通説にとらわれない新しい歴史解釈

2009年 11月 20日 の記事 (2件)


 ガダルカナルの攻防戦でも、相打ち覚悟の積極的戦法を採用すれば日本側の勝機は十分にあった。第一次ソロモン海戦で三川第八艦隊は米豪の巡洋艦と駆逐艦に大打撃を与えたが、深追いすることなく、輸送船団に一指も触れることなく引き返してしまった。巡洋艦鳥海の早川艦長は三川長官と参謀たちに「敵軍をそのままにしておくと、わが軍の爾後の作戦が極めて難しくなってきます。敵は航空基地を完成し、輸送船団は陸揚げを完了するでしょう。敵は現在、戦闘精神を完全に奪われている。船団に向けて引き返しましょう」と進言したが、夜明けとともに米軍の空母と戦艦から攻撃を受ける恐れがあることを理由に戦場から離脱してしまった。早川大佐は「ツラギ海峡夜戦に於いて敵艦隊を撃沈したる際、なお残弾は六割以上を有し、被害もまた軽微なりき。よろしく勇気を揮い越し、再び泊地に侵入、輸送船を全滅すべきものなりと確信す。同輸送船には、ガダルカナル基地を強化すべき人員資材を搭載せるは明らかなり。またこれを全滅せる場合、敵国側におよぼすべき心理影響の大なるべきは、察するに余りあるところなり」と記した。(遠い島ガダルカナル 半藤一利著 PHP文庫)

 こうしてガダルカナル島を奪還する好機をみすみす逃してしまった。山本は自分が常に後方に引っ込んでいる手前、部下に対しても強いことが言えなかったのだろう。山本五十六はギャンブルや逆立ち、皿回しがプロなみだったそうだが、そっちの方に進んだほうが 、日本のためにも本人のためにも良かった。職業の選択を誤ったとしか思えない。
2009 11/20 22:59:27 | none | Comment(0)
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 日本の指導者の間で真珠湾奇襲の前後にその政略的および戦略的影響、価値について科学的に分析され正しく認識された形跡がないのは驚くべきことである。
 大西龍治郎などは最初から米国を刺激するようなやり方は良くないと認識しており、周囲の者にもそう話していたそうである。
 反戦感情が支配していた米国民を一挙に戦争へと結束させた真珠湾奇襲を歴史家のモリソンは「歴史上これほどの愚行は無い」と酷評したが、冷静に分析すればその通りである。
第一次大戦に参加した米国ではまだ戦禍の記憶が生々しく、国民の間には根強い反戦感情があった。
米国の国民も議会もマスコミも非戦派が優勢だったのだから、日本はその事実を利用するべきであった。
 石油を手に入れるのにハワイを攻撃する必要はなかった。米国の一方的な対日禁油の不当性を米国民に十分に訴えてからオランダの植民地一帯の油田地帯に侵攻して正当な対価を支払って石油を確保するだけだったら、米国の議会や世論はルーズベルト政権が対日参戦に踏み切るのを許さなかっただろう。

「ガ島戦で得た教訓を、天皇は東久邇宮にこんな風にいったという。『ノモンハンの戦争の場合と同じように、わが陸海軍はあまりにも米軍を軽んじたため、ソロモン諸島では戦況不利となり、尊い犠牲を多く出したことは気の毒の限りである。しかし、わが軍にとってはよい教訓となったと思う』
いや、日本の軍部はこの惨たる敗戦から何も学ばなかったのである。その後の歴史がそれをわれわれに教えてくれる。結局は同じことを際限なく繰り返し続ける、いや、日本人の独善性と硬直性と無反省と、情報無視はいまに通じているのである。(遠い島ガダルカナル 半藤一利著)

 山本は自分の負け戦を隠蔽することによって身の保身を図った。ミッドウェーの敗戦で既に自分の能力は思い知らされたことであろうから、山本は自ら身を引いて有能な人材に連合艦隊司令長官の座を譲るべきであった。作戦も拙劣、死を恐れ、最前線で先頭に立って戦う勇気も無いのなら当然そうすべきであった。最低それくらいの責任感はあってしかるべきである。実に責任感の無い不適格な人物が連合艦隊司令長官になったものである。
 沖縄特攻途上で戦艦大和が撃沈されて作戦中止命令がでたとき、駆逐艦雪風の寺内艦長は「駆逐艦だけで沖縄に突っ込みましょう」と意見具申した。この時の寺内艦長の心境は自分の生死は度外視していただろう、というより完全に死を覚悟していたのは間違いない。このような勇猛さと軍人としての強烈な責任感が山本五十六には欠如していた。
2009 11/20 22:09:05 | none | Comment(0)
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