子どもの頃は学校には行かず、毎日サッカーをしていた。
僕の父さんはいい職人だったけど仕事がなく、生活は苦しかった。妹は毎日路上で信号待ちの車のフロントガラスを拭いてわずかなチップを稼いでいた。弟は朝市で買い物客の荷物を車まで運んでわずかなチップを稼いでいた。母さんは住み込みでお手伝いさんの仕事をしていたので家にいるのは週末のわずかな時間だけだった。

僕は学校には行きたかったけど家には制服や靴、教科書を買うお金がなかったのでいけなかった。毎日裸足で友達とサッカーをしていた。

ある日、母さんが仕事を失い僕達兄弟はしばらく近所の伯父の家で夕飯を分けてもらっていた。

ある日、14才の兄貴が強盗事件に巻き込まれ逮捕された。警察に行ってはじめて父さんが僕と同じように字が書けない事を知った。ショックだったけど僕達が住んでいたスラムでは珍しいことではなかった。

家庭は貧しかったけど僕達家族は不幸ではなかった。兄弟で海にいくのは楽しかったし、母さんが週末に作る料理は今でも世界一美味しいと思う。

両親から「勉強しなさい」と言われた記憶はない。近所にうるさいおばちゃんはいたけどね。

ある日、父さんの知人から離れた町のジュニアのチームでプレーする話を聞かされた。11才だった僕は家族や友達と別れるのはいやだったけど次の日の朝、母さんから「あなたは悩んでいるでしょう。でもサッカー選手になりたいのなら行きなさい」と言われ、父さんからは生まれて初めてピカピカのサッカーシューズをもらった。あの時より嬉しかった事なんて今でもないよ。



“彼”がそう語ってくれたのは4年前の日韓ワールドカップ最終日、決勝戦でドイツを破り、5度目の優勝を飾ったあの日の祝賀会の場、SBCのメンバーはよくご存知のあの店のキッチンで、私を含むスタッフの前で彼は大好きなガラナ(ブラジルのソフトドリンク)を片手に自分のストーリーを話してくれました。

その彼は今ドイツにいます。世界最高の舞台で決勝トーナメント進出をすでに決めましたが、次の試合の相手は子どもの頃から憧れだったZICO率いる日本代表です。
2006 06/20 13:41:19 | none | Comment(0)
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