通説にとらわれない新しい歴史解釈

2008年 08月 15日 の記事 (1件)


昭和天皇は開戦後まだ間もない1942年2月に東条英機首相に「終戦について機会を失せざる様充分考慮するように」と注意を促した。まだ日本が連戦連勝していた頃である。
 当時の軍部や政府が日露戦争の時のように引き際を誤らず、勝ち戦の最中に講和を実行できる器量を持っていたかどうかは甚だ疑問であるが、もし実現できていれば敗戦の結果(300万人を超える犠牲者)と原爆投下や世界移民史上最も悲惨な最期を遂げたと言われている満州移民団の悲劇も無かったわけである。そう考えると開戦後僅か六ヶ月後のミッドウェー海戦の敗北の意味は大きい。その最大の責任者は山本五十六自身が認めているように彼自身である。本来なら敗戦の責任をとらされて予備役に編入されてもおかしくはなかった。
 ミッドウェー海戦は日露戦争の日本海海戦に相当するものであり、まさに「皇国の興廃この一戦にあり」であった。どう転んでも勝たなくてはならない戦いであったが稚拙な作戦と用兵により取り返しのつかない大敗を喫してしまった。
2008 08/15 23:37:05 | none | Comment(0)
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