思索に耽る苦行の軌跡

2008年 01月 の記事 (8件)

それは不意を突く地震であった。一歩踏みださうと右足を上げた途端、あれっと思ひも掛けず左足が何かに掬われたかと思ふと、私は途端にBalanceを崩し不格好に右足を咄嗟に地に着け踏んばるしかなかったのである。



――ゆさゆさ、ぐらぐら。



辺りは暫く地震の為すがままに揺す振られ続けてゐたが、私は己の無様さに



――ぷふいっ。



と嘲笑交じりの哄笑を思はず上げてしまったのである。



――何たる様か! 



暫くするとその地震も治まり辺りはしい〜んと夕闇と共に静寂(しじま)の中に没したのであった。



其処は私の普段の逍遥の道筋で或る信仰を集めてゐた巌の前であった。ぐらぐらとその巌も私と共に揺す振られたのである。地震の瞬間は鳥達が一斉に木々から飛び立ったがその喧噪も嘘のやうに今は静かであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



何かがその刹那に咳(しはぷ)くやうに哄笑を上げた。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



私は怪訝に思ひながらも眼前にどっしりと地に鎮座するその苔の生えたごつごつとしかし多少丸みを帯びた巌を凝視したのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



間違ひない。眼前の巌が哄笑してゐたのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。《吾》揺す振られし。ぷぷぷぷふい。



どうやらその巌は自身が揺れた事にうれしさの余り哄笑してゐるらしかった。



――何がそんなにうれしいのか? 



と、私は胸奥でその巌に向って呟くと



――《吾》、《吾》の《存在》を実感す。



と私の胸奥で呟く者がゐた。



――何! 《存在》だと! 



――さう。《存在》だ。《吾》、《吾》から食み出しし。ぷぷぷぷぷふい。



――《吾》から食み出す? 



――さう。何千年もじっと不動のままに一所に居続ける馬鹿らしさをお前は解らないのだ。《吾》には既に《希望》は無し。《風化》といふ《吾》の《滅亡》を堪える馬鹿らしさをお前は解らぬ。



――はっはっはっ。《吾》の《存在》だと! お前に《存在》の何が解るのだ! 



――解らぬか。巌として此の世に《存在》させられた懊悩を! 《吾》風化し《滅亡》した後、土塊に《変容》した《吾》の《屍》から、ぷふい、《何》か《生物》、ぷふい、自在に《動ける》《生物》が誕生せし哀しみをお前は未位永劫解る筈がない。この高々百年の《生き物》めが! 



辺りは今も深い深い静寂に包まれてゐた。



――何千年、何億年《存在》し続ける懊悩! 嗚呼、《吾》もまた《何か》に即座に《変容》したく候。此の世は《諸行無常》ではないのか? 《吾》もまた《吾》以外の何かに変容したく候。



――ぶはっはっはっは。《吾》以外の何かだと! 馬鹿が! 《吾》知らずもの《吾》以外に《変容》したところで、またその底無しの懊悩が待ってるだけさ。汝自身を知れ。



――嗚呼、《吾》また底無しの自問自答の懊悩に飛び込む。嗚呼……。



辺りは闇の中に没してそれこそ底無しの静寂の中に抛り出されてしまった……。































































2008 01/28 07:28:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は雪がぽつりと呟いたその一言に全く同意見であった。私と雪は二人で煙草を



――ふう〜う。



と一服しながら互いの顔を見合い、そして互ひににこりと微笑んだのであった。



*******ねえ、君。つまり、アメリカの杉の仲間の、つまり、巨大セコイアといふ、つまり、巨樹を知ってゐるかい? 



雪は私のMemo帳を覗き込むと



――ええ、もう何千年も生きて百メートルにならうといふ木でしょう。それがどうしたの? 



*******ねえ、つまり、毛細管現象は知ってゐるかい? 



――ええ、知っているわ。それで? 



*******毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上にまで、つまり、成長する。何故だと思ふ? 



――うふっ、木の《気》かしら、えへっ。



*******ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹まで全て、つまり、螺旋状の仕組みなんじゃないかと思ふんだ。つまり、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学を超へて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言ったが、つまり、科学はまだ渦を説明出来ない。つまり、円運動をやっと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるかを、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超へてしまってゐる。つまり、また渦の問題になったね、へっ。



私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであった。



*******ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ《渦》を巻いてゐるのは知ってゐるね? 



――ええ、山手線がその好例よ。



*******つまり、人間が《水》の亜種ならば《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐたのさ。そこでだ、つまり、江戸時代の階級が渦状の階級社会ならば、つまり、天下無敵の階級社会だったに違ひないのだ。



――ふう〜う。



と私は煙草を一喫みした。



――ねえ、江戸時代の人々は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全ての貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふっ、息苦しいわね。



――ふう〜う。



私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであった。



(以降に続く)











































2008 01/27 08:46:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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其処は漆黒の闇に永劫に蔽はれた場所であった。暫くの間、私は全く動かずに何年も何年も其の場の同じ位置で顔を腕の中に埋めながら蹲り続けてゐる外ない程に心身ともに疲弊しきってゐたので、外界が永劫に漆黒の闇に蔽はれてゐた事は長きに亙って解らぬままであったのである。



私は腕に顔を埋めたまま絶えず



――《吾》とはそもそも何か? 



と自問自答する無為の日々を送ってゐたのであった。そんな私にとって外界は無用の長物以外の何物でもなかったのである。そんな底なしの自問自答の中、不意に私の影がゆらりと動き私から逃げ出す素振りを見せた気配がしたので、私は、不意に頭を擡げ外界を眺めたら其処が漆黒の闇に蔽はれ何も見えない場所であったのを初めて知ったのであった。勿論、私の影は外界の漆黒の闇の中に融解してゐて、何処にあるのか解らなかったのは言ふまでもない。



――此処は何処だ! 



さうなのである。私は闇の中の闇の物体でしかなかったのである。つまりは《吾》闇なり。



――闇の《吾》とはそもそも何か? 



それ以降斯くの如き自問自答の無間地獄が始まったのであった。何処も彼処も闇また闇であった。



しかし、闇とは厄介なもので私の内部で何か動きがあるとそれに呼応して何やら外界の闇は異様な気配を纏って私の内部の異形の《吾》となってすうっと浮かび上がった気配を私は感じるのであったが、眼前には漆黒の闇が拡がるばかりであった。



――誰か《吾》の前に現れたか? 



その問ひに答えへるものは何もゐなかったのは言ふまでもない。在るのは漆黒の闇ばかりであった。まさにそれは暖簾に腕押しでしかなかったのである。



――へっ、馬鹿が。お前の内部を覗いたって何もないのは初めから解り切った事ではないか。へっ、《吾》を知りたければ外界を穴が開くほど凝視するんだな! 馬鹿が! 



漆黒の闇の何処とも知れぬ処から斯様な嘲笑が漏れ出たのであった。



さうなのである。私はずっと外界の漆黒の闇に侮蔑されてゐたのであった。私は不意に一歩前へ踏み出ようとしたが、其処に足場は無く、直ぐ様私は足を引っこめざるを得なかった。



――もしや、此処は……深淵の《浮島》なのか……嗚呼……《吾》斯く在りか……。































2008 01/21 04:56:47 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******つまり、峻険なる富の山を築いた、つまり、大富豪は、その富の山の途轍もない高さ故に、つまり、エベレストの頂上では生き物が生きられないやうに、つまり、大富豪もまた、つまり、富の山の頂上では、つまり、生きられないとは思はないかい? 



――ふう〜う。



と、雪は煙草を一喫みしながら何やら思案に耽るのであった。



――……さうねえ……マチュピチュの遺跡のやうに……《生者》より輿に乗って祀られる木乃伊と化した《死者》の人数が多い……生死の顛倒した、それこそ宗教色の強いものに変化しないと……峻険なる富の山では人間は生きられないわね……。それにしてもあなたの考え方って面白いのね、うふっ。



*******つまり、するとだ、個人崇拝、つまり、それも死者に対する個人崇拝といふ化け物が、つまり、此の世に跋扈し始める。つまり、さうなると、気色の悪い赤の他人であるその死んだ者に対する個人崇拝が、つまり、人間が生来持つ宗教に対する尊崇の念と結びついて、つまり、巨大な富の山を築いた死んだ者への個人崇拝といふ気色の悪い尊崇が、つまり、峻険なる山型の階級社会を何世代にも亙って固着させ、つまり、貧乏人は末代までも貧乏人じゃないかい? つまり、例へば、キリストの磔刑像に平伏す基督者達は、その教会の教皇が絶大な権力と富とを保持してゐるのも畏れてゐる、つまり、象徴として一生貧乏だったキリストの磔刑像を教会内に安置してゐるが、つまり、しかしだ、基督者達を統べてゐるのは絶大な権力を今も保持してゐる教会であり、つまり、その頂点の教皇だといふことは、つまり、周知の事実だね。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



その瞬間、私の視界から去らうとしない赤の他人の彼の人がゆらりと動き私を凝視するやうに真正面を向いた。そして、相も変はらずに



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と音ならざる声を瞑目しながら発し続けてゐた。



――不思議ねえ。ねえ、人間って倒錯したものを好んで崇拝する生き物なのかしら? 



*******さうだね、つまり、貧富が顛倒したキリストに象徴されるやうに《欲望》が剥き出しのままでは、つまり、人間は認めたくないんじゃないのかな。つまり、そこに己の卑俗さが露はになるからね。つまり、そもそも人間は自己対峙が苦手な馬鹿な生き物なのは間違ひない……。しかし、つまり、己が卑俗であるが故に《高貴》なものを倒錯した形で崇拝せざるを得ない馬鹿な生き物が、つまり、人間かもしれない。



――何だかまるで建築家のガウディが重力を考慮して逆様にぶら下げた建築物の模型みたいね。



*******つまり、天地が倒錯したものこそ《自然》なのかもしれないね。つまり、所詮人間は重力からは逃れられない哀れな生き物に過ぎないからね。上方を向く垂直軸の不自然さに気付いたガウディは天地を顛倒し建築物を重力に《自然》な形でぶら下げてみた……。つまり……天地の逆転の中に或る真実が隠されてゐるのかもしれない……。つまり、人間はあらゆるものに対してそれが《剥き出し》のままだと自然と嫌悪するやうに創られてゐるのかもしれないね。



私は再び煙草を一本取り出しそれに火を点け一服したのであった。



―ふう〜う。



――木って不思議ねえ。



と、雪がぽつりと呟いた。



(以降に続く)





































2008 01/20 07:28:08 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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無地の白紙の半紙に例へば下手糞だが墨と筆で「諸行無常」と書くとその場の時空間が墨色の「諸行無常」といふ字を核として一瞬にして凝結して行くのが感じられて仕方が無いのである。それは何やら空気中の水分が凝集して出来る雪の綺麗な六花晶を顕微鏡で見るやうであり、高々半紙といふ紙切れに墨書されたに過ぎない「諸行無常」といふ字が時空間を凝結させて私に対峙するが如くに不思議な存在感を醸し出し始めるのである。それを言霊と呼んで良いのかは解からないが、しかし、「諸行無常」と墨書される以前と以降では私の眼前の時空間は雲泥の差で、それは最早別の時空間と言っても良い程に不思議な異空間が出現するのである。



――Fractal(フラクタル)な時空間……。



彼方此方が「諸行無常」に蔽ひ尽くされてゐる……。かうなると最早私には如何ともし難く只管に墨書された「諸行無常」といふ字と対峙する《無心》の時間がゆるりと移ろひ始めるのである。そして、私の存在が墨書された字に飲み込まれて行く心地良さ……。私の頭蓋内の漆黒の闇黒には鬱勃と想念やら表象やらが現れては消えるといふその生滅を只管に繰り返し、私はそれに溺れるのである。



――揺られる、揺られる……。《吾》といふ存在が「諸行無常」といふ墨書に揺す振られる……。何といふ心地良さよ。嗚呼、《吾》が《吾》から食み出して行く……。



不意に私は別の真新しく真っ白な半紙を眼前に敷き、徐に「森羅万象」と息を止めて一気に墨書する。今度は時空間は「森羅万象」といふ墨書を核として一瞬に凝結する……。再び惑溺の始まりだ。



――溺れる、溺れる、《吾》はこの「森羅万象」といふ時空間に飲み込まれ溺れる……。



眼前の「森羅万象」と墨書された半紙は微塵も動かず、只管に「森羅万象」であることに泰然としてゐやがる。



――ふっ、《吾》この宇宙全体を《吾》として支へる《吾》に陶酔してゐるのかもしれない……。この「森羅万象」といふFractalな時空間は宇宙を唯「森羅万象」に凝結してしまひ、そして、彼方此方で時空間が言霊となって囁くのだ。【此の世は即ち『森羅万象』】と。それにしてもこの肉筆の文字と墨の持つ凄まじき力は何なのか? 嗚呼、《吾》お……ぼ……れ……る…………。





春の海終日のたりのたり哉           蕪村





















2008 01/14 04:40:03 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――ふう〜う。



と私は煙草を一服するとその吸い殻を携帯灰皿にぽいっと投げ入れたのであった。



*******つまり、《自由》に身を委ねると、つまり、現状は、つまり、嘗ての、つまりね、Pyramid(ピラミッド)型の階級社会にすら程遠い、つまり、一握りの大富豪と、つまり、殆ど全ての貧乏人の、つまり、大地に屹立した、つまり、峻険なる山のやうな、つまり、階級社会となるのは必然だと思ふかい?



――そうね、《自由》の下ならば一世代位の期間はさういふ階級社会が続くと思ふけれども、でも……、峻険な山が風化するやうにPyramid型の階級社会が長期に亙る《自然》の近似ならば三世代の間位に峻厳な山からPyramid型へと階級の形が移行する筈よ、多分ね、うふ。



と、雪は私との筆談が楽しいのか愛らしい微笑みを浮かべ次に何を私が書くのか興味津津に私の手のPen先をじっと凝視するのであった。



*******すると、つまり、さうすると現在貧乏人は、つまり、一生貧乏人かい?



――……さうね。一握りの《成功者》を除くと殆ど全て貧乏人は貧乏人のまま一生を終へるわね……残念ながら……。士農工商のやうなPyramid型の或る種平安な階級社会が《自然》に形作られるには最低三世代は掛かる筈よ。だって、貧乏人が《職人》といふ他者と取り換へ不能な一廉の人間になるには最低三世代のそれはそれは血の滲むやうな大変な苦労が必要だわ……。



*******それじゃね、つまり、市民といへば聞こえは良いが、つまり、単刀直入に言って市民といふ貧乏人は、つまり、士農工商の何れかの階級の《職人》に、つまり、三世代掛かってなるんだね?



――う〜ん、……さうね、多分。だって、現在生きてゐる人類の多くは貧困に喘いでゐて、その貧困から脱出する術すら未だに見つけられずにゐるじゃない。人間が社会に寄生して生きる外ない生き物で、しかもそれが《自由》の下ならば、人類の現状がそのままこの国の社会にも反映され、そして《自然》は必ずさう仕向ける筈よ。《自由》が《自由》を束縛するのよ、皮肉ね。あなたもさう思うでしょ、一握りの先進国が富を独占してゐる世界の現状が《自然》ならば、この国の社会もそれを反映した《自然》な世界の縮図にならなければ神は不公平だと。つまり……この国の国民の殆ども貧困に陥らないとその社会は嘘よ。



雪はさう言ふと不意に満月を見上げ



――ふう〜う。



と煙草を一服したのであった。



…………



社会に不満を持つのは舌足らずな思考をする青年の取り柄だが、当時の彼女もまた当然若かったのである。ねえ、君、攝願と比丘尼になった今の雪の考へをもう一度聞いてみたいがね。



…………



*******ねえ、つまり、多様性は、つまり、さうすると、どうなる?



私は満月を見上げる雪の肩をぽんと叩き筆談を続けたのである。



――Paradigm(パラダイム)変換が必要ね。市場原理による《自由》な資本主義にたかって生きるならば一握りの大富豪とその他殆ど全ての貧乏人といふ《多様》に富んだ階級構造は受け入れるしかないわね。でも、擬似かもしれないけれども封建制度の復古等等、Paradigm変換は必ず訪れるわ。峻険な山が風化するやうにね。



*******でも、君、つまり、峻険な山が、つまり、風化してPyramidのやうになったとしても、つまり、その社会は活力が減衰してゐないかい?



――さうね、あなたの言ふ通りね、でも、地球を《自然》の典型と見るならば、或る日突然地殻変動が起きてヒマラヤの山々のやうな大地に峻険と屹立する途轍もなく高い山が再び此の世に出現する筈よ。それがParadigm変換じゃない? 



と言ふと



ふう〜う。



と、雪は煙草を一服したのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



相変はらず私とは全く面識のない赤の他人の彼の人は私の視界で明滅しながら音ならざる声を上げ続けてゐるのであった。



(以降に続く)





















































2008 01/13 07:04:40 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――ほらほら、無といふ文字や零といふ記号で封印されたものたちが、蛇が外界の状況を把握する為にちょろちょろと舌を出すやうに己の場所から逃げ出さうとしてゐるのが見えないかい? 



――ふっ、それで?



――奴等もまた己が己であることに憤怒してゐる《存在》の虜囚さ。身の程知らずったらありゃしない……へっ。



――さういふお主もまた自同律の不快が持ち切れずに己を持て余して《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?



――へっへっへっ。さういふお主もつんと澄ました顔をしてゐるが、へっへっへっ、自同律の不快が持ち切れずに《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?



――はっはっはっ。馬鹿が……。あっしは己の翳の深さを思ひあぐねて七転八倒してゐるだけさ。



――ふむ。お主はProgramerなら誰でも知っているハノイの塔を知っているかね?



――それで?



――そのハノイの塔の翳は、さて、その中心部が最も濃いと思ふかい?



――ふむ。多分さうだらう。それで?



――お主は翳の深さがあの厄介者の《存在》と紐帯で結び付いてゐるとしたならどう思ふ?



――さうさねえ……、……翳もまた翳で己から逃げ出したい《存在》の虜囚じゃないか、へっ。



――ふっ、さて、そこで己の己からの遁走が可能として、その己は何になる?



――へっ、それは愚門だぜ、己は《他》になるに決まってらあ!



――ふっ、それで、己が《他》に変化できたとしてその《他》もまた己といふ《存在》の虜囚じゃないのかい?



――へっ、大馬鹿者が! 己は《他》に変化できたその刹那の悦楽を存分に喰らひたいだけなのさ。その《虚しさ》といふ快楽が一度でも味はへれば馬鹿な《己》はそれで満足するのさ。



――へっ、それが生きるための馬の眼前にぶら下げられた人参といふ事かね。阿呆らし。



――さう、人生なんぞ阿呆らしくなくて何とする?



――ははん。他人の家の庭はよく見えるか、様あないぜ、ちぇっ。







































2008 01/07 10:58:55 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――もしや、この眼前の全く面識のない赤の他人の彼の人は……、もしや、恍惚の中に陶酔してゐるのかもしれぬ……。



《眼球体》と化した私は眼前に横たはる彼の人をまじまじと凝視しながら不意に何故かしらさう思ったのであった。否、実のところ、さう思はずにはゐられなかったのである。これは実際のところ私の願望の反映に過ぎないのかもしれないが、しかし、生き物が死すれば



――皆善し!



として自殺を除いて全ての死したものが恍惚の陶酔の中になければならないとしか私にはその当時思へなかったのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



この絶えず彼の人から発せられてゐる音ならざる苦悶の呻き声は、もしかすると歓喜の絶頂の中で輻射されてゐる慈悲深き盧遮那の輝きにも似た歓喜の雄叫びなのかもしれぬと思へなくもないのである。否、寧ろさう考へたほうが自然なやうな気がするのである。自殺を除いて死すもの全て



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と、ハイゼンベルクの不確性原理から解放された完全なる《一》たる己を己に見出し歓喜の雄叫びを上げて吾が生と死に祝杯を捧げてゐるに違ひない。生きてゐる間は生老病死に苛まれ底なく出口なき苦悶の中でもがき苦しみやっとのことで未完の生を繋いで来たに違ひない生者達は死してやっと安寧を手にするに違ひないのだ。ところでそれはまた死の瞬間の刹那のことでその後の中有を経て極楽浄土へ至るこれまた空前絶後の苦悶の道程を歩一歩と這い蹲るが如くに前進しなければならないのかもしれない来世といふ《未来》に向かふ巨大な巨大な巨大な苦難の果てといふ事からも一瞬、解放されてゐるに違ひない……。と、不意に《眼球体》と化してゐた私は吾の自意識と合一して、私はゆっくりと瞼を開けたのであった。そして、私は雪の美しい相貌を全く見向きもせず天空で皓皓と青白く淡き輝きを放つ満月を暫く凝視するのであった。この一連の動作は全く無意識のことである。ところが、瞼を開けても最早私の視界から彼の人の明滅する体躯の輪郭は去ることがなく、満月の輝きの中でも見えるのであった。



――ふう〜う。



と私は煙草を一服し月に向かって何故か煙草の煙を吐き出したのであった。煙草の煙で更に淡い輝きになった月はそれはそれで何とも名状し難い風情があった。と、不意に私の胸奥でぼそっと呟くものがあった。



――月とすっぽん。



私はその呟きを合図にそれまでの時間の移ろひを断ち切るやうにMemo帳を取り出し雪と再び筆談を始めたのであった。



*******つまり、自由を追い求めるならば、つまり、月とすっぽん程の、つまり、激烈な貧富の格差は、つまり、《多様性》の、つまり、現はれとして、つまり、吾々は、つまり、それを甘受しなければならないと思ふが、つまり、君はどう思ふ?



と、全く脈絡もなく視界の彼の人を抛り出してとっさに雪に書いて見せたのであった。満月の月光の下ではMemo帳に書いた文字ははっきりと見えるのである。すると雪は美しく微笑んで、しかし、何やら思案するやうに



――う〜む。難しい問題ね。あなたの言ふ通りなのは間違いないわ。しかしね、社会の底辺に追いやられた人々はその《多様性》といふ《自由》を持ち堪へられないわ……、多分ね。でも……、残酷な言い方かもしれないけれども《自由》を尊ぶならばあなたの言ふ月とすっぽん程の格差といふ《多様性》は受け入れるしかないわね……。



と切り出したのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)





































2008 01/06 09:24:21 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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