一番大切なひとは誰ですか?
この質問に、素直に答えられる人がいるのだろうか。
私は、きっと、迷う。そして誰かを選ぶだろう。だけど、それは、嘘だ、と思う。何故ならば、ひとりにきめられる筋合いのものではないからだ。
そんなタイトルをもってきたこのドラマ、結構、奥が深い。
誘拐、監禁されたコナミちゃん。
救いを求めたのは、自分を捨てた、大嫌いな父親でした。
発見した父親の洩らした言葉、「だめだ、コナミ、俺、こいつ殺すわ」そして、「お父さんのことはもう忘れろ」
駄目な男だけど、最低の父親だけれど、救いようのない父親だけど、吐き出す言葉は、きらめいている。
「父親だからって、いつも優しいと思うなよ」
三宅裕司の劇団出身だとは、信じられない、透明な存在感をもった役者だ。台詞に臭みがなく、演技に粘着感がない。
あげくの果てに、娘に告げる。
「逃げよう、二人でどこかに逃げよう」
男は、娘の望むままに、八丈島へ。
娘は、ブスッとして、まともに口をきいてくれないし、父娘の会話は、まんま、漫才だ。
そう、逃げようとして、逃げられることなんて出来はしない。
どこにも、逃げる場所なんてないのだから。
逃げるのは、捨てる事だ。捨てられないのだから、逃げられる筈がない。
私には、蒸発者の気持ちが、よく分からない。その思いを浮かべる事は誰にでもあるし、私にもある。
満員電車に揉みくちゃになりながら、眺めた、反対方向へ擦れ違うガラガラの電車。あれに乗れば、この日常から、飛び出せる。そう、次の駅で降りて、反対のホームに移ってしまうだけで、劇的な変化がおきるかもしれない。
しかし、そこには、見えない敷居がある。それを越えるのは簡単なのだが、足が上がらない。上がらないから、つんのめる。つんのめると、倒れてしまう。倒れたら、痛いだろう。血だって出るかもしれない。血が出たら、情けない。情けないのならば、やめようか。やめたら、このままだ。このままが嫌だから、情けなくなりたいのか?いいや、そうじゃない。越えるには、それだけの、理由が必要なのだ。それは、絶望だとか、挫折だとかいった、暗いものじゃ駄目だ。
明るい絶望が、この世にあるのだろうか。明るい挫折。明るい悲しさ。それがもしあるのならば、その時が、越える機会なのだ。
明るい、とは、希望と置き換える事ができるだろう。希望ある絶望。希望に充ちた挫折。希望に抱きしめられた悲しみ。
それは、どういう時なのだろうか。
考えて、考えて、考えあぐねて、結局、分からない。
分からないから、今日も、満員電車に揺られる。揉みくちゃになって、OLが胸に頬を寄せるのを我慢する。女子高生が、背中に顔を埋めても、貝になっていよう。服に化粧がついてしまう。背中に少女の髪の匂いが染みつく。毎晩、服を直す妻は、どう思うのだろう。夜までに消えるだろうか。
10時間の我慢だ。10時間経てば、我が家で、可愛い子供たちが、とびっきりの笑顔で迎えてくれる。湯気の立ち上る温かいご飯が待っている。
だけども、その湯気が、疎ましくなることだって、ある。それが、魔の忍び寄る瞬間だ。そうしたとき、私は、夢を見る。夢は、魔でも、冒せない。
男は、そうして、交番の前を、いつも同じ時刻に通り過ぎる女子大生にある時、気づく。男の楽しみは、終業してからの居酒屋。
その居酒屋でその女子大生はバイトしていた。話した事はないけれども、居酒屋で会釈して、交番前で会釈する。
半年も続けば、どんな鈍感な男だって、気付く。これは、変だ、と。毎日、同じ時刻に、同じように通り過ぎて会釈する女子大生。そして、どんなに遅くなっても居酒屋にいた女子大生。
これは、無言の告白だったのだ。あなたが好きです。声ではなく、視線でもなく、態度でもなく、ただ、偶然を意識的に積み重ねてゆく、という、告白だった。
その女子大生が、再婚相手の牧瀬里穂だ。男は、自分の気持ちに向き合った。そうだった、俺は、この娘に、癒されていたんだ、と。
一番大切な人は誰ですか?
男には、答えられない。きっと、答えられない。でも、私なら、男の一番大切な人が誰か、分かる気がする。それは、傍観者の特権ではなく、同じ思いを抱いていた想い出が、その答えを明らかにしてくれるからだ。
張りつめていたものが、少しずつ、少しずつ、剥がれ落ちてゆく。それらは、ささやかな緊張と、深い思い遣りと、溜息が出そうなくらいに際立った誠意によって、不安定なバランスをようやくのことで保っていられたのだろう。
娘と逃げた父親が戻った家には、宮沢りえ演じる元妻と妻が、いた。
奇妙な晩餐が始まり、細い今にも裂けそうな絆が、複雑に縺れあい、解けなくなってゆく。
娘は、大好きなお姉さん(妻)と大好きな母が笑顔を交す場面を素直に、そう、屈託なく、平穏を思えたのだろうか。
笑顔を交すたびに、傷つけあう事だってあることを、少女は理解出来ない。見たまま、感情のままに、直感に左右されてしまう年代にありがちな、狭視野。
見えるものだけが真実ではないことを、少女は知らない。
母は、傷ついていた。数億もの絶望の刃に胸を切り刻まれて、立っている事さえ忘れていただろう。
お姉さんも、傷ついていた。数億にはほんの少しだけ足りない絶望の斧を脳裏に振り下ろされて、過去と現在の区別が判別出来なくなっていただろう。
しかし、父親はどうだったのだろうか。大好きな娘とふたり、娘の望んだ佐渡へ旅し、娘との10年あまりの溝が埋まったことを、素直に悦んでいられたのだろうか。
溝は埋まるものなのだろうか。裂け目が、どうしたって、元に戻せない傷跡を残すように、溝だって、埋まったつもりで、醜く盛り上がった傷跡を残すものではないのかしら。
直感ままの本能を受け止められるだけの寛さが、ある筈がないのだから。
仕合わせな結末が、本当に、仕合わせな結末だったのか、それは、これからの展開に依るだろう。
いいドラマでした。胸が詰まってしまう。