思索に耽る苦行の軌跡

2008年 02月 の記事 (8件)

真夜中、電灯を消したまま悠然と煙草を吹かしてゐし時、何者かが



――ぷふいっ。



と咳(しはぶ)く音がせし。



余はそれでも悠然と煙草を吹かすなり。



――ぷふいっ、ぷふぃっ。



――何者ぞ! 



と余は問ひしが沈黙あるのみ。余はそれしきの事には御構ひなしに再び煙草を悠然と吹かすなり。唯この部屋の中では煙草の先端の橙色の明かりのみが明滅するなり。すると、忽然と



――わっはっはっ。汝何者ぞ! 



と問ひし声が響き渡りし。



――何者ぞ! 



と余は再び問ふなり。しかし、この部屋には唯沈黙あるのみ。余は眼前に拡がりし闇を唯凝視するばかりなり。本棚の本等の《もの》は皆全て息を潜め闇の中に蹲るなり。



余は再び問ふ。



――何者ぞ! 其は何者ぞ! 



辺りは矢張り沈黙が支配するのみ。余は無意識に煙草の灰を灰皿にぽんと叩き落とし、その様をぼんやりと見し。すると、ぽっと灰皿が煙草の火で照らし出されし。



――ぷふぃっ。



と再び何者かが咳きし。今度ばかりは余はその咳きには知らんぷりを決め込み、悠然と煙草を吹かすなり。



余の眼には煙草を吸ひ込みし時に煙草の火がぽっと火照ったその残像がうらうらと視界で明滅するなり。余はゆっくりと瞼を閉ぢし。そして、ゆっくりと瞼を開け煙草の火をじっと見し。煙草を挟みし手をゆらりと動かすと、煙草の火は箒星の如く尾を引き闇の中を移動するなり。その橙色の箒星の残像は美しきものなり。その様はAurora(オーロラ)を見るが如くなり。余はその美しさに誘はれて何度も何度も眼前で煙草の火をゆらりゆらりと動かすなり。何処なりとも





(道元著「正法眼蔵」より)





「時節若至(じせつにゃくし)」の道を、古今のやから往々におもはく、仏性の現前する時節の向後(きやうこう)にあらんずるをまつなりとおもへり。かくのごとく修行しゆくところに、自然(じねん)に仏性現前の時節にあふ。時節にいたらざれば、参師問法するにも、辧道功夫するにも、現前せずといふ。恁麼見取(いんもけんしゆ)して、いたずらに紅塵(こうぢん)にかへり、むなしく雲漢をまぼる。かくのごとくのたぐひ、おそらくは天然外道の流類なり。





※註 道……ことば  恁麼見取して……このやうに考へて  紅塵……世俗の生活  雲漢……天の川  まぼる……見つめる





と、何者かが読誦する声が部屋中に響き渡りし。その見下しきが幽玄たる様この上なし。この部屋を蔽ひし闇は煙草の先端の火に集まりしか。不意に闇が揺らめき出した気がし、余は恥ずかしながら僅かばかり不安になりし。



――ぷふいっ。



――其は何者ぞ! 



――ぷふぃっ、汝の影なり。



――余の影? 馬鹿を申せ! 



再びこの部屋は沈黙と闇とが支配するなり。余の視界には煙草の火の残像がほの白く明滅するなり。



――闇中に影ありしや。



と余は問ひし。



――ぷふぃっ、この闇全て吾なり。汝は吾の腹の中ぞ。わっはっはっ。



――これは異なことを申す。影は余に従ふものぞ。



――このうつけ者! 汝が吾が影に従ふ下等な《存在》なり。ぶぁはっはっはっ。



――余が影の従属物? そもそも吾とは何ぞや。



余は何か鈍器で頭をぶん殴られた心地するなり。光無ければ、余は影の腹の中にゐしか。くっ。



――それぞそれ。その屈辱が汝を汝たらしめるなり。



嘲笑ってゐやがりし。影は余を見て嘲笑ってゐるなり。これが屈辱? 馬鹿らしき。だが、しかし、余はこの闇に包まれし部屋でじっとする外なし。



――ぷふぃっ、悩め、悩め! それが汝に相応しき姿なり。



――くっ。



余は歯軋りせしが、この屈辱は認める外なし。



――くっ。光無くても闇はありきか、くっ。



唯闇の中に煙草の火が仄かに輝きし。

























































































2008 02/25 04:35:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

――もしかすると……物体が存在するとその内部に特異点が隠されているのかも知れぬ……特異点を覆ひ包む形でしか《もの》皆全て存在出来ないとしたなら……因果律も自同律も絶えず破綻の危機に瀕してゐるのかもしれぬ……自同律の不快……これは《存在》の罠でもあり…《存在》を《存在》たらしめてゐる秘儀なのかも知れぬ……すると……中有へ出立した《死者》は自身を徹底的に……ふっ……それは底無しに違ひないが……弾劾する宿命を負ってゐるに違ひない……弾劾に弾劾を重ねた末に残った自身の残滓を更に鞭打って弾劾する宿命……此の世に《存在》してしまった《もの》全てが負ってゐるこの宿命を貫徹した《もの》のみ……未だ未出現の《存在》に出現を促す権利……其処に《魂》若しくは《精神》のRelay(リレー)が辛ふじて辛ふじて行はれるか? ……ふっ……《魂》若しくは《精神》のRelayは……しかし……必ず行はなければならぬのかもしれぬ……此の世にひと度《存在》してしまった《もの》は……先達の《魂》若しくは《精神》を受け取った上で辛ふじて……《存在》に堪へられるのかもしれぬ……未知なる《もの》への変容……此の世に存在してしまった《もの》は《死》を受容し……未来に出現する《もの》へその席を譲る……其処に因縁は生じるのか? ……《死》によって因果律は破綻するのか? ……しかし……破綻した因縁は再び別の此の世に出現してしまった《もの》に託されるのか? さうだとして……ふっ……不連続の連続性……矛盾は《存在》した《もの》には必然のものだが……矛盾を抱へ込まざるを得ない《存在》してしまった《もの》は……しかし……自己を責め苛むことで……もしかすると馬鹿げた自己慰撫をしてゐるだけかもしれぬではないか……自同律の不快と言ひながら実際のところ其処でこの上ない自己愛撫といふ悦楽を味はってゐるのかもしれぬ……自虐が快楽へと変容してしまったならば……最早その自己内部に引き籠って外界に一歩たりとも出ない……自己憎悪が最高の自慰行為……か……



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



――彼の人も今中有で自己に対して弾劾に弾劾を重ねて倒錯した至高の悦楽の境地にゐるのか……この悦楽はまた……地獄の責苦に等しいか……極限……苦悩と快楽の堺に……《死者》は辛ふじて立し……其処で杳として知れぬ漠たる自身といふ茫洋なる面と全的に対峙するか……自身が自身によって滅び尽くされる懊悩を味はひ尽くす以外……《私》は《私》を脱皮出来ぬかもしれぬ……《私》以外の何かへの変容……幽冥への出立……は……《私》が《私》であってはならぬのか……解脱……か……《死》してのみ《私》が《私》を超克するこの《存在》め! ……《存在》よ……呪はれるがよい! ……へっ……へっへっへっ……《私》が《私》を呪縛だけじゃないか……だが……しかし……《存在》する《もの》……この《私》から遁れられぬ! 



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



――それでも……《私》は《私》を超克しようともがき続ける……しか……ない……へっ……何とも不自由極まりない! ……そして《死》からも逃れられぬ……《存在》とは何と呪はれた《存在》なのだ! へっ! と自身の《存在》を嘲笑ったところで矢張り《私》は《存在》する……くっくっくっ……そもそも《私》は《私》であることを望んでゐるのか? ……《私》……この面妖なる《もの》……ちぇっ……心臓は相変はらず鼓動してゐるぜ! 



……ふむ……常に伸縮せずにはゐられぬ……否……鼓動するように命ぜられてゐるこの心臓は……真の自身を知ってゐるのか……へっ……真の自身て何だ? まあよい……しかし絶えずその姿を変容させるこの心臓は……その鼓動を停止した時に初めて己の何たるかを知るのか……それまでは絶えざる変容を強要される……哀れなる哉……吾が心の臓! ……動くことがそもそも《私》を《私》ならざる《もの》へと動かす原動力ではないか……若しくは時が移ろふことがそもそも《私》を《私》ならざる《もの》へと誘ふ魔手なのではないか……ちぇっ……下らぬ……そもそも《私》が《私》と呼んでゐる《もの》は《私》にはなり得るか……《私》は無数の異形の《私》の《存在》を前にして《私》に戸惑ふ……か……《私》の異形は無数に《存在》しやがる……けっけっけつ……例へばこの《私》が意識すればたちどころに全て実現する魔法を手にしたとして……満ち足りるのは最初の一瞬だけに決まってる……寝てゐるだけで全てが実現してしまふ世界なんぞ直に飽き飽きするに決まってゐる……謂はば《私》は《脳体》へと変容してしまふのさ……それは植物状態の人間と何も変はらぬ……すると《私》は《私》の《存在》を滅することを願ひたちどころに此の世から消える……意識の窮極の願ひは自ら滅することに行き着くのが道理さ……しかし……《脳体》は《存在》か……



(以降に続く)















2008 02/24 03:46:19 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

パスカル著「パンセ」(筑摩書房:世界文学全集11〜モンテーニュ/パスカル集:)より





五七一



 なぜ象徴かという理由。――



(略)



 かくして、敵という語は最後の目的いかんにかかっているので、義人はそれを自分たちの情欲と解したが、肉的な人々はそれをバビロニア人と解した。それゆえ、これらの語は不義な人々にとってのみ曖昧であった。イザヤが「律法をわが選びたる者のうちに封印すべし」と言い、また、イエス・キリストのことを躓きの石となるであろうと言ったのは、このことである。しかし、「彼に躓かぬ者は幸いなり。」ホセアはそのことを完全に言いあらわしている。「誰か知恵ある者ぞ? その人はわが言うことをさとらん。義人はそれをさとらん。神の道は正しければなり。されど悪しき者はそれに躓かん。」





人間といふ生き物は、其処に躓きさうな石があるのを知りながら敢へてその石に躓く生き物のやうな気がする。二足歩行を選び取った生き物である以上、人間といふ生き物は、何度も何度も石に躓かなければならぬ宿命を生きるやうに定められてしまったのであらうか。人はそれを修行等と呼んで人間たる者斯くあるべしといふやうに自ら追ひ込む不思議な生き物のやうに思へるのだ。勿論、そんな石は御免蒙ると言って避けて通り過ぎる利巧な輩が殆どであるが、何百人に一人かの割合で必ず敢へて石に躓き其処で立ち止まり呻吟しながらも何とか一歩の歩を進める者が存在する。先づ初めにして終りの躓きの石でもあるのが《私》なる奇奇怪怪な存在である。





パンセより



四七六



神のみを愛し、自己のみを憎むべきである。



 もし足が、自分の身体の一部であり、自分に依存している一つの身体がある、ということをつねに知らずにおり、自己認識と自己愛だけしか持たなかったとして、ひとたび、自分が身体の一部であり、それに依存していることを、知ったならば、その足は、自分の過ぎ去った生活について、また、自分に生命を吹きこんでくれた身体に対して何の役にも立たなかったことについて、いかばかり後悔し、恥ずかしく思うことであろう! 足が身体から離れた場合もそうだが、身体が足を棄て、足を切り離したならば、足は死滅したことであろう! 身体につらなったままでいることを、足はどんなにか祈ることであろう! 身体を律している意志の支配に、いかに従順に足は自己をゆだねることであろう! やむをえない場合には、自分が切断されることにも同意するにいたるであろう! そうでないならば、足は肢体の資格を失うことになるであろう! なぜなら、すべての肢体は、全体のためにあえて滅びることをも欲しなければならないからであり、全体こそすべての肢体がそのために存在する唯一のものであるからである。





《私》は必ず自己憎悪といふ針の筵に座らされる。其処で幾ら苦悶の呻き声を上げようが《私》は《私》から遁れられない。人間とは何と哀れな生き物であらうか……。



――許して下さい。



と《私》に訴へたところで《私》は嘲笑ふのみである。《私》が《存在》してしまった以上、《私》は《私》であることを強ひられるのだ。



――そこで《神》に救ひを求める? 



それも一つの方法であらうが、それでも矢張り針の筵は遁れられない、と思ふ。



――それでも許し給へ。



さう訴へたところで《私》は斯くの如く嘲笑ふのみである。



――へっ、この底無しの深淵の中でもがき苦しみ、それでも自滅せずに生き残るには、《汝自身を知れ》あるのみ、だ! 生き残れ、何が何でも生き残れ、この下衆野郎めが、はっ! 

















































2008 02/18 02:50:20 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

歩道は会社帰りの人や学生等で大分混雑してゐたが、私と雪は肩を並べてその人いきれの人波に流されるままに歩き始めたのであった。しかし、伏目で歩く外なかった私はそれらの雑踏の足しか見なかったのである。雪も何か考へ込んでゐるやうで暫くは黙ってゐた。と、不意に再び光雲が私の視界に飛び込んで来たのであった。その光雲もまた私の視界の周縁を時計回りにぐるりと一回りすると、不意に消えたのであった。と、その刹那、私の視界の中の赤の他人の彼の人は、それまでばっくりと開けてゐた大口を閉ぢ、その面を彼方の方へくるりと向け、彼の人はゆっくりとゆっくりと旋回しながら虚空の何処かへ飛翔を始めたのである。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人は相変はらず声ならざる音を唸り上げてゐた。



――《生者》と《死者》と《光》といふ跳躍台か……。



私の思考は出口無き袋小路にま迷ひ込んでゐた。



――《存在》とは《生者》ばかりの《もの》ではなく……《死者》もまた《存在》する……か……さて……《生者》から《死者》へと三途の川を渡った《もの》は……さて……中有で苦悶しながら《死者》の頭蓋内の闇で《生》の時代が走馬燈の如く何度も何度も駆け巡る中……さて……《死者》は自ら《生者》であった頃の《吾》を弾劾するのであらうか……ふっ……《光》といふ彼の世への跳躍台に……さて……《死者》の何割が乗れるのであらうか……《死者》もまた《人間》であった以上……それは必ず《吾》によって弾劾される人生を送った筈だ……ふっ……ふっふっふっ……《人間》は全知全能の《神》ではないのだから……《吾》は必ず《吾》に弾劾される筈だ……しかし……《死者》の頭蓋内の闇が……《死者》にとって既に《光》の世界に……つまり……《闇即ち光》と……《生者》が闇に見えるものが《光》と認識される以外に《死者》にとって術がないとすると……ちぇっ……そもそも《光》とは何なのだ! 



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



私は私の視界に張り付いた彼の人を凝視するばかりであった。最早私の自意識から《意識》が千切れて苦悶の末に私の意識が《眼球体》となることはなかったが、私は彼の人の顔貌をじっと凝視しては



――貴様は既に光か! 



と、詰問を投げ掛けるのであった。



――《死者》が既に《光》の世界の住人ならばだ……地獄もまた《光》の世界なのか……《光》にも陰陽があって陰は地獄……陽は浄土なのか……ふっ……さうなら……ちぇっ、そもそも《光》が進むとは自由落下と同じ事なのか……さうすると……自由落下を飛翔と感じるか……奈落への落下と感じるかは本人の意識次第じゃないか……《吾》が《吾》を弾劾して……ふっ……後は閻魔大王に身を委ねるのみ……馬鹿らしい……《吾》は徹頭徹尾《吾》によって弾劾し尽くされなければならぬ! ……さて……光速度が今のところ有限であるといふことは……此の世……即ち此の宇宙が有限の《閉ぢた》宇宙であることのなによりの証左ではないのか……現在考へられてゐる此の膨脹宇宙が無限大に向かって膨脹してゐるとすると……光速度も……もしかすると定数なんぞではなく無限大の速度に向かって加速してゐるのかもしれないじゃないか……特異点……例へば一割る零は無限大に向かって発散する……またBlack hole(ブラックホール)の中には特異点が存在する……さうか! この宇宙にblack holeが蒸発せずに存在する限りに措いてのみ《光》は存在するのではないか……特異点では因果律は破綻する……ふむ……此の天の川銀河の中心にあるといはれてゐる巨大black hole……吾吾生物はこの因果律が破綻してゐる特異点の周縁にへばり付いて漸く漸く辛ふじて《存在》する……つまり際どい因果律の下に《存在》する……ふむ……はてもしかすると特異点若しくはblack holeが存在する限りに措いてしか吾吾も存在しない……つまり特異点とは《神》の異名ではないのか! 



(以降に続く)

























2008 02/17 03:10:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

――もしや、地震? 



と私は眠りから覚醒した刹那、頭蓋内でさう呟いた。自身が顫動してゐる私を私は覚醒と同時に認識したのである。しかしながらちょこっと開けた瞼の裂け目から覗く外界はぴくりとも揺れてゐる様子は無く、間違いなく自身が顫動してゐると感じてゐる私の感覚は錯覚に違ひなかったのである。



――これが……錯覚? 



それは不思議な感覚であった。自身が高周期で振動する振動子になったかの如き感覚で、それは心臓の鼓動による振動とは全く違った顫動であった。敢へてその感覚を名状すれば、差し詰め私自身が此の世の本源たるモナドの如き振動子として《存在》の根源、否、毒虫となったカフカの「変身」の主人公、ザムザの足掻きにも似た自身の焦燥感に打ち震へた末に自身に自身が打ちのめされて泡を吹き脳震盪を起こして卒倒してぶるぶると震へてゐるやうな、若しくは私が決して触れてはいけないカント曰く《物自体》に触れてしまってその恐ろしさにずぶ濡れの子犬がぶるぶると震へるやうにその恐怖に唯唯慄く自身を、一方でしっかりしろと自身を揺すって覚醒させやうともがいてゐる私自身による震へといったやうな、或いは殺虫剤を吹き掛けられて神経系統が麻痺し仰向けに引っ繰り返って翅をぶんぶんとか弱く打ち震はせてゐる蠅のやうな、兎に角、尋常ならざる状態に私が置かれてゐるのは間違ひなかったのかもしれなかったが、それは未だに定かではない。といふのも、その日以来、特に新月と満月の日とその前後に自身が顫動してゐる錯覚が度度起きるやうになってしまったのだが、病院での精密検査の結果は異状なしであったからである。



それは兎も角、例へばその顫動が私の体躯と意識、若しくは体躯と魂との微妙なずれによって返って私の自意識若しくは魂が私の体躯に無理やりしがみ付くことで起こる異常な意識の振動だとすれば、私は新月と満月とその前後の日にすうっと《死》へ意識の足を踏み入れてしまってゐたのかもしれなかった。或いはそれはもしかすると私の意識若しくは魂が幽体離脱しようとしながらもそれが果たせず私の体躯に縛り付けられもがいてゐる無様な自意識の様なのかもしれなかった。兎に角、私に何か異常な現象が起こってゐるとしか思へぬほど私が顫動してゐる自身を私は確かに確実に認識してゐたのは間違ひなかった。それは錯覚などではない、と私は確信したのである。



私はその顫動を取り敢へず我慢する外なかった。この船頭は、さて、如何したことであらう。一瞬だが私が一気に膨らみ巨大な巨大な巨大な何かに変容したやうな或る不思議な感覚に捉はれるのであった。と思ふ間もなく私は一瞬にして萎み小さな小さな小さな何かにこれまた変容したやうな不思議な感覚に捉はれるのであった。何としたことか! この《私》といふ感覚が一瞬にして急変する事態に私は戸惑ひながらも心の何処かで楽しんでゐた。この極大と極小の間(あはひ)を味はふ不思議。最早《私》は《私》ではなく、とは言へ、結局のところ《私》から遁れられない《私》にちぇっと舌打ちしながらもこの不思議な感覚に身を任せる快感の中にゐることは、敢へて言へば苦痛が快感に変はるSadismMasochismにも似た倒錯した自同律の快楽と言ふ外なかったのであった。しかしながらこの悦楽は危険であると《私》は本能的に感じてゐたのも間違ひなく、その日は私は徐に蒲団から起き上がり立ち上がったのであったが、哀れ、私はそのまま気を失って卒倒してしまったのである。多分、私が気を失ってゐたのは一、二分のことだらうが、しかし、目の前が真っ白な状態から真っ暗な状態へとゆっくりと移ろひゆくその卒倒してゐた時間は私には一時間ほどにも感じられたのであった……。



――見つけたぞ。奴を捕まえた。



さう思った刹那、私は顫動する私を見出し私に気が付いてしまったのである。



――泡沫の夢か……。



一瞬だが私は《私》以外の何かに変貌した自身を仄かに感じたのであった……。そして、後に残ったものと言へば敗北感しかなかったのである……。





















2008 02/11 02:41:13 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として存在する外ないんじゃないかしら……。じゃないと《時間》は移ろはないんじゃない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう? 



雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる公孫樹の葉葉に目をやりながら訊ねたのであった。私は仄かに微笑んで



*******ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従ってゐるんじゃないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋になってゐるんじゃないかと思ふんだけれども……、どう思ふ? 



雪は風に揺らめく公孫樹の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら



――さうね……、あなたの言ふ通り《光》が此の世の限界速度だとしたならば……、うふっ、《光》はもしかすると死者達の彼の世へ出立する為の跳躍台なのかもね、うふっ。



公孫樹の葉葉から零れる月光の斑な明かりが雪の面に奇妙に美しい不思議な陰影を与へて雪の面で揺れてゐた。



*******彼の世への跳躍台? ねえ、君、つまり、それは面白い。つまり、此の世の物理法則に従ふならば、つまり、《光》を跳躍台にして死者が彼の世へ跳躍しても相対論に従へば光速度であることには変はりがない……ふむ。



と、私は思案に耽り始めたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



ゆっくりとゆっくりと時計回りに彼の人は渦巻きながらも面は私に向けたまま私の視界の中で相も変はらず仄かに明滅してゐたのであった。この視界に張り付いた彼の人もまた、《光》を跳躍台にして彼の世へ出立したのだらうか……。不意に月光の明かりが見たくなって私は頭を擡げ満月に見入ったのであった。この月光も彼の世への跳躍台なのか……等等うつらうつらと考へながら私はゆっくりと瞼を閉ぢて暫く黙想に耽ったのであった。



――ふう〜う。



その時間は私と雪との間には互ひに煙草を喫む息の音がするのみで、互ひに《生》と《死》について黙想してゐるのが以心伝心で解り合ふ不思議な沈黙の時間が流れるばかりであった。



――ふう〜う。ねえ、もう行かなきゃ駄目じゃないの? 



と、雪が二人の間に流れてゐた心地良い沈黙を破ってさう私に訪ねたのであった。私はゆっくりと瞼を開けてこくりと頷くとMemo帳を閉ぢ、煙草を最後に一喫みした後、携帯灰皿に煙草をぽいっと投げいれ徐に歩を進めたのであった。



――もう、待って。



と、雪は小走りに私の右側に肩を並べそっと私の右手首を軽く握ったのであった。私は当然の事、伏目で歩きながらも、しかし、《生》と《死》、そして《光》といふ彼の世への跳躍台といふ観念に捉へられたまま思考の堂々巡りを始めてしまってゐたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)





































2008 02/10 02:37:51 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

物心ついた時にはまだ電化製品が物珍しかったが、何時の頃かは解らぬが、今では電化製品に埋もれた生活を送るやうになってしまったことに、私は、常々胸の痛む悲哀を電化製品に感じながら生活してゐる。それでも、私が所有する電化製品は必要最小限度で、なるべくなら所持しないやうに気を使って生活してゐるのである。それといふのも電化製品は切ないのである。何故と言って『人間に《もの》を奴隷として使用する権利があるのか』といふ疑問が何時も私の頭の片隅を過るのである。



――さて、人間とはそれ程に特別な生き物なのか。



電化製品もまだ分解可能な程度の時代であればその《もの》に愛着といふものが湧いたのであるが、今の電化製品は最早分解不可能で愛着なるものが微塵も湧かないのである。これは困ったことで、私は《もの》を消耗品としてはどうしても看做せないので、それ故電化製品は私にとって切ないのである。それでも私は大の音楽好きなので音響機器に関しては愛おしい愛着を持って接してはゐるが、しかし、それも故障してしまへばもうお仕舞ひである。修理するよりも新品を買った方が、結局のところ経済的なのである。私は何時も電化製品が故障してお釈迦になってしまった時は心苦しくもそれを廃棄するのである。これは物凄く切ない行為でどうにかならないかと途方に暮れるが今のところどうにもならないので残念至極である。映像に関しては故・タルコフスキー監督の映画等特別なものを除くと殆ど興味がないのでTelevisionは埃を被って抛ったまま使はず仕舞ひである。



そもそも、この私の電化製品等、《もの》に対するこの名状し難い感覚は何処から来るのかといへば、それは《脳》無き《もの》はそもそもから人間がその特性を見出し奴隷として使ふことに何の躊躇ひがないことに対する抵抗感にある。現状では電化製品を始めとする多くの《もの》が人間の奴隷である。



私の嗜好は手先の延長上の《もの》、例へば手製の道具類等には愛着が湧くが、それ以外は切ないばかりなのである。



嘗ては馬や牛など《脳》あり《意思》ある生き物を何とか馴致し協働で生業を営んでゐたが今は電子機器等の《もの》といふ奴隷が取って代わったので、それが私に嫌悪感を湧き起こすのである。《もの》にもまた《意思》はある筈である。



――何故、《吾》こ奴の為されるがままに作られ機能しなければならぬ? 



等と《もの》が呻いてゐるのが聞こえるやうで、電化製品に埋もれた生活は気色悪いのである。



――何故、人間なる生き物は《吾》にある特性があるのを見出しそれを良いことに《吾》を下僕以下の扱ひをする? 人間も《吾》も同じ《存在物》ではないのか? ぬぬぬ! 人間は何様のつもりなのか! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、人間は《便利》といふ《現実逃避》を喜ぶのだ? 《存在》する事とはそれ自体が《不自由》で《不便》な事ではないのか? 



…………



――人間め! 貴様達も此の世の下僕ではないか! ソクラテスのデルフォイの神託ではないが、人間どもよ、汝自身を知れ! 貴様らが《吾》を奴隷として扱ふ《存在》でないことを知れ! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、《吾》此処にゐなければならぬ? 何故、《吾》こんな形を強ひられなければならぬ? ぬぬぬぬぬ! 































2008 02/04 00:53:15 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と、その時、私の視界に張り付いた彼の人の瞑目した顔は相変はらず私に正面を向けて音ならざる声を唸り上げながら何やら不気味にさへ見える微笑をちらりと浮かべ忽然とその大口を開けたのであった。それにしても死は物全てに平等に訪れるが、さて、例へば視点を変へて速度をベクトルvで表した



5c82cdaff10eace3d9402680f1bb6d69_6


の時間
Δ<em>t</em>の極限値、つまり、零――ねえ、君、この数式は考えやうによっては物凄く《死》を記号で観念化した代物だと思はないかい? へっ――と看做すと《死者》はベクトルΔxといふ∞の速度で動いてゐると看做せるじゃないか。主体が《観測者》といふ《世界=外=存在》とハイデガー風に看做せば物理学とはそもそも《死》の学問じゃないかい? ふっ。さて、そこで《死》も物理法則に従ふならば《死者》はアインシュタインの相対論から此の世のものは《死》も含めて光速度を超へられないとすると《死者》は光速度で動いてゐることになる。……不図思ったのだが∞とは光の光速度の事で《死》の異名なのかもしれない……。そして、へっ、光が美しいものならば《死》もまた美しいものに違ひない。ふっ、私ももう直ぐ光といふ美しい《死》へ旅立つがね、へっ。ちぇっ、まあ、私のことはそれとして、速度を時間で微分すると加速度が出現するが、この私の論法で行くと加速度とは差し詰め《霊魂》の動きを表現したものに違ひない。その時、私の視界に張り付いた彼の人の《魂》も





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と音ならざる声を唸り上げながら彼方此方に彷徨してゐたに違ひない。《死》の学問たる物理学が此の世を巧く表してゐるならば私の視界に張り付いた私と全く赤の他人の彼の人が蛍の如く私の視界内で渦巻きながら明滅してゐたのは物理学的に見て正鵠を射てゐたのだ。つまり、《死者》とその《魂》は《光》に変化(へんげ)した何物かなのだ。つまり、光が電磁波の一種なのだから《死者》とその《魂》は各人固有の波長をもった電磁波の一種なのかもしれない……。まあ、それはそれとして、天地左右の知れぬ何処の方角に向って私の視界に張り付いた彼の人は向かってゐたのかと考えると西方浄土といふ言葉があるから差し詰め《西方》へ向け出立したに違ひないのかもしれない……。さて、重さあるものは相対論より決して光速度には至れないが、《死者》に変化したものは《重さ》から《解脱》して、さて、此の世の物理法則の束縛から逸脱してしまふ何物なのかなのだ。其処で出会うのが多分無限大の∞なのだ。私も直ぐに∞に出会へるぜ……へっ。





…………





――ねえ、この公孫樹も《気》の渦を巻いて私たちを今その渦に巻き込んでゐるのかしら? ふう〜う。





と、雪が私たちが筆談をしてゐた木蔭であるところの公孫樹を撫で擦り煙草を一服しながらまた呟いたのであった。





*******ねえ、つまり、死後も階級は、つまり、存在するのだらうか? 





――ふう〜う。





と、私も煙草を一服しながら雪に訊ねたのであった。





――勿論、極楽浄土といふんだから当然あるでしょう。でも、……彼の世に階級があったとしても彼の世のもの全て自己充足して、それこそ極楽の境地にゐるから……階級なんて考へがそもそも無意味なんじゃないかしら。





*******すると、つまり、《光》は自己充足した、つまり、自身に全きに充足してしまって自己に満ち足りた、つまり、至高の完全に自己同一した、つまり、自同律の快楽の極致に安住する存在なのかな? 





(以降に続く)























































2008 02/03 04:35:22 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー