思索に耽る苦行の軌跡

2008年 12月 の記事 (9件)

――ふむ。それは《反体》を認識するかしないかの違ひに過ぎないのだらうよ。しかし、それは存在に対する存在の姿勢が試される、何とも唯識に近しい世界認識の仕方の一つに過ぎない筈だ。ところが、存在は《存在》に我慢がならぬときてるから始末が悪い。ふっ、影鏡存在もまた影鏡存在に我慢がならぬ……か――。





――ふっ、それを言ふなら《反体》もまた《反体》に我慢がならぬだらう……。





――さて、そこで《反体》は《実体》を渇望してゐるのだらうか? 





――さてね。へっへっ。《反体》に聞いてみるんだな。





――ぶは、《反体》に聞けだと? 《反体》に聞く前に《実体》は《反体》と対消滅するのにかね? 





――答へは《光》のみぞ知る……だ。





――《光》か……。《光》は謎だ! 





――へっ、光陰矢の如しならぬ光陰渦の如しがこの時空間を表はすのにぴったりの言葉さ。





――光と影は渦の如しか……。





と、その時彼の脳裡にはゴッホの「星月夜」がひょいと思ひ浮かんだのであった。そして彼はゆっくりと瞼を開けて前方に無限へと誘ひながら拡がる闇を凝視するのであった。





――渦巻く時空……。





――全ての、つまり森羅万象はカルマン渦の如く此の世に存在する。





――カルマン渦? 





――さう。移ろふ時空の流れの上にぽつねんと出現する時空のカルマン渦……。陰陽が渦巻く処、其処に存在足り得る何かが出現する。





――光といふEnergie(エネルギー)に還元出来る質量を持った物体が影を作るのは陰陽が渦巻いて出現した為か……。





――影ね……。時空のカルマン渦たる《主体》が影を作ることからも《実体》が影鏡存在たることは自明のことさ。





――自己といふ《もの》を闇にしか映せない影鏡存在か……。





――ふっふっふっ。……闇は何もかも映し……そして何にも映さない……此の世の傑作の一つさ。





――闇なくしては光もまた輝かぬからな。





――へっへっ、お前は闇の中で一つの灯りを見つけたならば、その灯り目指して光の下へ馳せ参じるか? 





――ふっふっ。多分、俺は光に背を向け、闇に向かって進む筈さ。





――はっはっはっ。それはいい! じゃなきゃ《反体》なんぞ自棄のやんばちででっち上げる筈もないか、ちぇっ。





――なあ、本当のところ、此の世の《特異点》には《実体》も《反体》も共に存在してゐるのだらうか? 





――ん? 今更如何した? ふっふっふっ。お前は端から《存在》すると看做してゐるじゃないか? 





――ああ、さうさ。俺は此の世の《特異点》には《実体》と《反体》が共存し、そして対消滅しては、再びその対消滅の閃光の中から《実体》と《反体》が出現し、再び対消滅を繰り返す、光眩い世界として《特異点》を思ひ描いてゐることは確かだが、しかし、それは地獄の閃光だ。





――何故地獄の閃光だと? 





――何故って、《実体》と《反体》とは対消滅時に一度《存在》を変質させるんだぜ。





――《存在》を変質させる? 





――つまり、《光》といふ《謎》の何かに《存在》は変質する。





――つまりは《光》は《存在》の未知なる様相だと? 





――だって、《実体》と《反体》とは対消滅するんだぜ。つまり、《光》となって《消滅》するんだぜ。それが《謎》でなくて如何する? 





――へっへっへっ、《謎》ね――。《光》を此岸と彼岸の間を行き交ふ《存在》と看做してゐるお前が、《謎》だと? ぶはっはっはっ。可笑しくて仕様がない! 《光》は此岸と彼岸を繋ぐ架け橋だと、否、接着剤だとはっきり言明すればいいではないか、ちぇっ。





――……なあ……それ以前に《意識》や《思念》や《想念》や《思考》とか呼ばれてゐるものは電磁波の一種、つまり、《光》の一種なのであらうか? お前は如何考へる? 





――……ふむ。……それは《主体》が如何思ふかによって決定するんじゃないか? つまり、《意識》や《思念》等は《主体》次第で何とでもその様相を変へる変幻自在な何かさ。





と、そこで彼は再びゆっくりと瞑目しては物思ひに耽るのであった。





(十三の篇終はり)







2008 12/29 03:04:00 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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 それは近所の神社の境内で罐蹴りか、或ひはかくれんぼをしてゐた最中に不意に高床の社の床下に隠れやうとした刹那に見つけてしまった筈である。それが薄羽蜉蝣(うすばかげろふ)の幼虫である蟻地獄と名付けられたものの在処であったことは、家に帰って昆虫図鑑で調べるまでは解からなかった筈なのに、幼少の私はその擂鉢(すりばち)状をしたその形状を一瞥しただけで一辺に惚れ込んだ、つまり首ったけになったのは間違ひないことであった筈である。其処には、丁度雨が降りかかるか降りかからぬかの際どい境界の辺りに密集して、擂鉢状の小さな小さな小さな穴凹が天に向かって口を開けて並んでゐたのであった。さて、さうなったなら罐蹴りかかくれんぼかは判然としないが、どちらにせよ、そんなものはそっちのけで未知なる蟻地獄を調べることに夢中になったのは当然の成り行きであった筈である。それは、多分、こんな風に事が運んだ筈である。先づ、擂鉢状の蟻地獄をちょこっと壊してみるのである。さうして、そのままちょこっと壊れた蟻地獄をじっと凝視したままでゐながら己でははっきりとは解からぬが何かが現はれるのを仄かに期待してゐる自分に酔ふ如くにそのまま凝視してゐると、案の定、其処は未知なる生き物の棲み処で小さな小さな小さな擂鉢状の穴凹の底の乾いた土がもそっと動いたかと思ふと、直ぐ様餌が蟻地獄に落ちたと勘違ひしてか、蟻地獄の主たる薄羽蜉蝣の幼虫が頭部で土を跳ね上げる姿を幽かに見せて、暫くするとそのちょこっと壊れた蟻地獄を巧みにまた擂鉢状に修復する有様を目の当たりにした筈である。幼少の私は、思ひもよらずか、或ひは大いなる期待を抱いてかは如何でもよいことではあるが、しかし、その擂鉢状の乾いた土の中から未知なる生き物が出現したのであったから歓喜したのは言ふまでもない。さうなったからには修復されたばかりの擂鉢状をした蟻地獄をまたちょこっと壊さずにはゐられなかった筈である。今度はその小さな小さな小さな擂鉢状をした乾いた土の穴凹に棲む未知なる生き物たる蟻地獄を捕まへる為である。幼少の私は、特に昆虫に関しては毛虫やダニや蚤やゴキブリに至るまで素手で捕まへなくては気が済まない性質であったから、未知なる生き物を捕まへようとしたのは間違ひのないことであった。期待に反せず蟻地獄のその小さな小さな小さな乾いた土の穴凹の底がもそっと動いた刹那、私はがばっと土を掴み取り、その擂鉢状の穴凹に棲んでゐる主を乾いた土の中から掬ひ上げたのであった……。





 それは朽木に巣食ふ白蟻をちょっとばかり膨らませたやうな、或ひは鋏虫(はさみむし)の一種のやうな、或ひはダニの一種のやうな、或ひは蜻蛉(とんぼ)の幼虫であるやごに姿形が似てゐることから蜻蛉の一種の幼虫のやうな、将又(はたまた)私が知らない鍬形虫(くはがたむし)の新種のやうな、兎に角奇妙でゐて底知れぬ魅力に富んだ姿形をしたその生き物が乾いた土の中から蟻やダンゴ虫等の虫の死骸と共に現はれたのである。





――何だこれは? 





 未知の生き物との遭遇は何時も胸躍る瞬間である。唯、幼少の私はその毛虫の如き、或ひは、天道虫(てんとうむし)の幼虫のやうな、将又蜻蛉の幼虫たるやごにも似たその姿形を見た刹那、蛾の仲間か、或ひは蜻蛉か、或ひは天道虫や甲虫(かぶとむし)や鍬形虫と同じやうに、何かの昆虫の幼虫であることは直感的に見抜いた筈である。





――何だこれは? 





 掌中に残った土に姿を隠さうと本能的にもそもそと後じさりするその未知の虫の未知の幼虫をまじまじと凝視しながら何度も私は心の中で驚嘆の声を上げた筈である。





――何だこれは? 





と。次に私は、多分、恐る恐るその小さな未知の生物を触ったに違ひない。そしてそれは思ひの外ちょこっとばかり柔らかいので再び





――何だこれは? 





と驚嘆の声を心中で上げた筈である。さうして私はその未知の生き物を眺めに眺めた末に元の乾いた土の上にその未知なる生物を置き、将又まじまじとその未知なる生き物の所作を観察した筈である。その未知なる生き物はあれよと言ふ間に土の中に潜り、小一時間程そのまま眺め続けてゐるとその生き物が平面の平らな乾いた土を擂鉢状に鋏状になった頭部で跳ね上げながら巧みに作り上げる様を飽くことなく眺め続けた筈である。それにしても幼児とは残酷極まりない生き物である。知らぬといへ、蟻地獄の餌である蟻等の地を這ふ昆虫がその小さな小さな小さな擂鉢状の乾いた土の穴凹に落ちることは蟻地獄にとって正に僥倖に違ひなく、蟻地獄とは何時も餓死と隣り合はせに生きる生き物であったので、蟻地獄の巣が少しでも壊れると温存しておかなければならぬ体力を消耗してまで蟻地獄は土を跳ね上げて餌を穴凹の底に落としにかかる労役に違ひない体力を消耗することを敢へてするにも拘はらず、幼少の私は、やっと出来上がったばかりの擂鉢状のその小さな小さな小さな蟻地獄の巣を再びちょこっと壊しては、再度餌が蟻地獄に落ちたと勘違ひしてその乾いた土の穴凹の底で土を跳ね上げては虚しき労役をした挙句に再び擂鉢状に乾いた土を巧みに作り上げるといふ、幼少の私にはこれ程蠱惑的なものはないと言ったその蟻地獄の一挙手一投足の有様をみては、再びその蟻地獄をちょこっと壊すことを何度となく繰り返しながら、何とも名状し難い喜びを噛み締めてゐた筈である。





 最初に土を掬ひ上げた時の蟻等の昆虫の死骸が蟻地獄の餌であることはその日満足の態で家に帰って昆虫図鑑で調べるまでは解からなかったに違ひない幼少の私は、その時、その周辺に密集してゐた蟻地獄の巣を次から次へと壊しては蟻地獄にその擂鉢状の乾いた土で出来た巣を修復させるといふ《地獄の責め苦》を、知らぬといへ蟻地獄に使役させることに夢中になってゐたのであった……。幼少の私にとっては蟻地獄が土を跳ね上げる様が力強く恰好よかったに相違なく、私はその後も何度も何度も擂鉢状の蟻地獄の巣を壊しては蟻地獄が頭部で乾いた土を跳ね上げる様を見てはきゃっきゃっと心中で歓喜しながら蟻地獄に対して地獄の労役をさせ続けたのであった……。





(一の篇終はり)







2008 12/27 07:51:17 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――其処には死んだもの達と未出現のもの達の位相は現はれないのかね? 





――勿論、それらは無限の位相となって《実体》と《反体》の前に現はれる筈さ。





――其処には勿論、全宇宙史の諸相も含まれてゐるね? 





――さうさ。自己弾劾する為にね。なにせ影鏡存在なんだから。





――ふっふっふっ。私は曼荼羅の荘厳な景観と対峙したいものだ。





――それも一瞬の出来事さ。





――しかしその一瞬が永劫じゃないのかね、《実体》と《反体》が対峙する影鏡存在が存在する《特異点》の世界は。





――しかし、∞=∞は成立するのかな? へっへっ。





――ちぇっ、自同律の問題か――。多分、《特異点》の世界では自同律からも解放されるんじゃないか? 





――つまり、∞=∞は成立すると。





――いや、成立するんじゃなくて解放される。





――つまり、∞=∞であって∞≠∞といふことか――。





――それ以前の問題として影鏡存在では主客混淆の或る意味滅茶苦茶な世界で「吾、無限なり」と思念すれば「吾なるものは」即「無限」になってゐるのさ。なにせ無秩序な、つまり、渾沌の世界だからね、影鏡存在は。





――それでも《実体》と《反体》は存在しなければならないのか? 





――共に存在しなければならない。《実体》と《反体》による対消滅において全ては光となって消えるその対消滅の一瞬の時間が《極楽浄土》そのものだ。





――意識もまた《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》とで対消滅するのだらうか? 





――ん? それはどういふ意味かね? 





――例へば《実体》と《反体》の各々が《意識》と《反=意識》の各々を持つそれぞれの存在体同士の目が合ったその時にそれぞれの頭蓋内に湧出する筈の《自意識》は対消滅するのだらうか? 





――うむ。《意識》と《反=意識》の対消滅が起こればそれは面白いだらうな……。





――つまり、《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》の対消滅は起こらないと――。





――何せ、《実体》と《反体》が生滅する世界は影鏡存在に過ぎないからね。





――つまり、其処に意識や心は映らないと? 





――さて、《特異点》の世界で果たして内界と外界の区別は意味があるのかな……。





――すると、其処では彼方此方で《実体》の《意識》と《反体》の《反=意識》が対消滅してゐると? 





――多分、彼方此方で対消滅の閃光が輝いてゐる筈さ。





――それも内部と外部の両方でか――。





――そもそも特異点の世界では内と外といふ考へ自体が成り立たない。内が外であり外が内である奇妙奇天烈な世界さ。へっ、狂人じゃなきゃそんな世界に一時たりともゐられやしない。しかし、影鏡存在を前にして《実体》も《反体》も正気を強ひられる。へっ、正気じゃなきゃ自己弾劾は出来ぬからね。





――正気が狂気、狂気が正気の世界じゃないのかね、其処は? 





――さう思ひたければさう思ふがいい。影の鏡に映ればそれは既に影鏡存在となって存在してゐるのだから……。





――へっへっ、影の鏡に映らないものが果たしてあるのかね? 





――ふむ。何も映らないか全てが映るかのどちらかだらうね。





(十二の篇終はり)







2008 12/22 04:14:01 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――くくくぁぁぁきききぃぃぃんんん――。





 それは彼の脳が勝手にでっち上げた代物かもしれぬが、その時、時空間の《ざわめき》は例へばそんな風に彼には音ならざる《ざわめき》として聞こえてしまふのであった。そんな時彼は





――ふっふっ……。





と何時も自嘲しながら自身に対して薄ら笑ひを浮かべてはその彼特有であらう時空間の音ならざる《ざわめき》をやり過ごすのであったが、しかし、さうは言っても彼には彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられないのもまた事実であった。それは彼にとっては時空間が《場》としてすら《己》を強ひられることへの《悲鳴》としてしか感じられなかったのである。それ故か彼にとっては《己》は全肯定するか全否定するかのどちらかでしかなく、しかし、彼方此方で時空間が《悲鳴》を上げてゐるとしか感じられない彼にとっては当然、全肯定するには未だ達観する域には達する筈もなく、只管(ひたすら)《己》を全否定する事ばかりへと邁進せざるを得ないのであった。





…………





…………





――へっ、己が嫌ひか? 





――ふっふっ、直截的にそれを俺に聞くか……。まあ良い。多分、俺は俺を好いてゐるが故にこの己が大嫌ひに相違ない……。





――へっ、その言ひ種さ、お前の煮え切らないのは。





――ふっふっ、どうぞご勝手に。しかし、さう言ふお前はお前が嫌ひか? 





――はっはっはっはっはっ、嫌ひに決まってらうが、この馬鹿者が! 





――……しかし……この《己》にすら嫌はれる《己》とは一体何なのだらうか? 





――《己》を《己》としてしか思念出来ぬ哀しい存在物さ。





――それにはこの音ならざる《悲鳴》を上げてゐる時空間も当然含まれるね? 





――勿論だぜ。





――きぃきぃきぃぃぃぃぃんんんんん――。





と、その時、突然時空間の音ならざる《悲鳴》がHowling(ハウリング)を起こしたかのやうに彼の鼓膜を劈(つんざ)き、彼の聴覚機能が一瞬麻痺した如くに時空間の《断末魔》にも似た音ならざる大轟音が彼の周囲を蔽ったのであった……。





――今の聞いただらう? 





――ああ。





――何処かで因果律が成立してゐた時空間が《特異点》の未知なる世界へと壊滅し変化(へんげ)した音ならざる時空間の《断末魔》に俺には思へたが、お前はどう聞こえた?





――へっ、《断末魔》だと? はっはっはっ。俺には《己》が《己》を呑み込んで平然としてゐるその《己》が《げっぷ》をしたやうに聞こえたがね――。





――時空間の《げっぷ》? 





――否、《己》のだ! 





――へっ、だって時空間もまた時空間の事を《己》と《意識》してゐる筈だらう? つまりそれは《時空間》が《時空間》を呑み込んで平然として出た《時空間》の《げっぷ》の事じゃないのか? 





――さう受け取りたかったならばさう受け取ればいいさ。どうぞご勝手に、へっ。





――……ところで《己》が《己》を呑み込むとはどう言ふ事だね? 





――その言葉そのままの通りだよ。此の世で《己》を《己》と自覚した《もの》は何としても《己》を呑み込まなければならぬ宿命にある――。





――仮令《己》が《己》を呑み込むとしてもだ、その《己》を呑み込んだ《己》は、それでも《己》としての統一体を保てるのかね? 





――へっ、無理さ! 





――無理? それじゃあ《己》を呑み込んだ《己》はどうなるのだ? 





――……《己》は……《己》に呪はれ……絶えずその苦痛に呻吟する外ない《己》であり続ける責苦を味はひ尽くすのさ。





――へっ、《己》とは地獄の綽名なのか? 





――さうだ――。





(二 終はり)





2008 12/20 04:16:30 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――すると、お前が言ふ《反体》とはそもそも何なのだ? 





――敢へて言へば《反=世界》若しくは《反=宇宙》に《存在》する《意識体》の総称かな。





――何の事かさっぱり解からぬが、しかし、それは《物自体》ならぬ《反=物自体》の別称かね? 





――何でも《反》にすれば成立するやうな単純なものでもないぜ。へっへっへっ。きっと《反物質》の世界でも、つまり、《反物質》若しくは《反体》の世界においても此の世の世界若しくは宇宙と同様に《物自体》は《物自体》に違ひない……。問題は其処が《特異点の世界》に違ひないといふことさ。





――何故《特異点》と? 





――へっへっへっ、こじ付けにこじ付けた上にもこじ付けただけの自棄のやんばちの論理にすらならない、ちぇっ、唯の逃げ口上さ。





――うむ。まあそれは良いとして、お前の考へでは《特異点》たる其処では無と無限まで一瞥出来てしまふ、つまり、《特異点》たる其処では《存在》と《反=存在》の全事象が事象として現はれてゐるのかね? 





――多分、《実体》が《反体》に出会ふその刹那において《存在》の全事象が出現する筈さ。但し、それは《特異点》だったならばといふ仮定の話だがね。





――《特異点》……。へっ、此の世に《特異点》が存在する限り、此の世は未完成といふ事だな。





――何故未完成だと? 





――其処は因果律の成立しない渾沌の世界だからさ。





――ふっ、渾沌は此の世の起動力だと? 





――いや、此の世に開いた唯の穴凹に過ぎない……。





――ふっふっ、五次元世界に生きる生き物がそれを見たならば、大口を開けた無数の大蛇がとぐろを巻いて蝟集してゐる様に見えるんじゃないかな。





――ふっ、どうも私には仮初にも《反体》が存在出来るといふ《特異点》の世界が此の世にあるとするならば、其処は神話的な世界に思へて仕方がないんだ。





――ふっ、私には其処は曼荼羅の世界に思へるんだが。





――曼荼羅程の秩序はないんじゃないかな、《反体》が存在する《特異点》の世界は。





――否、何でもありさ。一瞬曼荼羅の位相が現はれては一瞬にしてそれが消える。《反体》が存在する《特異点》の世界は泡沫の夢が犇めいてゐる。





――つまり、物自体も存在も未在も不在も未存在も無在も非在もそれぞれは、所謂存在が非在であり而も物自体であるといふその《場》に《反体》は数多の諸相を纏って出現し、而もその上《実体》と《反体》とは各々が存在して初めて創り上げることが可能なその《場》に一瞬出現する何かだ。





――えっ? ……先づ……お前の言ふ《反体》とは何なのだ? 





――此の世に存在せざることを強ひられし《もの》達の総称……。





――えっ? 





――《物自体》といふ黒蜜の周りに黒山を作るほどに群がる《存在》といふ名の黒蟻のその小さな小さな小さな脳裡に明滅し、此の世に現はれざることを強ひられた《もの》達の必死の形相とでも言ったらよいのか……。





――ふっふっふっ、泡沫の夢じゃないのかね? つまり、《反体》を目の前にした《実体》は対消滅する前に、銀河と銀河が衝突すると爆発的に誕生するといふStar burst(スターバースト)におけるきら星の如き《もの》達の煌めきじゃないのかな。





――さて、《反体》は《実体》の何なのかね? 





――影の鏡、つまり、影鏡存在といったらいいのかな。





――影鏡存在? やはり、《反体》も存在なのか? 





――さうさ。しかし、《反体》は此の世には一瞬たりとも存在出来ない――。





――それでは何をもって影鏡存在なのかね? 





――《実体》が《反体》に対峙すれば其処には存在と非在と無の全位相が現はれるに違ひない。それが所謂影鏡存在の正体さ。





(十一の篇終はり)





2008 12/15 04:02:32 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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 ……ゆっくりと瞼を閉ぢて……沈思黙考する段になると……異形の吾共が……彼の頭蓋内の闇で……呟き始めるのであった……。





…………





…………





――はっ、《杳体(えうたい)》? 





――さう。杳として知れぬ存在体故に《杳体》さ。





――確か、存在は特異点を隠し持ってゐると言った筈だが、特異点を内包するしか存在の仕方がなかったこの存在といふ得体の知れぬものを総じて《杳体》と呼んでゐるのかな? 





――大雑把に言へば此の世の森羅万象がそもそも《杳体》なのさ。





――うむ。……つまり、此の世自体がそもそも《杳体》といふことか? 





――へっ、極端に言へば此の世に偏在する何とも得体の知れぬ何かさ。





――すると、特異点も此の世に遍く存在するといふことかね? 





――さうだ……。底無しの此の世の深淵、それを地獄と名付ければ、地獄といふ名の特異点は此の世の何処にも存在可能なのだ。





――へっ、そもそも特異点とは何なのだ、何を意味してゐるのだ! 





――ふむ。……つまり、此の世の涯をも呑み込み無限へ開かれた、否、無限へ通じる呪文のやうなものかもしれぬ……。





――呪文? 





――さう。此の世に残された未踏の秘境のやうなものが特異点さ。





――それじゃ、思考にとっての単なる玩具に過ぎないじゃないか。





――ふっ。玩具といってゐる内は《杳体》は解かりっこないな。





――ふむ。どうやら《杳体》には、無と無限と物自体に繋がる秘密が隠されてゐるやうだな、へっ。





――ふっふっ。それに加へて死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟も《杳体》は内包してゐる。





――それで《杳体》は存在としての態をなしてゐるのか? 





――へっ、《杳体》が態をなすかなさぬかは《杳体》に対峙する《もの》次第といふことさ。





――へっへっへっ、すると《杳体》は蜃気楼と変はりがないじゃないか! 





――さうさ。或る意味では《杳体》は蜃気楼に違ひない。しかし、蜃気楼の出現の裏には厳として存在するもの、つまり《実体》があることを認めるね? 





――うむ。存在物といふ《実体》がなければ蜃気楼も見えぬといふことか……。うむ。つまりその存在を《杳体》と名付けた訳か――成程。しかし、相変はらず《杳体》は漠然としたままだ。ブレイク風に言へばopaqueのままだぜ。





――へっ、《杳体》は曖昧模糊としてそれ自体では光を放たずに闇の中に蹲ったままぴくりとも動かない。だが、この《杳体》がひと度牙を剥くと、へっ、主体は底無しの沼の中さ。つまりは《死に至る病》に罹るしかない! 





――うむ……。出口無しか……。それはさもありなむだな。何故って、《主体》は《杳体》に牙を剥かれたその刹那、無と無限と、更には死滅したもの達と未だ出現ならざるもの達の怨嗟の類をその小さな小さな小さな肩で一身に背負って物自体といふ何とも不気味な《もの》へともんどりうって飛び込まなければならぬのだからな。しかしだ、主体はもんどりうって其処に飛び込めるのだらうか? 





――へっへっへっ、飛び込む外無しだ。否が応でも主体はその不気味な処へ飛び込む外無しさ、哀しい哉。それが主体の性さ……。





――それ故存在は特異点を隠し持ってゐると? 





――場の量子論でいふRenormalization、つまり、くり込み理論のやうな《誤魔化し》は、この場合ないんだぜ。主体は所謂剥き出しの《自然》に対峙しなければならない! 





――しかしだ、主体も存在する以上、何処かで折り合ひを付けなければ一時も生きてゐられないんじゃないか? 





――ぷふぃ。《死に至る病》と先程言った筈だぜ。そんな甘ちゃんはこの場合通用しないんだよ。主体もまた《杳体》に変化する……。





――つまり、特異点の陥穽に落ちると? 





――意識が自由落下する……。しかし、意識は飛翔してゐるとしか、無限へ向かって飛翔してゐるとしか認識出来ぬのだ。哀しい哉。





――それじゃ、その時の意識は未だ《私》を意識してゐるのだらうか? 





――へっ、《私》から遁れられる意識が何処に存在する? 





――それでも∞へと意識は《開かれる》のか? 





――ふむ。多分、《杳体》となった《主体》――この言い方は変だね――は、無と無限の間を振り子の如く揺れ動くのさ。





――無と無限の間? 





――さう、無と無限の間だ。





――ふっ、それに主体が堪へ得るとでも思ふのかい? 





――へっへっへっ、主体はそれに何としても堪へ忍ばねばならない宿命を背負ってゐる……。





(一 終はり)





2008 12/13 03:22:47 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うむ。《反体》か……。反物質はこの宇宙の何処かに必ず存在してゐるに違ひないが、しかしながら物理学の世界ではCP対称性の破れによって僅少しか存在しないと言はれてゐるけれども、しかし、《反体》は《実体》と何にも変はらないんじゃないか? 





――だから何度も言ふやうだけれども俺は唯存在若しくはこの宇宙を一寸でもあっと言はせて転覆させたいだけなのさ。先づは物質と反物質との反転! 此処から始めないと話にならん。





――そんなことじゃ、宇宙は、お前の言ふ悪意に満ちた宇宙はせせら笑ってゐるんじゃないか? とてもそんなことじゃ宇宙を震へ上がらせることなど土台無理さ。





――それはどうかな? 





――だって反物質も此の世に《存在》する存在物の一つに過ぎないじゃないか! 





――存在じゃないさ。《反=存在》だよ。





――ん? 《反=存在》? 





――非在じゃないぜ。《反=存在》だぜ。





――しかしだ、《実体》と《反体》が出会ふと……。





――さうさ、対消滅さ。だが……吾は巨大な巨大な巨大なγ(ガンマ)線を放出し、大量の、それこそ無限と言ってもよいかもしれないが、大量の大量の大量のEnergie(エネルギー)体たる光となってこの宇宙を嘲笑ふことがもしかすると可能かもしれないぜ。まあ、それはそれとして、先づは《反=存在》だ。お前は《反=存在》をどう思ふ? 





――意識、ちぇっ、つまり、《反=意識》によるんじゃないかな、《反=存在》は。





――愚門なのだが、《反体》においても「吾思ふ、故に吾あり」は成立するんだらうか? 





――ぷふぃ。何を言ってゐるんだい? 《反体》を持ち出したのは其方じゃなかったっけ? 





――それはさうなのだが、本当のところ、俺にもまだ《反体》なるものが良く把握できていないんだ。まあ、それはそれとして、なあ、《反体》においても「吾思ふ、故に吾あり」は思念出来るとお前は直感的に思へるかい? 





――ふむ……。当然、考へられるんじゃないか、《反体》においても。





――その前に、なあ、先づは《反体》においても《吾》なる思惟は生成されるのであらうか? 





――当然、存在、ちぇっ、《反=存在》するだらう。





――すると自意識による蟻地獄ならぬ《吾地獄》といふ我執の陥穽に《反体》もまた落ちてゐるのであらうか? 





――逆だぜ。落ちてゐるんじゃなくて、多分、吾は《吾地獄》へ昇天してゐるに違ひない。





――ん? 昇天? それはまたどうして? 





――《反体》故にさ。





――つまりそれは則天無私といふことかね? 





――正解でもあるが不正解でもある! 





――どういふことだ? 





――先づは《反体》をでっち上げでもいいから想像してみるんだな。お前はそもそも《反体》をどう思ひ描いてゐるんだ? 





――多分だが、《反体》は此の世の特異点に《反=存在》するに違ひない。否、《反体》は特異点にのみ《反=存在》する……。





――それって、つまりはBlack hole(ブラックホール)の内部といふことかね? 





――へっ、Black holeの内部も一つの候補だが、少し飛躍的な物言ひだがもう一つこの宇宙そのものも《反体》が《反=存在》する特異点に違ひない。





――へっ、《反体》が《反=存在》する《反=世界》にも神はゐるのかな。





――《反=神》が《反=存在》するかもね。





――へっ、其処では《天国》と《地獄》は《婚姻》してゐるのかな? 





――ブレイクか……。





――へっ、《反=世界》は吾等が浄土と呼んでゐるところかもしれないぜ。





――うむ。浄土は《物質》と《反物質》、或ひは《実体》と《反体》が出会った時に現はれ、巨大な巨大な巨大なEnergie(エネルギー)を放って対消滅するその事象のことなのかもしれぬ……。





(十の篇終はり)





2008 12/08 06:16:22 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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……寄せては返す波の如く吾が《個時空》の際もまた吾が心の臓と同等に伸縮を繰り返してゐるに違ひない……。





…………





…………





――《個時空》とはそもそも何だね? 





――《主体》といふ存在が独楽の如く渦巻くその時空のカルマン渦のことさ。





――カルマン渦? 





――さう。《主体》は此の世に出現した時空の回転儀に違ひない。





――回転儀とは?  





――Gyroscope(ジャイロスコープ)のことさ。つまりは地球独楽さ。





――Gyroscopeと《主体》とにそれでは何の関係があるのかね? 





――此の世にGyroscopeの如く渦巻き存在する《個時空》たる《主体》は、独り《現在》に《取り残された》存在形式しか持ち得ない。つまり、《距離》が存在する限り《其処》は既に《過去》でしかない此の《世界》の在り方に対して独り《主体》のみが《主体》から《距離》零故に《現在》、正確を期すと《主体》のそれも《皮袋》の《表面》のみが《現在》の在り処なのさ。そして《主体》内部は《主体》の《皮袋》の《表面》、つまり《皮膚の表面》から距離が負故に《未来》、しかも《主体》は有限の物体故に《主体》内部には《死》が先験的に内包されてゐる。





――つまり《主体》は《個時空》の《現在》に幽閉されてゐるといふことかな? 





――さう。





――しかしそれは《主体》といふ存在にとって不愉快極まりない! 





――へっ、自同律の不快か――。だが、物体として存在する《主体》には内界での自由は保証されてゐる。





――内的自由か。しかし、それだからこそ尚更《主体》にとって自同律は不愉快極まりないのじゃないかね? 





――《他》を夢想してしまふからか? 





――《主体》は吾ならざる吾を夢想する……。





――時に《個時空》たる《主体》にとって別の《個時空》として出現する《他》は何なのかね? 





――自同律を解く《解》の一つに違ひない。





――《解》? 





――《個時空》において《過去》とは《未来》でもある。





――それは《過去》の世界に一度《目的地》が定まるとその《目的地》は《過去》にありながら瞬時に《未来》へと変化するといふことだよね? 





――内的自由の中で自在に思考が行き交ふ《個時空》たる《主体》の頭蓋内の闇にとって、其処で夢想する吾ならざる吾といふ存在形式における数多の《解》の中の、《客体》は《主体》が夢想するものの一つの《解》として有無を言はさずに厳然と眼前に実在する。





――しかし、無限に誘惑されてゐる《主体》にとってその《解》は仮初の暫定的な一つの《解》に過ぎない。





――それでも《個時空》たる《主体》はこの《過去》の世界に《客体》といふ自同律の錯綜を解く《解》を見出す。





――それは《主体》の自己を映す鏡としてかね? 





――へっへっへっ。《個時空》たる《主体》は《客体》に宇宙の涯を見出すのさ。





――えっ? 宇宙の涯? 





――へっへっへっ。《主体》と《客体》の間にはパスカルの深淵がその大口を開けて存在する。そして吾ならざる吾を夢想する《主体》は《個時空》の水際たる《他》とのその間合ひを互ひにやり取りしつつも《主体》はパスカルの深淵へ飛び込む衝動に絶えず駆られてゐる。





――つまり無限にだらう? 





――無限の先にある《他》にさ。つまり、パスカルの深淵に飛び込んだ先に控へてゐる別の宇宙たる《他》といふ《個時空》――。





――ちょっと、パスカルの深淵に飛び込んじゃ駄目だらう? 





――へっへっ。《主体》はどうあっても結局はパスカルの深淵に飛び込まざるを得ないのさ。何せ《他》たる《客体》は自同律の錯綜を紐解く一つの実在する《解》だからね。





――そして宇宙の涯? 





――さう。





(一の篇終はり)





2008 12/06 04:41:36 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――……断罪せよ……吾を……汝を……存在を……断罪せよ……。





――へっへっへっ。ぐうの音も出ないかね? 





――ふっふっふっ。可笑しくて仕様がない。





――……断罪せよ……吾を……汝を……存在を……断罪せよ……。





――ぶはっはっはっ。狸の化かし合ひは已めようぜ。





――狸の化かし合ひ? 





――さう。断罪せよとは存在者側の言ひ分だろうが。本当はかう言はなければならぬ。「……吾を……汝を……存在を……殺せ!」と。さあ、正体を現はせ! 





――何だ? 吾とは、汝とは、存在とは、何なのだ? 何だったのだ? 





――泡沫の夢と言へば恰好はいいが、多分、生老病死……諸行無常……生々流転……等、何とでも言へる筈さ。





――何とでも言へる筈だと? 





――さうさ。むしろ何とでも言へなければならぬのだ! 





――へっへっへっ、すると吾とは、汝とは、存在とは、迷妄の一種なのか? 





――迷妄の一種か……ふっ。さうかもしれぬ……が、しかし、吾とは、汝とは、存在とは、自同律といふ不愉快極まりない難問を抱へ込まざるを得ない何かさ。





――不愉快極まりない? 





――それはお前がよく知ってゐる筈さ。





――へっへっへっ。確かにな。でもこの不愉快は何処からやって来るのだらうか? 





――多分、存在自体からさ。





――存在自体? 





――ぷふぃ。





――へっへっへっ。存在自体だと! 





――何を今更うろたへる? お前も薄々気付いてゐた筈だらう。存在する以上、自同律から遁れられないと。





――存在自体からか……。へっ、自同律なんぞ糞喰らへだ。





――この不愉快が存在自体から発してゐるとすると、存在とは何と厄介な代物だらう。





――何を今更。





――でもこの不愉快極まりない自同律は存在の宿命なのか? 





――宿命といふよりも呪縛だぜ、自同律は。





――うむ。呪縛か……。やはり呪はれてゐるんだな、存在せざるもの達に……。へっ、この宇宙は存在せざるもの達の怨嗟や悪意に満ちてゐるのだらうか。





――ふっふっ。それはお前の心の反映に過ぎないのじゃないかね。





――だとしてもだ、存在するものは存在せざるもの達に呪はれてゐることは間違ひない。





――何故? 





――何故……。何故って、ちぇっ、さうとしか思へないからさ。





――それって存在するもの達の思ひ上がりでしかないのじゃないかね? つまりは存在するもの達の下らない自己満足でしかない! お前の考への根底には存在することの《優越感》があるに過ぎない。へっ、それはそれは下らない《優越感》さ。





――《優越感》か……。成程さうに違ひない。しかし、存在すること自体呪はれる対象ならば、一寸でも《優越感》がなくてどうする? 





――それは唯の迷妄に過ぎない。





――ぷふい。迷妄? へつ。お前は存在自体が迷妄と言ひたいのかね? 





――ふっ、さうさ。存在自体迷妄に過ぎない。迷妄に過ぎないから自同律が気味悪いのさ。





――つまり、存在するものはその存在を持ち切れないといふことか……。ちぇっ、不気味に嘲笑ふ自同律の罠よ! 





――へっ、お前にも自同律の奈落が解かるらしいな。





――気が付くとその奈落が吾の棲処だった……。どう足掻いても吾は吾から一歩たりとも逸脱出来ぬ、へっ、存在するものだったのさ。ちぇっ、吾は吾に呪縛され幽閉されてゐる……。





――だからどうした? お前が言ふ吾そのものが迷妄じゃないのかな? 





――しかし、吾は吾であることを強ひられる! 





――当然だろ。お前は存在してしまってゐるんだから! 





――ちぇっ、存在することはそんなに後生大事なことなのかね、ふっふっふっ。





――へっ、何ね、吾は唯存在をあっと驚かして存在を顛覆させてこの宇宙を、この悪意に満ちた宇宙を震へ上がらせたいだけさ。





――それで何か目算でもあるのかい? 例へば埴谷雄高の《虚体》のやうなものが? 





――ふっ、今のところは何もないさ。唯、旗幟(きし)の如きものとして反物質による二重螺旋で出来た例へば《反存在体》略して《反体》と呼ぶべきものをでっち上げてみては空論を何度か試みてはゐるけれどどうも納得がゆかないんだ、今のところは。





(九の篇終はり)





2008 12/01 03:23:59 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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