思索に耽る苦行の軌跡
君も雪の行動が奇妙な点には気が付いてゐた筈だが雪は未だ「男」に対して無意識に感じてしまふ恐怖心をあの時点の自身ではどうしやうもなく、雪は「男」を目にすると雪の内部に棲む「雪自体」がぶるぶると震へ出し雪の内部の内部の内部の奥底に「雪自体」が身を竦めて「男」が去るのをじっと堪へ忍ぶといった状態で雪は君の顔を一切見ず君と話をしてゐたんだよ。

その点雪は私に対しては何の恐怖心も感じなかったのだらう、つまり、雪にとって私は最早「男」ではなく人畜無害の「男」のやうな存在、しかも

――この人の人生はもう長くない……

と、多分だが、私を一瞥した瞬間全的に私といふ存在を雪は理解してしまったと、そんな雪を私は雪の様子からこれまた全的に雪を理解してしまったのだ。

と思ふ間も無く私の右手は雪の頭を撫でる様に不意に雪の頭に置かれたが、雪は何の拒否反応も起こさずこれまた全的に私の行為を受け入れてくれたのだ。

さて、君も薄薄気付いてゐた筈だが、私が何故「黙狂者」となってしまったかを。それは私の生い先がもう短いといふこととも関係してゐたのだらうが、私が一度何かを語り出さうと口を開けた瞬間、我先に我先にと無数の言葉が同時に私の口から飛び出やうと一斉に口から無数の言葉が飛び出してしまふからなのだ。私の内部の「未来」は既に無きに等しいので私の内部の「未来」には時系列的な秩序が在る筈もなく、つまり、私の「未来」は既に無いが故に「渾沌」としてゐたのだ。私が口を開き何かを語り出さうとしたその瞬間に最早全ては語り尽くされてしまってゐて「他者」にはそれが「無言」に聞こえるだけなのだ。つまり、《無=無限》といふ奇妙な現象が私の身に降りかかってゐたのだ。

君は私が雪の頭にそっと手を置いた時私が口を開いたのを眼にしただらう。多分、雪はこれまた全的に私の無音の「言葉」を全て理解した筈だ。君はあの時気を利かせてくれて黙って私と雪との不思議な「会話」を見守ってくれたが、仮に心といふものが生命体の如き物で傷付きそれを自己治癒する能力があるとするならば、雪の心はざっくりとKnifeで抉られあの時点でも未だ雪の心のその傷からはどくどくと哀しい色の血が流れたままで「男」に理不尽に陵辱された傷口が塞がり切れてゐなかったのだ。それが私には見えてしまったので《手当て》の為に雪の頭にそっと手を置いたのだ。

それにしても雪の髪は烏の濡れ羽色――君は烏の黒色の羽の美しさは知ってゐるだらう。虹色を纏ったあの烏の羽の黒色ほど美しい黒色は無い――といふ表現が一番ぴったりな美しさを持ち、またその美しさは見事な輝きを放ってゐた。

さて、君はあの瞬間雪の柔和な目から恐怖の色がすうっと消えたのが解ったかい?

(以降に続く)
2007 07/15 05:43:16 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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その赤松は古城の堡塁址の北側といふその堡塁址で一番棲息環境が悪い一角に半径五メートルの砂地に芝が植ゑられてゐる円の中心に堂々と立ってゐた。多分その赤松には何かの謂れがあるに違ひないが詳細は不明である。しかし、その赤松はこの地区の人々に何百年にも亙って大切に守られてきたことはその赤松の姿形の何れからも一目瞭然であった。

私は何時もその堡塁址を訪れる時は南方より楢や山毛欅(ぶな)や檜などが生えてゐる様を武満徹の音楽に重ねながらゆっくりと歩くのが好きであった。それらはまたあの赤松の防風林になってゐるのも一目瞭然で、しかし、それにしてもその古城の堡塁址の林は人の手がよく行き届いた林であった。

ところが、赤松が立ってゐる場所近くになると武満徹の音楽はぷつんと終はって突然笙の音色が聴こえて来るかのやうに辺りの雰囲気は一変するのである。赤松が生えてゐる場所は雅楽が似合ふある種異様な場所であった。

林が突然途切れるとあの赤松がその威容を誇るかのやうに堂々と立ってゐるのが見える。

赤松の幹の赤褐色が先づ面妖な「気」を放つのである。赤松の幹の色は嘗て此処に威風堂々と構へてゐた城が焼け落ちるその炎の色を髣髴とさせるのだ。

  芭蕉を捩って本歌取りをしてみると

  赤松や 兵どもが 夢の跡

といふ句がぴったりと来るのである。

私はその赤松に対するときある種の儀式として、先づ此の世が四次元以上の時空間で成り立ってゐることと上昇気流の回転を意識しながらその赤松の周りを反時計回りにゆっくりと一周してから赤松に一礼して赤松に進み出でるのである。そして、左手でその赤松の幹を撫で擦りながら『今日は』と挨拶をするのである。そこで赤松を見上げその見事な枝振りに感嘆し、この赤松もまた螺旋を描いてゐるのを確認して芝に胡坐をかいて坐すのが何時もの慣はしであった。

…………………

…………………

――雅楽の『越天楽』が何処からか聴こえて来る……

不意に日輪を雲が横切る……

――突然、夢幻能『芭蕉』が始まる……

――今は……何時か……此処は……何処か……全ては夢幻か……

  
William Blake著

《THERE IS NO NATURAL RELIGION》の拙訳

「如何なる理神論も在り得ない」

[a]

論証。人間は教育を除く如何なるものからも道徳の適合性に関する概念を持ち得ない。本来人間は感覚に従属する単なる自然器官である。

一 人間は本来知覚する事が出来ない。自身の自然乃至身体器官を通さずしては。

二 人間は自身の推理力によっては。単に自身が後天的に理解(知覚)した事を比較乃至判断出来るのみである。

三 単に三つの感覚乃至三つの要素のみで構築した知覚から如何なる人間も第四の乃至第五の知覚を演繹出来なかった。

四 仮に人間が器官による知覚の外一切を持たないなら如何なる人間も自然乃至器官による思惟形式以外持ち得る筈もない。

五 人間の希求は自身の知覚によって限られる。如何なる人間も自身が知覚し得ないものを希求することは出来ない。

六 感覚器官以外では如何なる事象も知り得ぬ人間の希求及び知覚は感覚(客体)の対象に対して制限されなければならない。

結語。仮に詩的乃至預言的な表現が此の世に存在しないならば、哲学的及び試論による表現は即ち全事象の数学的比率となり、及び陰鬱な単一反復回転運動を繰り返す以外不可能故に立ち尽す(停止する)のみである。

[b]

一 人間の知覚は認識機構によって制限されない。人間の感覚(どれ程鋭敏であらうとも)が見出す以上のことを知覚(認識)する。

二 推論乃至吾吾が後天的に認識した全事象の数学的比率は。吾吾が更に多く認識すると想定された存在と同じであることはない。

三 欠落

四 枠付けは枠付けした者に忌避される。宇宙の陰鬱な反復回転運動でさへ、即ち車輪複合体たる水車小屋に変容するであらう。

五 仮に多様が単純に還元されると看做す場合、そしてそれに取り憑かれたとき、もっと ! もっと ! は迷妄なる魂の叫びであり、直ちに全事象は人間を満足させる。

六 仮に如何なる人間も自身で持ち得ないものを希求することが出来るとするなら、絶望こそ人間の永劫に亙って与へられし運命であるに違ひない。

七 人間の希求が無尽蔵なら、それを持ち得るといふことは無限であり自身もまた無限である。

応用。全事象に無限を見るものは神を知る。単に数学的比率しか見えぬものは自己しか知り得ない。

それ故、神は吾吾が存在する限り存在し、即ち吾吾は神が存在する限り存在するのであらう。

《ALL RELIGIONS ARE ONE》の拙訳

「全ての宗教は一つである」

荒野の一嘆き声

論証。真の認識法が試みであるなら、真の認識力は経験の能力でなければならない。この能力について論ず。

第一原理 詩的霊性が人間の本質である。及び人間の肉体乃至外観の様相は詩的霊性から派生する。同様に全存在物の形相はそれら自身の霊性から派生する。古代の人々はそれを天使及び霊魂及び霊性と呼んだ。

第二原理 全人類が形相に於いて同等であるなら、即ちそのことはまた(及び等しく無限なる多様性を持つならば)全人類は詩的霊性に於いても同等である。

第三原理 如何なるものも自身の心の深奥から思考し乃至書き乃至話すことは出来ないが、しかし人間は真理へ向かはなければならない。何故なら哲学の全学派は全個人の羸弱さに応じた詩的霊性から派生したものである。

第四原理 既知の領域を見回したところで如何なるものも未知を見出すことは出来ない。即ち後天的に得た認識から人間はそれ以上獲得出来なかった。故に全宇宙型詩的霊性は存在する。

第五原理 あらゆる民族の各宗教はあらゆる場所で預言の霊性と呼ばれる詩的霊性を各民族が多様に感受したことから派生する。

第六原理 ユダヤ教徒及び基督教徒の聖書は詩的霊性から本源的に派生したものである。このことは肉体的感覚の限界性から必然である。

第七原理 全人類は同一(無限の多様性が見えてゐるにも拘はらず)である故に、全宗教及び全宗教的類似物は一つの本源を持つ。

真の人間は自身が詩的霊性であることの源である。

以上、当時のMemoのまま――表現が稚拙で誤訳ばかりであるが――ここに書き記しておく。当時の雰囲気が香ってくるのでね。

さて、君に話し掛けられても私を微笑みながらじっと見続けてゐた雪の顔は、目はフランツ・カフカかエゴン・シーレのSelf-portraitの眼光鋭い眼つきに一見見えるがよくよく見ると雪の目は柔和そのものであった。

(以降に続く)
2007 07/08 05:26:38 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――今年も芽吹いたか……

その柳を見た時からもう既に数年経つが未だ健在である。何年川の水に浸かってゐるのだらうか。その柳の木を最初に目にした時には既に川の中であった。川に洗われ剥き出しになった根根には空き缶やらPolyethylene-Bucket(ポリバケツ)やらVinyl(ビニール)やら塵が沢山纏はり付いてゐてたので何年にも亙り川の中に在り続けてゐたといふことは想像に難くない。

しかし、その柳は凛としてゐた。

多分、完全に水に没してゐる部分は腐ってゐる筈で、如何様にその柳が完全に水の中に横倒しで生き続けてゐるか摩訶不思議でならないが、その生命力の凄まじさは何時見ても驚きであった。

――何がお前をさう生きさせてゐるのか……

それにしても自然は残酷である。梅雨時の大雨か台風の豪雨かは解らぬがその柳が立ってゐた後が岸辺には今もくっきりと残されてゐた。多分、二本並んで柳は岸に立ってゐた筈で、その片割れは今も岸にしっかりと根を張り泰然と生きてゐるが、其処から数meter離れた岸には濁流がざっくりと抉り取った後が残ってをり、多分、川の中に横倒しで生きてゐるあの柳の木は元元其処に悠然と立ってゐたに違ひない。

――どばっ、どぼっ、どどどどど――

しかしながら濁流は見れば見るほどその凄まじさに引き込まれさうになる不思議な魔力を持ってゐる。

私は台風一過等で起こる川の凄まじき濁流を見るのが好きであった。橋すらゆっさゆっさと揺さぶるほどの強力(がうりき)、この魅力は堪らない。目が濁流の凄まじき流れに慣れると何だか物凄くSlow motionで川が流れてゐるのではないかといふ錯覚が起こる。そこで不意に川に飛び込みたくなる衝動が私に生じ、『あっ』と思って吾に返るのである。その繰り返しが私は多分堪らなく好きなのだらう。濁流に魅せられたらもう其処から少なくとも一時間は動けなくなる。

――あっ、渦が生じた……。木っ端が渦に飲み込まれた……。あっ、大木だ。あっと、大木すら渦が飲み込んだ……。どばん ! ! 大木がConcreteの橋脚に激突した……

……………

それにしてもあの川の中の柳の木はよくあそこで踏み堪えたものだとつくづく思ふ。凄まじき濁流に投げ出されたならば最早流されるだけ流されるしかない筈なのだが、あの柳の木はあそこで止まったのだ。さうして何年も芽吹き生き続けてゐる。これまた凄まじき生命力である。水に浸かった部分は多分もう腐乱してゐる筈である。それでも尚、あの柳の木は川底に多分根を張ってゐるに違ひない。これまた凄まじきことよ……

――お前は何故吾を、この水の中の柳を哀れむのか

――否、感嘆してゐるのさ

――何を ?

――だから……あなたの生命力の凄さを……

――ふっ、馬鹿が

――何故 ?

――『自然』なことの何を感嘆するのか、はっ。

――すると、あなたは『自然』を『自然に』受け入れてゐるのですか ?

――受け入れるも受け入れないもない ! ! 此処が吾の生きられるこの世で唯一の場所だから……受け入れるも受け入れないもない ! !

――すると、

――黙れ ! ! お前に問ふ ! ! お前がこの世で唯一生きられる場所は何処だ ?

――……

――去れ ! ! 此処はお前のゐる場所ではない ! ! はっ。

2007 07/02 05:47:58 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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君は多分解ってゐた筈だが、自同律を嫌悪する私は性に対してもその通りだったのだ。思春期を迎へ夢精が始まり、まあ、それは《自然》のことだから何とか自身を納得させたが自慰行為は幻滅しか私に齎さなかった。射精の瞬間の《快楽》がいけないのだ。その《快楽》は私に嘔吐を反射的に齎すものでしかなかった……

君は「xの0乗 = 1」《(x > 0):0より大きい数の 0 乗は 1 となる》といふことは知ってゐるね。私はこの時自同律の嫌悪を超克するには《死》しかないと確信してしまったのだ。0乗の零が一回転に見え、即ち私にとってそれは現世での《一生》に見えてしまったのだ。生命は死の瞬間確率1にになる。つまり、1=1といふ自同律が《死》で完結するのだ。これで自同律の嫌悪は終はる……

――はっ。

…………

ところで、雪を除いて過去に私を一方的に愛してしまった女性たちは或る時期を過ぎると必ず私に性行為を求めて来たので私は《義務》でそれら全てに応じたが、性行為が終わると《女の香り》が私を反射的に嘔吐させる引き金になってしまったのだ。勿論、私は同性愛者ではない。だから、尚更いけないのだ。或る時、私が射精した瞬間、女性の顔面に嘔吐してしまったのを最後に、私は女性との性行為もしくは性交渉をきっぱりと已めてしまった……

また雪を除いての話だが、それに《女体》の醜悪さはどうしようもなかった。彼女たちは彼女自身の《脳内》に棲む《自身の姿》をDietなどと称しながら自身の身体で体現する《快楽》が自同律の《快楽》だと知ってゐた筈だが、私の嘔吐を見ながらも已めはしなかったのだ。結局彼女たちの理想の体型は痩せぎすの《男の身体》に《女性》の性的象徴、例へば乳房を、しかもそれが豊満だと尚更良いのだが、そんな《不自然な》体型を《女体》と称して私に見せ付けたのだ。これが醜悪でないならば何が醜悪なのか……

そこに雪が現われたのだ。

私が欅の木蔭のBenchにゐた雪を見つけた時、反射的に私の足は雪に向かって歩き始めてしまった。その時、雪は読んでゐた本から目を上げ私を一瞥すると私の全てを一瞬にして理解したやうに可愛らしい微笑を顔に浮かべ私を彼女の《全存在》で受け入れてくれたのだ。君にはこの時の雪と私の間で通じ合ひ、それをお互ひ一瞬で理解したと認識し出来てしまったと多分お互ひ同士感じた筈である感覚は多分理解不能だと思ふが《奇跡的に》それがその時起こってしまったのだ。

吾ながら今もってその時の事は不思議でならないがね……

君は私が《黙狂者》だと認識してゐたので君は多分私と雪との関係をこれまた一瞬で理解したのだらうね、君は駆け出して私より先に雪に声を掛けたね。あの時は有難う。

――君、何の本を読んでゐるの ?

――William Blake(ヰリアム・ブレイク)よ。

――それは丁度いい。良かったならなんだけど、これから僕たちBlakeの《THERE IS NO NATURAL RELIGION》と《ALL RELIGIONS ARE ONE〜The Voice of one crying in the Wilderness〜》をネタにして男ばかりだけど……飲み会みたいなSalonみたいな真似事をしようとしてゐるので……君も来ないかい ?

――いいわよ。

――本当 !? じゃあ、僕らと一緒に行かう。

雪は君と会話してゐる間もずっと私を見て微笑んでゐたのは君も覚えているだらう。その時私には雪が尼僧の像と二重写しで見えてしまっていたのだ……

William Blake著

《THERE IS NO NATURAL RELIGION》

[a]

The Argument. Man has no notion of moral fitness but from
Education. Naturally he is only a natural organ subject to
Sense.
I Man cannot naturally Percieve. but through his natural or
bodily organs.
II Man by his reasoning power. can only compare & judge of
what he has already perciev'd.
III From a perception of only 3 senses or 3 elements none
could deduce a fourth or fifth
IV None could have other than natural or organic thoughts if
he had none but organic perceptions
V Mans desires are limited by his perceptions. none can desire
what he has not perciev'd
VI The desires & perceptions of man untaught by any thing but
organs of sense, must be limited to objects of sense.
Conclusion. If it were not for the Poetic or Prophetic character
the Philosophic & Experimental woud soon be at the ratio of all
things & stand still unable to do other than repeat the same dull
round over again

[b]

I Mans perceptions are not bounded by organs of perception. he
percieves more than sense (tho' ever so acute) can discover.
II Reason or the ratio of all we have already known. is not
the same that it shall be when we know more.
[III lacking]
IV The bounded is loathed by its possessor. The same dull
round even of a univer[s]e would soon become a mill with
complicated wheels.
V If the many become the same as the few, when possess'd,
More! More! is the cry of a mistaken soul, less than All cannot
satisfy Man.
VI If any could desire what he is incapable of possessing,
despair must be his eternal lot.

VII The desire of Man being Infinite the possession is Infinite
& himself Infinite
Application. He who sees the Infinite in all things sees
God. He who sees the Ratio only sees himself only.
Therefore God becomes as we are, that we may be as he is

《ALL RELIGIONS ARE ONE》
〔The Voice of one cryng in the Wilderness〕

The Argument As the true method of knowledge is experiment
the true faculty of knowing must be the faculty which experiences.
This faculty I treat of.
PRINCIPLE 1st That the Poetic Genius is the true Man. and that
the body or outward form of Man is derived from the Poetic Genius.
Likewise that the forms of all things are derived from their Genius.
which by the Ancients was call'd an Angel & Spirit & Demon.
PRINCIPLE 2d As all men are alike in outward form, So (and with
the same infinite variety) all are alike in the Poetic Genius
PRINCIPLE 3d No man can think write or speak from his heart, but
he must intend truth. Thus all sects of Philosophy are from the Poetic
Genius adapted to the weaknesses of every individual
PRINCIPLE 4. As none by traveling over known lands can find out
the unknown. So from already acquired knowledge Man could not ac-
quire more. therefore an universal Poetic Genius exists
PRINCIPLE. 5. The Religions of all Nations are derived from each
Nations different reception of the Poetic Genius which is every where
call'd the Spirit of Prophecy.
PRINCIPLE 6 The Jewish & Christian Testaments are An original
derivation from the Poetic Genius. this is necessary from the
confined nature of bodily sensation
PRINCIPLE 7th As all men are alike (tho' infinitely various) So
all Religions & as all similars have one source
The true Man is the source he being the Poetic Genius

(出典ENGUIN CLASSICS版 「WILLIAM BLAKE――THE COMPLETE POEMS」より頁75〜77)

(以降に続く)
2007 07/01 06:13:18 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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********************副題**************************************

Pianist ハロルド・バッド(Harold Budd)の静謐な演奏が白眉な、Ambient Music(環境音楽)の創始者であり、現在ではClassicの現代音楽家とも目されるブライアン・イーノ(Brian Eno)の美しき1980年の作品「 Plateaux of Mirror 」(邦題:鏡面界)を聴きながら……

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追記

イーノの作品で私はNASA制作の映像作品のSoundtrack盤「APOLLO(邦題:アポロ)」が一番のお気に入りである。

****************************************************************

万華鏡を覗いてゐるとその変幻自在で色鮮やかな千変万化する鏡面世界は私の思考を無理矢理にでも宇宙に誘(いざな)ふのである。

――Black hole(ブラックホール)……

最近、Black holeは存在しないといふ新説が発表されたが、ここではBlack holeが存在するものとして話を進める。

さて、光すら逃れられないBlack hole内はその名に反して眩いばかりに光り輝く鏡面世界なのではないかと最近、特にさう思ふ。銀河の中心域の輝きを見ると尚更さう思へてくるのである。

――Light-shining hole……

唯、シュヴァルツシルト半径または重力半径と呼ばれるBlack holeの境界域のみ漆黒なのであって、仮にその境界域を鏡面界と仮定すればBlack holeは万華鏡と同じと考へられなくもないのである。

――もしかすると銀河の中心域もまた鏡で出来た『林檎宇宙』([水鏡]を参照して下さい)の縮図なのかもしれない……

――Fractal(フラクタル)的に考へると……この私が存在してしまってゐるこの宇宙自体が巨大な巨大な巨大な巨大なBlack holeと考へられなくもないではないか……

――ふっ、面白い……

――するとだ……宇宙外にはこの宇宙を中心とする巨大な巨大な巨大な巨大な銀河が形作られてゐるのかもしれない……

――するとだ……この宇宙をBlack hole型宇宙だと仮定すると……この宇宙を閉ぢ込め包み込む更に巨大な巨大な巨大な巨大なBlack hole型の宇宙が存在し、それが無限に続いてゐるとすると……

――ふっ。鏡面界を皮と見立てると……この世といふものは巨大な巨大な巨大な巨大な……鏡で出来た無限の『玉葱宇宙』といふことか……

――また……『無限』といふ名の陥穽に落ちてしまったぞ……

と、不意にイーノの「鏡面界」が終はったのであった。
私が何故Televisionを殆ど見ず、街中を歩く時伏目になるのかを君はご存知の筈だが……私には他人の死相が見えてしまふのだ。街中で恋人と一緒に何やら話してゐて快濶に哄笑してゐる若人に死相が見える……体の不自由なご主人と歓談しながらにこにこと微笑み車椅子を押してゐるそのご婦人に死相が見える……Televisionで笑顔を見せてゐるTalentに死相が見える等々、君にも想像は付く筈だがこの瞬間の何とも名状し難い気分……これは如何ともし難いのだ。それが嫌で私はTelevisionを見ず、伏目で歩くのだ。

そんな私が馥郁たる仄かな香りに誘はれて大学構内の欅を見た時、その木蔭のBenchで雪が何かの本を読んでゐるのを目にしたのが私が雪を初めて見た瞬間だった。

その一瞥の瞬間、私は雪が過去に男に嬲られ陵辱されたその場面が私の脳裡を掠めたのである。そんなことは今まで無かったことであったが雪を見た瞬間だけそんな不思議なことが起こったのである。

その時から私は雪が欅の木の下に座ってゐないかとその欅の前を通る度に雪を探すやうになったのである。

君もさうだったと思ふが、私は大学時代、深夜、黙考するか本を読み漁るか、または真夜中の街を逍遥したりしては朝になってから眠りに就き夕刻近くに目覚めるといふ自堕落な日々を送ってゐたが、君とその仲間に会ふために夕刻に大学にはほぼ毎日通ふといふ今思ふと不思議な日々を過ごしてゐた訳だ。

話は前後するが、今は攝願(せつぐわん)といふ名の尼僧になってゐる雪の男子禁制の修行期間は疾うに終はってゐる筈だから、雪、否、攝願さんに私の死を必ず伝へてくれ給へ。これは私の君への遺言だ。お願ひする。多分、攝願さんは私の死を聞いて歓喜と哀切の入り混じった何とも言へない涙を流してくれる筈だから……

さうさう、それに君の愛犬「てつ」こと「哲学者」が死んださうだな。さぞや大往生だったのだらう。君は知ってゐるかもしれないが、私は「てつ」に一度会ってゐるのだ。君の母親が

――家(うち)にとんでもなく利口な犬がゐるから一度見に来て

と、私の今は亡き母親に何か事ある毎に言ってゐたのを私が聞いて私は「てつ」を見に君の家に或る日の夕刻訪ねたのだが、生憎、君はその日に限って不在で君の母親の案内で「てつ」に会ったのだよ。

「てつ」は凄かった……。夕日の茜色に染まった夕空の元、「てつ」の柴赤色の毛が黄金色(こがねいろ)に輝き、辺りは荘厳な雰囲気に覆われてゐた。その瞬間、私にとって「てつ」は「弥勒」になったのさ。私を見ても「てつ」こと「弥勒」は警戒しないので君の母親は私と「弥勒」の二人きりにしてくれた。それはそれは有難かった。暫く「弥勒」の美しさに見蕩れてゐると「弥勒」が突然、私に

――うぁぁお〜んわぅわぅあぅ

と、何か私に一言話し掛けたのである。私にはそれが『諸行無常』と聞こえてしまったのだ。

今でもあの神々しい「弥勒」の荘厳な美しさが瞼の裏に焼き付いてゐる……。あの世で「弥勒」に会へるのが楽しみさ……。

さて、話を雪のことに戻さう。

或る初夏の夕刻、君と一緒にあの欅の前を歩いてゐると雪がBenchに座っていつものやうに何かの本を呼んでゐた。

(以降に続く)

2007 06/24 04:54:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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先づ、次の文章が何のことなのか……謎謎である。

『宇宙を普遍的に支配する法則、宇宙の基本的なBalanceは、始終、破られてゐる。Energie(エネルギー)保存則を無視して、真空から、電子や陽子のやうな物質が――まるで手品の空っぽの帽子から鳩や兎が飛び出すやうに――ポンポンと出て来るのである。これを「真空の揺らぎ」と呼ぶのであった。但し、このやうな奇妙な現象は、観測者(主体)が観測してゐない時にしか起きない。一旦、無から生成された物質は、観測者(主体)が――周囲が――Unbalanceに気づく前に、無へと直ちに回帰してしまふ。結局、無から飛び出した電子や陽子たちは、観測者(主体)の眼には、「存在してゐなかった」ことになる。』――引用(『本 読書人の雑誌 2007年6月』【講談社】〜<とき>の思考――大澤真幸著:「独裁者という名の民主主義」〜(一部私が変更)

上記の記述には大澤真幸の理解不足が散見されるが概ね正しいとして、さて、何のことなのか解るだらうか。

先づ科学関係、それも物理学関係の事だとは解ると思ふが、しかし、科学者の間では上記の引用が「常識」なのである。

さう、量子力学のことである。量子力学における現象は一般の常識を越えた事がしばしば起こるが、上記の引用は彼のアインシュタインが生涯受け入れられなかった量子論の基本の基本の考え方である。アインシュタインでさへさうなのだから一般の人々にとっては尚更受け入れられない考え方である。

一言で言ふと私の背中では上記の引用の摩訶不思議としか言へない「現象(?)」が常に起こってゐることになる。

――はっはっはっ、可笑しくて仕様が無い……

さて、しかし、ここが大きな問題である。上記の引用が科学者の「常識」といふ事が――空恐ろしくて悪寒が体を走る――「文明」の基本の基本にある考え方なのだ。

――逃げろ ! !

さう、文明から即刻逃げなければ観測者にされた主体はこの世の「文明世界」で弄り殺され兼ねないのだ。

――奇妙奇天烈な『文明』から……早く、早く、逃げろ ! !

アインシュタインの一般相対性理論と量子論が「統一」された「大大統一理論」が理論物理学の世界で確立されない限り狂気の沙汰としか言へない「文明」から逃げる外、私たち一般の人々が「文明」に弄り殺されずに生き残る術は今の所……無い。

――誰か吾を助け給へ……

童歌の「かごめかごめ」

    籠目籠目
    籠の中の鳥はいついつ出やる
    夜明けの晩に鶴と亀がすべった
    後ろの正面誰


2007 06/18 07:19:27 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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にやりと笑った途端、不意にこの世を去った彼の葬儀に参列した時、亡くなった彼の妹さんから彼が私に残したものだといふ一冊の大学Noteを渡されたのである。英語と科学を除いて勿論彼は終生縦書きを貫いたのでそのNoteの表紙にそのNoteが縦書きで使ふことを断言するやうに『主体、主体を弾劾すべし』と筆書きされてあったのである。

その手記は次の一文から始まってゐた。

『――吾、吾を断罪す。故に吾、吾を破壊する――

これは君への遺言だ。すまんが私は先に逝く。これが私の望む生だったのだ。私はこれで満足なのだ……

君もご存知の「雪」といふ女性が私の前に現はれた時に私は『自死』しなければならないと自覚してしまったのだ。

自分で言ふのも何だが……、私は皆に『美男子』と言はれてゐたので美男子だったのだらう。良くRock BandのU2の『WAR』のジャケットのCover写真の少年(俳優:ピーター・ロワン)に似てゐると言はれてゐたが、ご存知のやうに私は変人だったのでそれ程多くの女性にもてたとは言へないが、生命を生む性である女性の一部はどうしても私の存在が「母性」を擽(くすぐ)るのだらう、彼女らは私を抛って置けず無理矢理――この言ひ方は彼女らに失礼だがね――私の世話をし出したのは君もご存知の通りだ。

しかし、私に関わった全ての女性たちは私が変はらないと悟って私の元から離れて行った。雪を除いては……

私は雪と出会った頃には埴谷雄高がいふ人間の二つの自由――子を産まないことと自殺することの自由――の内、自殺の仕方ばかり考へてゐたが、私には人間の自由は無いとも自覚してゐたので自殺してはならないとは心の奥底では思ってゐたけれども、画家のヴァン・ゴッホの死に方には一種の憧れがあったのは事実だ。自殺を決行して死に損なひ確か三日ぐらゐ生きた筈だが、私もヴァン・ゴッホが死す迄の三日間の苦悩と苦痛を味はふことばかりその頃は夢想してゐたのだ。それに自殺は地獄行きだから死しても尚未来永劫『私』であり続けるなんて御免被るといったことも私が自殺しなかった理由の一つだ。

今は亡き母親がよく言ってゐたが、私は既に赤子の時から変はってゐたさうだ。或る一点を凝視し始めたならば乳を吸ふ事は勿論、排泄物で汚れたおむつを換へるのも頑として拒んださうだ。ふっ、私は生まれついて食欲よりも凝視欲とでも言ったら良いのか、見ることの欲望が食欲より――つまりそこには性欲も含んでゐるが――優ってゐたらしい。赤子の時より既にある種の偏執狂だったのだ。君が私を『黙狂者』と呼んだのは見事だったよ。今思ふとその通りだったのかもしれない。

そんな時だ、雪に出会ってしまったのは……

(以降に続く)


2007 06/17 06:27:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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彼は幼い頃から屋根に寝そべって時々刻々とその姿を変容させる雲を見続けてゐる何とも名状し難い心地よさに包まれるその時間を愛して已まなかった。

特に雷雲が遠ざかる時の鬱勃と雷雲に雲が次々と湧いては上昇したために冷えた気団が纏ふ雲が雲団に崩れ沈む様をずうっと眺めてゐる時のその雄大な儚さが何とも堪らなく好きであった。

或る日、彼は特別強い突風が吹かない限り欠かせた事が無い激烈に変化する気候の不思議に魅了されて眺めずにはゐられない雷雲の去来の全てを部屋の窓を開け放って眺め始めたのであった。

先づ、斥候の雲として龍のやうな雲が中空を滑るやうに横切り始めると彼は最早空から目が離せなくなったのである。そして、灰色の氷山のやうな小さな暗雲が次第に群れを成して上空を流れ行く段になるともう直ぐ空が一変する瞬間が訪れるのを彼はわくわくしながら待つのである。

それは雷神が巨大な甕に薄墨をどくどくと注ぎ込みその巨大な甕が薄墨で一杯になったところでその甕の薄墨を空にぶち撒けるやうに薄墨色の暗い雲がさあっと空一面に一気に拡がる瞬間の息を飲むやうな迫力に圧倒されたいが為のみである。

辺りが夜の闇に包まれたかのやうに真っ暗になると雷神の本領発揮である。きらっと暗雲の何処に閃光が走ると

――どどどどど

と腹の底まで響き渡る轟音がこの世を覆ひ包む。

時には稲妻が地上から暗雲へ向けて這い登るその雷神の大交響樂は何時見ても凄まじいものであった。すると、彼は奇妙な感覚にその日は襲われたのである。

――睨まれた ! !

その瞬間であった。一閃の稲妻が地目掛けて駆け落ちた時、蒼白い小さな小さな閃光がこっちへ向かって疾走して来たのであった。その時Radioからワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れてゐた。

その蒼白い小さな小さな閃光はRadioのAntennaの先端に落ちたのであった。すると、「ワルキューレの騎行」は突然大音響で鳴り響き雷神の大交響樂を更にその迫力が鬼気迫る何とも凄まじいものへと変貌させたのであった。

それからである。稲妻が次々と閃光を放っては轟音を轟かせこの世を縦横無尽に駆け回り始めたのである。

――ぼとぼとぼと――

豪雨の襲来である。

その日の雷雨は記録的な降雨を記録した物凄いものであった……
2007 06/11 06:37:30 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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