ミッドウェー海戦敗戦の史実は、国防において適材適所を誤るといかに恐ろしい結果をもたらすことになるかという教訓として、日本国民は将来にわたって永く銘記するべきであろう。 私が常々感心するのは幕末から明治にかけて優秀な人材が輩出して国の舵取りをしたため大局を誤ることがなかったことである。 幕末の徳川幕府の幕僚は優秀で科学的頭脳を持っていたから太平洋戦争の時の高級軍人と違って、いざとなったら神風が吹いて日本を救ってくれるなどという幼稚で甘い考えは持たなかった。 昭和には四流、五流の人物がトップに登りつめて主導権を握ったため国を誤った。人材登用のシステムに重大な欠陥があったと思わざるを得ない。 帝国大学や陸軍大学校、海軍大学校は優秀なエリートを効率的に大量生産しようとしたものであろうが、これが無残な失敗であったことは太平洋戦争の結果が証明している。
思慮の浅さというのは山本五十六の大きな欠点の一つであろう。 日米交渉打ち切りを野村大使が米側に通告したことを確認する前に真珠湾を奇襲したために、「騙まし討ち」として米国民を憤激させ、それまでは圧倒的にに非戦派が占めていた米国民と議会を一気に開戦容認へと踏み切らせ、さらに早期講和が困難な状況を作り出してしまった。結局この思慮の浅さが命取りとなって「い号作戦」を陣頭指揮するためにラバウルに出張し、ブーゲンビル島の基地視察に空路おもむく途中米戦闘機に襲われて戦死するのであるが、この時も危険であるから止めるようにとか護衛の戦闘機の数を増やそうかという周囲の進言をすべてはねつけた結果であった。 この前線視察も山本自身は本当は行きたくなかったらしい。ただガダルカナル島でトカゲを食べながら戦っている飢えてやせ衰えた兵士を見てきた大本営参謀の辻政信が作戦の打ち合わせに戦艦大和に山本五十六を訪ねたさい、冷房の効いた安全な大和で毎日豪華な食事に舌鼓をうっている山本とその幕僚を痛烈に皮肉ったため、行き掛かり上危険な前線に出向かざるを得なくなったようである。
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