……ふむ……はてもしかすると特異点若しくはblack holeが存在する限りに措いてしか吾吾も存在しない……つまり特異点とは《神》の異名ではないのか! 



(以降に続く)

























2008 02/17 03:10:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――もしや、地震? 



と私は眠りから覚醒した刹那、頭蓋内でさう呟いた。自身が顫動してゐる私を私は覚醒と同時に認識したのである。しかしながらちょこっと開けた瞼の裂け目から覗く外界はぴくりとも揺れてゐる様子は無く、間違いなく自身が顫動してゐると感じてゐる私の感覚は錯覚に違ひなかったのである。



――これが……錯覚? 



それは不思議な感覚であった。自身が高周期で振動する振動子になったかの如き感覚で、それは心臓の鼓動による振動とは全く違った顫動であった。敢へてその感覚を名状すれば、差し詰め私自身が此の世の本源たるモナドの如き振動子として《存在》の根源、否、毒虫となったカフカの「変身」の主人公、ザムザの足掻きにも似た自身の焦燥感に打ち震へた末に自身に自身が打ちのめされて泡を吹き脳震盪を起こして卒倒してぶるぶると震へてゐるやうな、若しくは私が決して触れてはいけないカント曰く《物自体》に触れてしまってその恐ろしさにずぶ濡れの子犬がぶるぶると震へるやうにその恐怖に唯唯慄く自身を、一方でしっかりしろと自身を揺すって覚醒させやうともがいてゐる私自身による震へといったやうな、或いは殺虫剤を吹き掛けられて神経系統が麻痺し仰向けに引っ繰り返って翅をぶんぶんとか弱く打ち震はせてゐる蠅のやうな、兎に角、尋常ならざる状態に私が置かれてゐるのは間違ひなかったのかもしれなかったが、それは未だに定かではない。といふのも、その日以来、特に新月と満月の日とその前後に自身が顫動してゐる錯覚が度度起きるやうになってしまったのだが、病院での精密検査の結果は異状なしであったからである。



それは兎も角、例へばその顫動が私の体躯と意識、若しくは体躯と魂との微妙なずれによって返って私の自意識若しくは魂が私の体躯に無理やりしがみ付くことで起こる異常な意識の振動だとすれば、私は新月と満月とその前後の日にすうっと《死》へ意識の足を踏み入れてしまってゐたのかもしれなかった。或いはそれはもしかすると私の意識若しくは魂が幽体離脱しようとしながらもそれが果たせず私の体躯に縛り付けられもがいてゐる無様な自意識の様なのかもしれなかった。兎に角、私に何か異常な現象が起こってゐるとしか思へぬほど私が顫動してゐる自身を私は確かに確実に認識してゐたのは間違ひなかった。それは錯覚などではない、と私は確信したのである。



私はその顫動を取り敢へず我慢する外なかった。この船頭は、さて、如何したことであらう。一瞬だが私が一気に膨らみ巨大な巨大な巨大な何かに変容したやうな或る不思議な感覚に捉はれるのであった。と思ふ間もなく私は一瞬にして萎み小さな小さな小さな何かにこれまた変容したやうな不思議な感覚に捉はれるのであった。何としたことか! この《私》といふ感覚が一瞬にして急変する事態に私は戸惑ひながらも心の何処かで楽しんでゐた。この極大と極小の間(あはひ)を味はふ不思議。最早《私》は《私》ではなく、とは言へ、結局のところ《私》から遁れられない《私》にちぇっと舌打ちしながらもこの不思議な感覚に身を任せる快感の中にゐることは、敢へて言へば苦痛が快感に変はるSadismMasochismにも似た倒錯した自同律の快楽と言ふ外なかったのであった。しかしながらこの悦楽は危険であると《私》は本能的に感じてゐたのも間違ひなく、その日は私は徐に蒲団から起き上がり立ち上がったのであったが、哀れ、私はそのまま気を失って卒倒してしまったのである。多分、私が気を失ってゐたのは一、二分のことだらうが、しかし、目の前が真っ白な状態から真っ暗な状態へとゆっくりと移ろひゆくその卒倒してゐた時間は私には一時間ほどにも感じられたのであった……。



――見つけたぞ。奴を捕まえた。



さう思った刹那、私は顫動する私を見出し私に気が付いてしまったのである。



――泡沫の夢か……。



一瞬だが私は《私》以外の何かに変貌した自身を仄かに感じたのであった……。そして、後に残ったものと言へば敗北感しかなかったのである……。





















2008 02/11 02:41:13 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として存在する外ないんじゃないかしら……。じゃないと《時間》は移ろはないんじゃない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう? 



雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる公孫樹の葉葉に目をやりながら訊ねたのであった。私は仄かに微笑んで



*******ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従ってゐるんじゃないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋になってゐるんじゃないかと思ふんだけれども……、どう思ふ? 



雪は風に揺らめく公孫樹の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら



――さうね……、あなたの言ふ通り《光》が此の世の限界速度だとしたならば……、うふっ、《光》はもしかすると死者達の彼の世へ出立する為の跳躍台なのかもね、うふっ。



公孫樹の葉葉から零れる月光の斑な明かりが雪の面に奇妙に美しい不思議な陰影を与へて雪の面で揺れてゐた。



*******彼の世への跳躍台? ねえ、君、つまり、それは面白い。つまり、此の世の物理法則に従ふならば、つまり、《光》を跳躍台にして死者が彼の世へ跳躍しても相対論に従へば光速度であることには変はりがない……ふむ。



と、私は思案に耽り始めたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



ゆっくりとゆっくりと時計回りに彼の人は渦巻きながらも面は私に向けたまま私の視界の中で相も変はらず仄かに明滅してゐたのであった。この視界に張り付いた彼の人もまた、《光》を跳躍台にして彼の世へ出立したのだらうか……。不意に月光の明かりが見たくなって私は頭を擡げ満月に見入ったのであった。この月光も彼の世への跳躍台なのか……等等うつらうつらと考へながら私はゆっくりと瞼を閉ぢて暫く黙想に耽ったのであった。



――ふう〜う。



その時間は私と雪との間には互ひに煙草を喫む息の音がするのみで、互ひに《生》と《死》について黙想してゐるのが以心伝心で解り合ふ不思議な沈黙の時間が流れるばかりであった。



――ふう〜う。ねえ、もう行かなきゃ駄目じゃないの? 



と、雪が二人の間に流れてゐた心地良い沈黙を破ってさう私に訪ねたのであった。私はゆっくりと瞼を開けてこくりと頷くとMemo帳を閉ぢ、煙草を最後に一喫みした後、携帯灰皿に煙草をぽいっと投げいれ徐に歩を進めたのであった。



――もう、待って。



と、雪は小走りに私の右側に肩を並べそっと私の右手首を軽く握ったのであった。私は当然の事、伏目で歩きながらも、しかし、《生》と《死》、そして《光》といふ彼の世への跳躍台といふ観念に捉へられたまま思考の堂々巡りを始めてしまってゐたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)





































2008 02/10 02:37:51 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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物心ついた時にはまだ電化製品が物珍しかったが、何時の頃かは解らぬが、今では電化製品に埋もれた生活を送るやうになってしまったことに、私は、常々胸の痛む悲哀を電化製品に感じながら生活してゐる。それでも、私が所有する電化製品は必要最小限度で、なるべくなら所持しないやうに気を使って生活してゐるのである。それといふのも電化製品は切ないのである。何故と言って『人間に《もの》を奴隷として使用する権利があるのか』といふ疑問が何時も私の頭の片隅を過るのである。



――さて、人間とはそれ程に特別な生き物なのか。



電化製品もまだ分解可能な程度の時代であればその《もの》に愛着といふものが湧いたのであるが、今の電化製品は最早分解不可能で愛着なるものが微塵も湧かないのである。これは困ったことで、私は《もの》を消耗品としてはどうしても看做せないので、それ故電化製品は私にとって切ないのである。それでも私は大の音楽好きなので音響機器に関しては愛おしい愛着を持って接してはゐるが、しかし、それも故障してしまへばもうお仕舞ひである。修理するよりも新品を買った方が、結局のところ経済的なのである。私は何時も電化製品が故障してお釈迦になってしまった時は心苦しくもそれを廃棄するのである。これは物凄く切ない行為でどうにかならないかと途方に暮れるが今のところどうにもならないので残念至極である。映像に関しては故・タルコフスキー監督の映画等特別なものを除くと殆ど興味がないのでTelevisionは埃を被って抛ったまま使はず仕舞ひである。



そもそも、この私の電化製品等、《もの》に対するこの名状し難い感覚は何処から来るのかといへば、それは《脳》無き《もの》はそもそもから人間がその特性を見出し奴隷として使ふことに何の躊躇ひがないことに対する抵抗感にある。現状では電化製品を始めとする多くの《もの》が人間の奴隷である。



私の嗜好は手先の延長上の《もの》、例へば手製の道具類等には愛着が湧くが、それ以外は切ないばかりなのである。



嘗ては馬や牛など《脳》あり《意思》ある生き物を何とか馴致し協働で生業を営んでゐたが今は電子機器等の《もの》といふ奴隷が取って代わったので、それが私に嫌悪感を湧き起こすのである。《もの》にもまた《意思》はある筈である。



――何故、《吾》こ奴の為されるがままに作られ機能しなければならぬ? 



等と《もの》が呻いてゐるのが聞こえるやうで、電化製品に埋もれた生活は気色悪いのである。



――何故、人間なる生き物は《吾》にある特性があるのを見出しそれを良いことに《吾》を下僕以下の扱ひをする? 人間も《吾》も同じ《存在物》ではないのか? ぬぬぬ! 人間は何様のつもりなのか! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、人間は《便利》といふ《現実逃避》を喜ぶのだ? 《存在》する事とはそれ自体が《不自由》で《不便》な事ではないのか? 



…………



――人間め! 貴様達も此の世の下僕ではないか! ソクラテスのデルフォイの神託ではないが、人間どもよ、汝自身を知れ! 貴様らが《吾》を奴隷として扱ふ《存在》でないことを知れ! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、《吾》此処にゐなければならぬ? 何故、《吾》こんな形を強ひられなければならぬ? ぬぬぬぬぬ! 































2008 02/04 00:53:15 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と、その時、私の視界に張り付いた彼の人の瞑目した顔は相変はらず私に正面を向けて音ならざる声を唸り上げながら何やら不気味にさへ見える微笑をちらりと浮かべ忽然とその大口を開けたのであった。それにしても死は物全てに平等に訪れるが、さて、例へば視点を変へて速度をベクトルvで表した



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の時間
Δ<em>t</em>の極限値、つまり、零――ねえ、君、この数式は考えやうによっては物凄く《死》を記号で観念化した代物だと思はないかい? へっ――と看做すと《死者》はベクトルΔxといふ∞の速度で動いてゐると看做せるじゃないか。主体が《観測者》といふ《世界=外=存在》とハイデガー風に看做せば物理学とはそもそも《死》の学問じゃないかい? ふっ。さて、そこで《死》も物理法則に従ふならば《死者》はアインシュタインの相対論から此の世のものは《死》も含めて光速度を超へられないとすると《死者》は光速度で動いてゐることになる。……不図思ったのだが∞とは光の光速度の事で《死》の異名なのかもしれない……。そして、へっ、光が美しいものならば《死》もまた美しいものに違ひない。ふっ、私ももう直ぐ光といふ美しい《死》へ旅立つがね、へっ。ちぇっ、まあ、私のことはそれとして、速度を時間で微分すると加速度が出現するが、この私の論法で行くと加速度とは差し詰め《霊魂》の動きを表現したものに違ひない。その時、私の視界に張り付いた彼の人の《魂》も





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と音ならざる声を唸り上げながら彼方此方に彷徨してゐたに違ひない。《死》の学問たる物理学が此の世を巧く表してゐるならば私の視界に張り付いた私と全く赤の他人の彼の人が蛍の如く私の視界内で渦巻きながら明滅してゐたのは物理学的に見て正鵠を射てゐたのだ。つまり、《死者》とその《魂》は《光》に変化(へんげ)した何物かなのだ。つまり、光が電磁波の一種なのだから《死者》とその《魂》は各人固有の波長をもった電磁波の一種なのかもしれない……。まあ、それはそれとして、天地左右の知れぬ何処の方角に向って私の視界に張り付いた彼の人は向かってゐたのかと考えると西方浄土といふ言葉があるから差し詰め《西方》へ向け出立したに違ひないのかもしれない……。さて、重さあるものは相対論より決して光速度には至れないが、《死者》に変化したものは《重さ》から《解脱》して、さて、此の世の物理法則の束縛から逸脱してしまふ何物なのかなのだ。其処で出会うのが多分無限大の∞なのだ。私も直ぐに∞に出会へるぜ……へっ。





…………





――ねえ、この公孫樹も《気》の渦を巻いて私たちを今その渦に巻き込んでゐるのかしら? ふう〜う。





と、雪が私たちが筆談をしてゐた木蔭であるところの公孫樹を撫で擦り煙草を一服しながらまた呟いたのであった。





*******ねえ、つまり、死後も階級は、つまり、存在するのだらうか? 





――ふう〜う。





と、私も煙草を一服しながら雪に訊ねたのであった。





――勿論、極楽浄土といふんだから当然あるでしょう。でも、……彼の世に階級があったとしても彼の世のもの全て自己充足して、それこそ極楽の境地にゐるから……階級なんて考へがそもそも無意味なんじゃないかしら。





*******すると、つまり、《光》は自己充足した、つまり、自身に全きに充足してしまって自己に満ち足りた、つまり、至高の完全に自己同一した、つまり、自同律の快楽の極致に安住する存在なのかな? 





(以降に続く)























































2008 02/03 04:35:22 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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それは不意を突く地震であった。一歩踏みださうと右足を上げた途端、あれっと思ひも掛けず左足が何かに掬われたかと思ふと、私は途端にBalanceを崩し不格好に右足を咄嗟に地に着け踏んばるしかなかったのである。



――ゆさゆさ、ぐらぐら。



辺りは暫く地震の為すがままに揺す振られ続けてゐたが、私は己の無様さに



――ぷふいっ。



と嘲笑交じりの哄笑を思はず上げてしまったのである。



――何たる様か! 



暫くするとその地震も治まり辺りはしい〜んと夕闇と共に静寂(しじま)の中に没したのであった。



其処は私の普段の逍遥の道筋で或る信仰を集めてゐた巌の前であった。ぐらぐらとその巌も私と共に揺す振られたのである。地震の瞬間は鳥達が一斉に木々から飛び立ったがその喧噪も嘘のやうに今は静かであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



何かがその刹那に咳(しはぷ)くやうに哄笑を上げた。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



私は怪訝に思ひながらも眼前にどっしりと地に鎮座するその苔の生えたごつごつとしかし多少丸みを帯びた巌を凝視したのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



間違ひない。眼前の巌が哄笑してゐたのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。《吾》揺す振られし。ぷぷぷぷふい。



どうやらその巌は自身が揺れた事にうれしさの余り哄笑してゐるらしかった。



――何がそんなにうれしいのか? 



と、私は胸奥でその巌に向って呟くと



――《吾》、《吾》の《存在》を実感す。



と私の胸奥で呟く者がゐた。



――何! 《存在》だと! 



――さう。《存在》だ。《吾》、《吾》から食み出しし。ぷぷぷぷぷふい。



――《吾》から食み出す? 



――さう。何千年もじっと不動のままに一所に居続ける馬鹿らしさをお前は解らないのだ。《吾》には既に《希望》は無し。《風化》といふ《吾》の《滅亡》を堪える馬鹿らしさをお前は解らぬ。



――はっはっはっ。《吾》の《存在》だと! お前に《存在》の何が解るのだ! 



――解らぬか。巌として此の世に《存在》させられた懊悩を! 《吾》風化し《滅亡》した後、土塊に《変容》した《吾》の《屍》から、ぷふい、《何》か《生物》、ぷふい、自在に《動ける》《生物》が誕生せし哀しみをお前は未位永劫解る筈がない。この高々百年の《生き物》めが! 



辺りは今も深い深い静寂に包まれてゐた。



――何千年、何億年《存在》し続ける懊悩! 嗚呼、《吾》もまた《何か》に即座に《変容》したく候。此の世は《諸行無常》ではないのか? 《吾》もまた《吾》以外の何かに変容したく候。



――ぶはっはっはっは。《吾》以外の何かだと! 馬鹿が! 《吾》知らずもの《吾》以外に《変容》したところで、またその底無しの懊悩が待ってるだけさ。汝自身を知れ。



――嗚呼、《吾》また底無しの自問自答の懊悩に飛び込む。嗚呼……。



辺りは闇の中に没してそれこそ底無しの静寂の中に抛り出されてしまった……。































































2008 01/28 07:28:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は雪がぽつりと呟いたその一言に全く同意見であった。私と雪は二人で煙草を



――ふう〜う。



と一服しながら互いの顔を見合い、そして互ひににこりと微笑んだのであった。



*******ねえ、君。つまり、アメリカの杉の仲間の、つまり、巨大セコイアといふ、つまり、巨樹を知ってゐるかい? 



雪は私のMemo帳を覗き込むと



――ええ、もう何千年も生きて百メートルにならうといふ木でしょう。それがどうしたの? 



*******ねえ、つまり、毛細管現象は知ってゐるかい? 



――ええ、知っているわ。それで? 



*******毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上にまで、つまり、成長する。何故だと思ふ? 



――うふっ、木の《気》かしら、えへっ。



*******ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹まで全て、つまり、螺旋状の仕組みなんじゃないかと思ふんだ。つまり、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学を超へて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言ったが、つまり、科学はまだ渦を説明出来ない。つまり、円運動をやっと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるかを、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超へてしまってゐる。つまり、また渦の問題になったね、へっ。



私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであった。



*******ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ《渦》を巻いてゐるのは知ってゐるね? 



――ええ、山手線がその好例よ。



*******つまり、人間が《水》の亜種ならば《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐたのさ。そこでだ、つまり、江戸時代の階級が渦状の階級社会ならば、つまり、天下無敵の階級社会だったに違ひないのだ。



――ふう〜う。



と私は煙草を一喫みした。



――ねえ、江戸時代の人々は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全ての貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふっ、息苦しいわね。



――ふう〜う。



私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであった。



(以降に続く)











































2008 01/27 08:46:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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其処は漆黒の闇に永劫に蔽はれた場所であった。暫くの間、私は全く動かずに何年も何年も其の場の同じ位置で顔を腕の中に埋めながら蹲り続けてゐる外ない程に心身ともに疲弊しきってゐたので、外界が永劫に漆黒の闇に蔽はれてゐた事は長きに亙って解らぬままであったのである。



私は腕に顔を埋めたまま絶えず



――《吾》とはそもそも何か? 



と自問自答する無為の日々を送ってゐたのであった。そんな私にとって外界は無用の長物以外の何物でもなかったのである。そんな底なしの自問自答の中、不意に私の影がゆらりと動き私から逃げ出す素振りを見せた気配がしたので、私は、不意に頭を擡げ外界を眺めたら其処が漆黒の闇に蔽はれ何も見えない場所であったのを初めて知ったのであった。勿論、私の影は外界の漆黒の闇の中に融解してゐて、何処にあるのか解らなかったのは言ふまでもない。



――此処は何処だ! 



さうなのである。私は闇の中の闇の物体でしかなかったのである。つまりは《吾》闇なり。



――闇の《吾》とはそもそも何か? 



それ以降斯くの如き自問自答の無間地獄が始まったのであった。何処も彼処も闇また闇であった。



しかし、闇とは厄介なもので私の内部で何か動きがあるとそれに呼応して何やら外界の闇は異様な気配を纏って私の内部の異形の《吾》となってすうっと浮かび上がった気配を私は感じるのであったが、眼前には漆黒の闇が拡がるばかりであった。



――誰か《吾》の前に現れたか? 



その問ひに答えへるものは何もゐなかったのは言ふまでもない。在るのは漆黒の闇ばかりであった。まさにそれは暖簾に腕押しでしかなかったのである。



――へっ、馬鹿が。お前の内部を覗いたって何もないのは初めから解り切った事ではないか。へっ、《吾》を知りたければ外界を穴が開くほど凝視するんだな! 馬鹿が! 



漆黒の闇の何処とも知れぬ処から斯様な嘲笑が漏れ出たのであった。



さうなのである。私はずっと外界の漆黒の闇に侮蔑されてゐたのであった。私は不意に一歩前へ踏み出ようとしたが、其処に足場は無く、直ぐ様私は足を引っこめざるを得なかった。



――もしや、此処は……深淵の《浮島》なのか……嗚呼……《吾》斯く在りか……。































2008 01/21 04:56:47 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******つまり、峻険なる富の山を築いた、つまり、大富豪は、その富の山の途轍もない高さ故に、つまり、エベレストの頂上では生き物が生きられないやうに、つまり、大富豪もまた、つまり、富の山の頂上では、つまり、生きられないとは思はないかい? 



――ふう〜う。



と、雪は煙草を一喫みしながら何やら思案に耽るのであった。



――……さうねえ……マチュピチュの遺跡のやうに……《生者》より輿に乗って祀られる木乃伊と化した《死者》の人数が多い……生死の顛倒した、それこそ宗教色の強いものに変化しないと……峻険なる富の山では人間は生きられないわね……。それにしてもあなたの考え方って面白いのね、うふっ。



*******つまり、するとだ、個人崇拝、つまり、それも死者に対する個人崇拝といふ化け物が、つまり、此の世に跋扈し始める。つまり、さうなると、気色の悪い赤の他人であるその死んだ者に対する個人崇拝が、つまり、人間が生来持つ宗教に対する尊崇の念と結びついて、つまり、巨大な富の山を築いた死んだ者への個人崇拝といふ気色の悪い尊崇が、つまり、峻険なる山型の階級社会を何世代にも亙って固着させ、つまり、貧乏人は末代までも貧乏人じゃないかい? つまり、例へば、キリストの磔刑像に平伏す基督者達は、その教会の教皇が絶大な権力と富とを保持してゐるのも畏れてゐる、つまり、象徴として一生貧乏だったキリストの磔刑像を教会内に安置してゐるが、つまり、しかしだ、基督者達を統べてゐるのは絶大な権力を今も保持してゐる教会であり、つまり、その頂点の教皇だといふことは、つまり、周知の事実だね。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



その瞬間、私の視界から去らうとしない赤の他人の彼の人がゆらりと動き私を凝視するやうに真正面を向いた。そして、相も変はらずに



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と音ならざる声を瞑目しながら発し続けてゐた。



――不思議ねえ。ねえ、人間って倒錯したものを好んで崇拝する生き物なのかしら? 



*******さうだね、つまり、貧富が顛倒したキリストに象徴されるやうに《欲望》が剥き出しのままでは、つまり、人間は認めたくないんじゃないのかな。つまり、そこに己の卑俗さが露はになるからね。つまり、そもそも人間は自己対峙が苦手な馬鹿な生き物なのは間違ひない……。しかし、つまり、己が卑俗であるが故に《高貴》なものを倒錯した形で崇拝せざるを得ない馬鹿な生き物が、つまり、人間かもしれない。



――何だかまるで建築家のガウディが重力を考慮して逆様にぶら下げた建築物の模型みたいね。



*******つまり、天地が倒錯したものこそ《自然》なのかもしれないね。つまり、所詮人間は重力からは逃れられない哀れな生き物に過ぎないからね。上方を向く垂直軸の不自然さに気付いたガウディは天地を顛倒し建築物を重力に《自然》な形でぶら下げてみた……。つまり……天地の逆転の中に或る真実が隠されてゐるのかもしれない……。つまり、人間はあらゆるものに対してそれが《剥き出し》のままだと自然と嫌悪するやうに創られてゐるのかもしれないね。



私は再び煙草を一本取り出しそれに火を点け一服したのであった。



―ふう〜う。



――木って不思議ねえ。



と、雪がぽつりと呟いた。



(以降に続く)





































2008 01/20 07:28:08 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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無地の白紙の半紙に例へば下手糞だが墨と筆で「諸行無常」と書くとその場の時空間が墨色の「諸行無常」といふ字を核として一瞬にして凝結して行くのが感じられて仕方が無いのである。それは何やら空気中の水分が凝集して出来る雪の綺麗な六花晶を顕微鏡で見るやうであり、高々半紙といふ紙切れに墨書されたに過ぎない「諸行無常」といふ字が時空間を凝結させて私に対峙するが如くに不思議な存在感を醸し出し始めるのである。それを言霊と呼んで良いのかは解からないが、しかし、「諸行無常」と墨書される以前と以降では私の眼前の時空間は雲泥の差で、それは最早別の時空間と言っても良い程に不思議な異空間が出現するのである。



――Fractal(フラクタル)な時空間……。



彼方此方が「諸行無常」に蔽ひ尽くされてゐる……。かうなると最早私には如何ともし難く只管に墨書された「諸行無常」といふ字と対峙する《無心》の時間がゆるりと移ろひ始めるのである。そして、私の存在が墨書された字に飲み込まれて行く心地良さ……。私の頭蓋内の漆黒の闇黒には鬱勃と想念やら表象やらが現れては消えるといふその生滅を只管に繰り返し、私はそれに溺れるのである。



――揺られる、揺られる……。《吾》といふ存在が「諸行無常」といふ墨書に揺す振られる……。何といふ心地良さよ。嗚呼、《吾》が《吾》から食み出して行く……。



不意に私は別の真新しく真っ白な半紙を眼前に敷き、徐に「森羅万象」と息を止めて一気に墨書する。今度は時空間は「森羅万象」といふ墨書を核として一瞬に凝結する……。再び惑溺の始まりだ。



――溺れる、溺れる、《吾》はこの「森羅万象」といふ時空間に飲み込まれ溺れる……。



眼前の「森羅万象」と墨書された半紙は微塵も動かず、只管に「森羅万象」であることに泰然としてゐやがる。



――ふっ、《吾》この宇宙全体を《吾》として支へる《吾》に陶酔してゐるのかもしれない……。この「森羅万象」といふFractalな時空間は宇宙を唯「森羅万象」に凝結してしまひ、そして、彼方此方で時空間が言霊となって囁くのだ。【此の世は即ち『森羅万象』】と。それにしてもこの肉筆の文字と墨の持つ凄まじき力は何なのか? 嗚呼、《吾》お……ぼ……れ……る…………。





春の海終日のたりのたり哉           蕪村





















2008 01/14 04:40:03 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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