思索に耽る苦行の軌跡

2007年 11月 の記事 (8件)

隧道(Tunnel)は閉所恐怖症の為かどうも苦手であるが、或る日、壮観な大瀑布が見たくなって或る滝を見に出掛けたのであった。





時空間が円筒形に巻き上げられ《現在》の中のみに身を曝し唯唯隧道の出口に向かって進むのみの或る種《一次元》世界に閉ぢ込められたやうなその隧道の入口に立つと、さて、これは産道を潜り抜けて此の世に《生》を授けられたその瞬間の遠い遠い記憶を呼び起こすのか、または茅の輪くぐりの如く厄を祓ひ《新生》する儀式にも似た《生まれ変はり》を無理強ひするのか、或る種の異界への入口のやうな暗い隧道に対して或る種の恐怖心が不思議に沸き起こって来るのである。



それは《現在》のみに身を曝すことが即ち《不安》若しくは《猜疑心》を掻き立てるといふ事でもあった。





ええい、儘よ、と、私はその隧道の中へ歩を進めた。





隧道に溢れ出た地下水が岩盤がき出しのままのその隧道の壁面を伝って流れ落ちる様を見るにつけ、矢張り隧道の中は気味が悪い、が、しかし、《現在》とはそもそも気味が悪いものである。ほんの百メートル程しかないその隧道の明るい出口からは水が流れるせせらぎの音が聞こえて来るのを唯一の頼りに私は足早にその隧道を通り抜けたのであった。



――ふ〜う。



眼前には別世界が拡がってゐた。其処は渓谷の断崖絶壁の上に築かれた細い道で渓谷の底には清澄極まりない美しい水が渓流となって流れてをり、彼方からは滝壺に崩落する水の音が幽かに聞こえて来た。



くねくねと曲がったその細い道を歩き続けて行くと忽然と一条の垂直に水が流れ落ちる滝が視界に出現する。それはそれは絶景である。



さて、滝壺のすぐ傍らまで来ると滝壺に叩き付けられ捲き上がった水飛沫が虹を作り、さて、百メートル程の落差があるその大瀑布たる滝を見上げると、私はたちどころに奇妙な感覚に捉はれるのだ。普段は水平に流れる川の流ればかり見てゐる所為か巨大な垂直に流れ落ちる水の流れに愕然とし、その感覚は或る種の《敗北感》に通じるものである。それはドストエフスキイ著「白痴」の主人公、ムイシュキン公爵が病気療養で滞在してゐたスイスの山で見た滝に対した時の感覚にも似てゐるのかもしれない。



其の感覚は言ふなれば無気味な《自然》に無理矢理鷲掴みにされ何の抵抗も出来ぬ儘唯唯《自然》の思ふが儘に弄られた羸弱なる人間の限界を突き付けられ、唯唯茫然と《自然》に対峙する外無い無力な自身を味はひ尽くさねばならない茫然自失の時間である。



――他力本願。



といふ言葉が巨大な滝を見上げながら不意に私の口から零れ出たのであった……。



――この自然を文明に利用出来、支配出来ると考へた人類は馬鹿者である。



私の眼には絶壁を自由落下する水の垂直の流れがSlow motionの映像を見るが如くゆっくりとゆっくりと水が砕けながら流れ落ちる様が映るばかりであった……。





パスカル著「パンセ」(【筑摩書房】: 世界文学全集 11 モンテーニュ/パスカル全集)より





四五五





自我は嫌悪すべきものである。ミトンよ、君はそれを隠しているが、隠したからといって、それをしりぞけたことにはならない。それゆえ、君はやはり嫌悪すべきものである。



――そんなわけはない。なぜなら、われわれがやっているように、すべての人々に対して親切にふるまうならば、人から嫌悪されるいわれはないではないか?



――それはそうだ。もし自我からわれわれに生じてくる不快だけが、自我の嫌悪さるべき点だとすれば、たしかにその通りだ。しかし、私が自我を嫌悪するのは、自我が何ごとにつけてもみずから中心になるのが不正であるからであるとすれば、私はやはりそれを嫌悪するであろう。



 要するに、自我は二つの性質をもっている。それは何ごとにつけても自分が中心になるという点で、それはすでにそれ自身において不正である。また、それは他の人々を従属させようとする点で、他の人々にとって不都合である。なぜなら各人はの自我はたがいに敵であり、他のすべての自我に対して暴君であろうとするからである。君は、自我の不都合な点を除き去りはするが、その不正な点を除き去りはしない。それゆえ、自我の不正な点を嫌悪する人々に対して、君は自我を愛すべきものとさせることはできない。自我のうちに自分たちの敵を見いださない不正な人々に対してのみ、君は、自我を愛すべきものとさせることができるにすぎない。それゆえ、君は依然として不正であり、不正な人々しか悦ばせることができない。





四五八





「おおよそ世にあるものは、肉の欲、眼の欲、生命の誇りなり。感ぜんとする欲、知らんとする欲、支配せんとする欲。」これら三つの火の川がおしているというよりも燃えたっている呪われた地上は、何と不幸なことであろう! これらの川のうえにありながら、沈まず、まきこまれず、確乎として動かずにいる人々、しかもこれらの川のうえで、立っているのではなく、低い安全なところに坐っている人々、光が来るまであえてそこから立ちあがろうとせず、そこで安らかに安息したのち、自分たちを引きあげて聖なるエルサレムの城門にしかと立たせてくれる者に、手をさしのべる人々は、何と幸福なことであろう! そこではもはや傲慢が彼らを攻め彼らを打ち倒すことはできないであろう。それにしても、彼らはやはり涙を流す。それは、すべての滅ぶべきものが激流にまきこまれて流れ去るのを見るからではなく、その永い流離のあいだたえず思いつづけてきたなつかしい彼らの祖国、天のエルサレムを思い出すからである。





四五九





 バビロンの河は流れ、落ち、人を引き入れる。



 ああ、聖なるシオンよ。そこにおいては、あらゆるものが永存し、何ものも落ちることがない。



 われわれは河の上に坐らなければならない。下でも、中でもなく、上に。また、立っていないで、坐らなければならない。坐ることによって、謙遜であるために。上にいることによって、安全であるために。だが、われわれはエルサレムの城門では立ち上がるであろう。



 その快楽が永存するか流れ去るかを見よ。もしも過ぎ去るならば、それがバビロンの河である。











































































2007 11/26 05:52:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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と不意にまた一つの光雲が私の視界の周縁を旋回したのである。私は煙草によって人心地付いたのと、また光雲が視界の周縁を廻るのを見てしまった私を敏感に察知しそれに呼応する雪の哀しい表情が見たくなかったのでゆっくりと瞼を閉ぢたのであった。瞼裡に拡がる闇の世界の周縁を数個の光雲が相変はらず離合集散しながら左に旋回するものと右に旋回するものとに分かれぐるりぐるりと私の視界の周縁を廻ってゐた。



――死者達の託けか……、それとも埴谷雄高曰く、《精神のリレー》か……。



勿論死んで逝く者達は生者に何かしら託して死んで逝くのだらう。私の瞼裡の闇には次々と様々な表象が浮かんでは消え浮かんでは消えして、それは死者達の頭蓋内の闇に明滅したであらう数多の思念が私の瞼裡の闇に明滅してゐるのだらうかと考へながらも



――それにしても何故私なのか?



と疑問に思ふのであるが、しかし、一方で



――死者共の思念を繋ぎ紡ぐのがどうやら私の使命らしい。



と妙に納得してゐる自分を見出しては内心で苦笑するのであった。



と不意に金色の仏像が瞼裡の闇の虚空に浮かび上がったのである。



――ふう〜う。



とそこで間をおくやうに煙草を一服し、もしやと思ひ私は目玉を裏返すやうに瞼を閉ぢたままぐるりと目玉を回転してみると、果たせるかな、血色に燃え立つ光背の如き業火の炎は私の内部で未だ轟轟と燃え盛ってをり、再び目玉をぐるりと回転させて元に戻すと未だ金色の仏像――それは大日如来に思へた――が闇の中空に浮かび上がって何やら語り掛けてゐたのであるが、未熟な私にはそれを聞き取る術が無く静寂のみが瞼裡の闇の世界に拡がるばかりであった。



と忽然と



――存在とは何ぞや。



といふ誰とも知れぬ声が何処からともなく聞こえて来たのであった。



――生とは何ぞや。



とまた誰とも知れぬ声が聞こえ



――そもそも私とは何ぞや。



とまた誰とも知れぬ声が聞こえた。と、そこで忽然と金色の仏像は闇の中に消えたのである。



これが幻聴としてもどうやら彼の世に逝くには自身の存在論を誰しも吐露しなければならないらしい。ふっふっ。



すると突然、左右に旋回してゐた数個の光雲が無数の小さな小さな小さな光点に分裂離散しすうっと瞼裡の闇全体に拡がったのである。すると突然



――何が私なのだ!



と誰とも知れぬ泣き叫ぶ声が脳裡を過ったのである。そこで漫然と瞼裡に拡がってゐた無数の光点はその叫び声を合図に何かの輪郭を瞼裡に仄かに輝きを放ち浮かび上がらせるやうに誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせたのであった。私は一瞬ぎょっとしたが、それも束の間で、



――うう……



とも



――ああ……



とも判別し難い声成らざる奇怪な嗚咽の如き《声》を、瞼裡に浮かび上がったその顔の持ち主が発してゐるのに気付いたのであった。



――ふう〜う。



と、この現前で起きてゐる意味を解かうとしてか再び無意識に私は煙草を一服し、そして、意味も無くそこで瞼をゆっくりと開け月光に映える雪の顔をまじまじと凝視したのである。



――何?



と雪は微笑んだ、が、直ぐ様私の身に起こってゐる事を直覚した雪は



――また……誰かが亡くなったのね……、大丈夫?



といふ雪に私は軽く頷き満月が南中へ向かって昇り行く奇妙に明るい夜空を見上げてから再び瞼を閉ぢたのであった。果たせるかな、瞼裡の闇の虚空には相変はらず誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭がぼんやりと輝きを放って浮かんでをり、私は最早声に成らざる嗚咽の如き奇妙奇天烈なその《声》にじっと耳を澄ませるしかなかったのであった……。



(以降に続く)

































































2007 11/25 04:54:32 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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   註 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のレーザーの項目を参照



   簡単に言へばウィキペディアによるとレーザー光は、レーザー発振器を用ゐて人工的に作られる光である。





時折河原を宵闇の中逍遙してゐる時に天空に向かってLaser光が発振されてゐるのを目にすることがあるが私にはそれがとても切ないのである。



それは何故かと考へるのだが、どうやら人間によって無理矢理に此の世に出現させられた上に光共振器内で増幅されつつ二枚の鏡の間を何度も何度も往復するといふ、それを例へて言ってみれば合せ鏡の中に突然置かれ二枚の鏡に向かって全速力で突進し、鏡にぶち当たる度に『定常波』といふ平準化される宿命を負ひ、其処で目にするものと言へば唯唯《己と仲間の哀れな姿》のみであるといふ切なさ、更に言へば光共振器から発振されてからも《直進》することを運命づけられた哀しさ等等、Laser光は哀しさに満ちてゐる。



一度Laser光が発振されると反射、散乱させる物質がその進路に存在しなければ《無限》に向かって進むことがLaser光の宿命である。その中には一緒に発振させられたが直進することから《脱落》する《仲間の光》の《宿命》さへをも背負ひ続け唯只管に《無限》の彼方に向かって進まざるを得ない哀しい《宿命》、これは《永劫》に長い直線道路をマラソンする人々に似てゐる。その虚しさは計り知れないのだ。



尤も、この宇宙が閉ぢてゐるとすると一度発振され《脱落》せずに《無限》に向かって進み続けたLaser光はあはよくば何百億年後かに元の場所に戻って来る筈であるが、さて、しかし、その時既に発振された場所、つまり、人類も太陽系も此の世から消滅してゐるとすると尚更Laser光は哀しい存在である。さう、一度発振されたLaser光は《永劫》に此の世を《直進》しなければならない何とも何とも哀しい存在なのであるる





またLaser光の一条の閃光が天空に向かって発振された……。



――底なしの哀しさとは彼らLaser光の為にあるのか……。





そもそも職人の手以外に強制的に人間の愚劣な《便利》のためにある機能を背負はされ此の世に生み出される電化製品等はLaser光のやうに哀しい存在である。その製造段階では金型職人等の何人かの職人は関わるには関わるが、それは極々少数で、例へば徹頭徹尾職人の手になる万年筆や陶磁器などに比べると工場で生産された製品には愛着といふ《魂》が宿らず哀れである。それら工業製品はDesign(デザイン)といふ意匠を仮面の如く付せられるが、その薄っぺらさがまた哀れを誘ふのである。



人工物は職人の職人気質といふ《魂》が籠ってゐなければそもそもが哀しい存在である。



すると、此の世の現代的で先進的な生活は悲哀に満ちてゐることがその前提といふ誠に誠に哀しい現状に人間は置かれてゐるのであるが、それに気付かぬ振りをしてか人間は《現代》の哀れな存在物の中で《文明的》に生活するこれまた哀れな存在である。つまり、極端なことを言へば他者が考へた製品や建築物や街並み等等といふ《他者の脳内》に棲むのが人間といふ哀れな生き物である。



――さて、ドストエフスキイ著「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフが接吻した《大地》は何処に消えたのか……。



――ふふ。人間は既に《他者の脳内》といふ世界を造り上げ其処に引き籠ってしまったのさ。生の《大地》といふ《現在》からの遁走が人間には心地良いのさ。



――そんな馬鹿な事が……。



――実際、生の《大地》といふ《現在》とは距離が生じた《文明的》である《過去》へ逃げ込んだのさ。ふっ。考へてもみ給へ。面倒臭い《不便》な《現実》を誰が好む? 《便利な生活》といふ《現実逃避》こそ人間の《夢の世界》なのさ。



――そんな馬鹿なことが……。それでは尋ねるが《現実逃避》した《現代》に生きる実感はあるのか?



――ふつ。人間はもう既にそんなものなど望んでなぞゐない。何しろ《文明》といふ甘い蜜の味を、それが失楽園とも知らず知ってしまったからな。



――それでは人間は生きることをとっくに已めた哀れ極まりない生き物に成り下がってしまったのか……。



――ふつ。さうさ。人間は生きながら死ぬといふ離れ業を生きる奇妙奇天烈な生き物に《進化》したのさ。嗚呼、哀れなるかな、人類は……。



またLaser光の一条の閃光が天空に向かって発振された……。

















































2007 11/19 09:24:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――本当に煙草が好きなのね、あなたみたいに煙草を美味しさうに吸ふ人、私、初めて見たわ。うふ、筋金入りのNicotine(ニコチン)中毒ね、ふふ。



と既に自身の煙草はとっくに吸ひ終はってゐた雪は私が煙草を喫む毎に生気が漲る様でも敏感に感じたのかほっとしたやうなにこやかな微笑みを浮かべては私を見続けてゐるのであった。私はと言へば照れ笑ひを軽く浮かべて雪に微笑み返すのである。さうさ、二人に会話はゐらなかったのだ。顔の表情だけで二人には十分であった。



君も知っての通り、私にとって必要不可欠なものは煙草と日本酒と水とたっぷりと砂糖が入った甘くて濃い珈琲、そして、本であった。私の当時の生活費は以上が殆どで食費は日本酒と砂糖を除けば本当に僅少であった。Instant(インスタント)食品やJunk food(ジャンクフード)の類は一切口にすることは無く、今もってその味を私は知らない。



ねえ、君。私の嗜好品は全て鎮静か興奮かの刺激物だといふ事がはっきりしてゐるだらう。それは、私の思考が当時、一度思考が始まると止め処無く堂堂巡りを繰り返し《狂気》へ一気に踏み出すのを鎮静するのに煙草は必需品だったのだ。煙草を一服し煙草の煙を吐き出すのと一緒に私は《狂気》へ一気に驀進する思考の堂堂巡りも吐き出すのさ。そして、不図吾に帰ると私の内部に独り残された吾を発見し《正気》を取り戻すのだ。。古に言ふ《魂が憧(あくが)れ出る》状態が私の思考の堂堂巡りだった。私が思考を始めると吾は唯《思考の化け物》と化して心此処に在らずといった状態に陥ってしまふのさ。これも一種の狂気と言へば狂気に違ひないが、この思考が堂堂巡りを始めてしまふ私の悪癖は矯正の仕様がない持って生まれた天稟の《狂気》だったのかもしれない……。



《死》へと近づく哀惜と歓喜が入り混じったこの屈折した感情と共に煙草を喫み、そして、私の頭蓋内で《狂気》のとぐろを巻きその《摩擦熱》で火照った頭の《狂気》の熱を煙草の煙と一緒に吐き出し吾に帰る愚行をせずには、詰まる所、私は《狂気》と《正気》の間の峻険の崖っぷちに築かれたインカ道の如きか細き境に留まる術を知らなかったのだ。何故と言って、私は当時、《狂気》へ投身することは《私》に対する敗北と考へてゐた節があって、それは《狂気》へ行きっぱなしだと苦悩は消えるだらうがね、しかし、それでは全く破壊されずに《狂気》として残った全きの生来の《私》が《私》のまま《狂気》といふ《極楽》で存在することが私には許せなかったのだ。《狂気》と《正気》とに跨り続けることが唯一私に残された《生》の道だったのさ。



…………



…………



其の時の朗らかに私に微笑み続ける薄化粧をした雪の美貌は満月の月光に映え神秘的でしかもとてもとても美しかった……。



(以降に続く)


2007 11/18 04:36:00 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私はそもそも生き物の殺生は嫌ひであるが、御勝手のゴキブリとぶ〜んと私の血を求め私を襲ふ雌の蚊だけは罪悪感を感じながらも駆除してゐる。



ところが或る初秋の日に御勝手からは少し離れた所にある私の書斎を兼ねた部屋に一匹の多分雄のゴキブリが潜入して来たのであった。水もなければ食料もないので直ぐにそのゴキブリは私の部屋から去るだらうとそのまま放って置いたがそのゴキブリは一向に私の部屋から去らうとせずゐたのであった。そもそも昆虫好きの私にはゴキブリもまた愛すべき昆虫の一種に違ひなく、御勝手にさへゐなければ別段駆除すべきものではないのである。むしろ、私はそのゴキブリをまじまじと凝視しては



――成程、ゴキブリは神の創り給ふた傑作の一つだ。素晴らしい。



等とゴキブリの姿形に見惚れるばかりなのであった。ところがである。



――何故このゴキブリは逃げないのか。



実際、このゴキブリは私が凝視しても全く逃げる素振りすら見せず、触覚をゆらゆら揺らしながらむくりと頭を上げ、ゴキブリの方も私を観察してゐるのみでその場から全く逃げずにむしろ何やらうれしさうにも見えるのであった。この時私は胸奥で



――あっ。



と叫んだがそれが正しいのかはその時は未だ解らなかったのでそのゴキブリの覚悟を見届けやうとそのゴキブリをそっとして置いたのであった。



そして、矢張りであった。そのゴキブリはその時以来私から付かず離れずの絶妙の間合ひで私から離れやうとはしなかったのである。



私はその部屋に布団を敷いて寝起きをしてゐるが、そのゴキブリは私の就寝中は私の頭の周辺に必ずゐるらしく、私はゴキブリの存在を頭の片隅で意識しゴキブリの気配を感じながら何時も眠るのであった。



――全く!



そのゴキブリは難行中の僧の如く勿論飲まず喰はずの絶食を多分愉しんでゐた筈である。例へてみればそれは難行を続ける内にやがては薄れ行く意識の中、或る種の臨死体験にも似た《恍惚》状態に陥り、その《恍惚》を《食物》にしてその《恍惚》に更に耽溺してゐるとでもいった風の、死を間近にしての《極楽》を思ふ存分に心行くまで味はひ尽くしてゐた悦楽の時間であった筈である。



そんな風にして数日が過ぎて行った。



そして、そのゴキブリと出会ってほぼ一週間経った或る夜、就寝中の私の脳裡に忽然と巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭が出現したのに吃驚して不図眼を醒ますとゴキブリは私の右腕に乗りじっと私を見てゐるらしいのが暗中に仄かに解るのであった。



――入滅か……。



と、私はその時自然とさう納得したのであった。そして、あの脳裡に出現した巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭が何を意図したものなのかを考へながらもそのまま再び深い睡眠に陥ったのである。



朝、目覚めると最早あのゴキブリの存在する気配は全く感じられなかったのであった。



それから数日経った或る日、何かの腐乱した異臭が雑然と雑誌やら本やらが平積みになってゐる何処からか臭って来るのであった。果たして、雑誌の下で仰向けになって死んでゐたあのゴキブリが見つかったのであった。私はその亡骸を鄭重に半紙にに包んで塵箱の中にそっと置いたのであった。それ以来、私は昆虫もまた小さな小さな脳で思考する生き物と看做したのである。一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったものである。



さて、ところであの死の間際の巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭を現時点で私なりに解釈を試みると、私に対する自慢、恍惚、憤怒、清澄等等が一緒くたになった言葉無き昆虫の《思考》の形と看做せなくもないのである。実際のところ、私自身が死ぬ間際にならないと本当のところは解らないが、さてさて、あのゴキブリはしかしながら見事に私の脳裡に巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭を刻印して、その存在の証を残すことに成功したのであったが、私はそれに多少なりとも羨望してゐるのは間違ひない……。


2007 11/12 06:31:59 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――鎮静剤か……。



成程、雪の言ふ通り《死に至る病》に魅入られた私には《生》に帰属する為に一方で煙草といふ《毒》を喫んで《死》を心行くまで満喫する振りをしながらも私の内部に眠ってゐる臆病者の《私》を無理矢理にでも揺り起こし、煙草を喫む度に《死》へと一歩近づくと思ふ事で《私》が今生きてゐるといふ実感に直結してしまふこの倒錯した或る種の快感――これは自分でも苦笑するしかない私の悪癖なのだ――が途端に不快に変はるその瞬間の虚を衝いて、私は一瞬にして《死》に臆する《私》に変容するのかもしれない。さうして《死》を止揚して遮二無二《生》にしがみつく臆病者の《私》は煙草を喫むといふ事に対する悲哀をも煙草の煙と共に喫み込み、内心で



――くっくっくっ。



と苦笑しながらこの《死》をこよなく愛しながらも《生》にしがみつく臆病者の《私》をせせら笑ひ侮蔑することで《生》に留まる《私》を許し、やっとの事で私はその《私》を許容してゐるのかもしれないのだ。



――鎮静剤……。



これは多分、私が《私》を受け入れる為の不愉快極まりない《苦痛》を鎮静する《麻酔薬》なのだ。《死》へ近づきつつ《死》を意識しながら、やっとの事で《生》を実感できるこの既に全身が《麻痺》してしまってゐる馬鹿者である私には自虐が快楽なのかもしれない。ふっ、自身を蔑み罵ることでしか《吾》を発見出来ない私って、ねえ、君、或る種、能天気な馬鹿者で



――勝手にしろ!



と面罵したくなるどう仕様もない生き物だろ。へっへっへっ。何しろ私の究極の目標は自意識の壊死、つまりは《私》の徹底的なる破壊、それに尽きるのさ。そこで



――甘ったれるな! ちゃんと生きてもいないくせに!



といふ君の罵倒が聞こえるが……、そこでだ、君に質問するよ。



――ちゃんと生きるってどういふ事だい?



後々解ると思ふが私は普通の会社員の一生分の《労働》は既に働いたぜ。ふっ、その所為で今は死を待つのみの身に堕してしまったが……。それでもちゃんと生きるといふ事は解らず仕舞ひだ。そもそも私には他の生物を食料として殺戮し、それを喰らひながら生を保つだけの《価値》があったのだらうか。私の結論を先に言ふとその《価値》は徹頭徹尾私には無いといふことに尽きるね。



――人身御供。



私の望みは私が生きる為に絶命し私に喰はれた生き物たち全てに対しての生贄としての人身御供なのかもしれないと今感じてゐるよ。



ねえ、君。君は胸を張って



――俺はちゃんと生きてゐる!



と言へるかい? もしも



――俺はちゃんと生きてゐる!



と、胸を張って言へる能天気な御仁が此の世に存在してゐるならば、その御仁に会ってみたいものだ。そして、その御仁に



――大馬鹿者が!



と罵倒する権利がある人生を私は送ったつもりだが……、これは虚しいことだね、君。もう止すよ。






――ふう〜う。



と、また私は煙草を喫み煙を吐き出しながら、何とも悲哀に満ちた《生》を謳歌するのであった。



――ふう〜う。



(以降に続く)


2007 11/11 03:19:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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※ 註 太虚(〈広辞苑より〉【たいきょ】:?おおぞら。虚空。?宋の張載の根本思想。窮極なく、形なく、感覚のない万物の根源、即ち宇宙の本体または気の本体。)
















激烈で豪放磊落なる稲妻の閃光を何度も地に落とし轟音で地上を震はせた末にやっと巨大な雷雲が去り往く其の時、吾は南の太虚を見上げし。其処には未だ黒雲が地を舐めるが如くに垂れ籠め、北へ向かって足早に流れし。其の様、将に太虚が濁流の如き凄まじきものなり。巨大な大蛇の如くとぐろを巻く其の濁流が如き上昇気流は地に近い程流れ行く其の速度は遅くなりし故、一塊の山の如し黒雲が其の気流より取り残され、更に其の黒雲の一部が千切れ、そして、それが取り残され、其の場に留まりし。あな、不思議なりや。其の取り残されし黒雲、見る見るうちに半跏思惟像の菩薩に変容せしなり。すると


――悔い改めよ、悔い改めよ。


と其の菩薩が説法せし声が吾に聞こえるなり。


――すは。


其の黒雲の菩薩、忽然と吾に向かって動き出しや。


――悔い改めよ、悔い改めよ。


其の黒雲の菩薩、凄まじき速度で吾の上空を駆け抜けるなり。と、突然、辺りは漆黒の闇に包まれ、吾もまた其の闇に溶けしか。其処では既に自他の堺無く、唯、漆黒の闇在るのみ。


――あな、畏ろしき、畏ろしき。


吾、瞼を閉ぢ、只管に祈りしのみ。


――吾を許し給へ。吾、唯の凡夫なり。吾が生きし事自体罪ありと日々懺悔セリなり。あな、吾を許し給へ。


――莫迦め。はっはっはっ。


と、其の刹那、一陣の風が吹きしか、吾の頬を慈悲深く温かき御手が優しく優しく撫でし感覚が体躯全体に駆け巡るなり。そして、閉ぢし瞼の杳として底知れぬ闇に後光が射す幻影を覚え、遂にその後光、佛顔に変はりし上は、吾、既に不覚にも卒倒せしやもしれぬ。




さうして、漸くにして吾、瞼をゆるりと開けるなり。太虚を見上げると、既に雲は晴れ上がり半月の月光が南中より吾に射せり。


さて、太虚、吾の頬を撫でしや。さてもしや、吾、夢の中にて彷徨ひしか……。


2007 11/05 08:59:45 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は一本目の煙草を喫めるだけ喫めるぎりぎりまでしみったらしく喫むと間髪を置かず二本目を取り出し一本目の燃えさしで二本目に火を点け、身体全体に煙草の煙が行き渡るやうに深々と一服したのであった。雪は私のその仕種を見ながら


――うふ、あなたは本物のNicotine(ニコチン)中毒ね、うふ。


と微笑みながら私が銜へた煙草の火の強弱の変化と私の表情を凝視めるのであった。そんな雪を何とも愛おしく思ひながら私は私で雪に微笑み返すのであった。勿論、この時の煙草は格別美味かったのは申すまでもない。


――ねえ、あなたをこれまで生かして来たのはその煙草と、それと、うふ、お酒ね。それも日本酒ね、うふ。


と正に正鵠を射たことを雪が言ったので私は更に微笑んで軽く頷いたのである。


――ふう〜う。


とまた一服する。すると私に生気が宿る不思議な快感が私の身体全体に走る。と、また


――ふう〜う。


と一服する。その私の様が雪には可笑しくて仕様がないらしく


――うふうふうふ。


と私を見ながら飛び切りの笑顔を見せるのであった。すると、雪は偶然にも


――煙草とお酒があなたの鎮静剤なのね。


と言ったのであった。




ねえ、君。君は「鎮静剤」といふ詩を知ってゐるかな。高田渡も歌ってゐるがね。




  「鎮静剤」


 マリー・ローランサン




 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。




 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。




 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。




 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。




 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。




 よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。




 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。




 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。






 訳:堀口大學


 詩集「月下の一群」より










といふ詩なんだが。自分で言ふのもなんだが、私にぴったりの詩だね。堀口大學の訳詩の《女》を《私》に換へると、へっ、私自身の事だぜ、へっ――。


(以降に続く)


2007 11/04 09:14:17 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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